「霊媒探偵 城塚翡翠」というマジック
優れたマジックは魔法や超能力の類いにしか見えない。
タネも仕掛けもあるはずなのに、目の前で起きている現実に頭が追いつかない。
突然現れる鳩。
二つに割れる体。
予言した数字の通りに現れるトランプ。
「なんでそうなるの?」という疑問を通り越してただただ驚く。
そんなマジックの影には、手品師たちの緻密な計算が、努力が、強靭な精神力がついている。
観客を惑わすミスリード。
一度限りのマジックを成功させるために、数えきれないほど繰り返してきた練習。
決してミスしてはいけない本番の雰囲気に耐えられる精神力。
手品の世界だけだと思っていたけれど、まさか推理小説の中で味わえるとは夢にも思っていなかった。
「霊媒探偵」なんて物騒な名前。
霊媒で事件を解決するなんて、まるで某裁判ゲームの世界のようだ。
死んだ人の霊を取り込んで、殺人事件を解決するヒントを得る。
緻密な推理小説と異なり、オカルトの力で解決する。
推理小説であって推理小説でない新しいジャンルの物語。
もちろん、「霊媒によって犯人がわかった」なんて言っても、その発言は物的証拠になりやしない。
犯人を探す手がかりは証拠が全て。
オカルトの力を借りるけれど、最後は地道な捜索とロジカルな推理がモノをいう。
だがしかし、ここまでオカルトの力を全面に出すと、本当に登場人物に死者の霊が宿るのかもしれない。
この小説を読んでそう思った。
きっと誰しもがそう思うだろう。
物語のところどころで描写される連続殺人犯。
不気味な犯人の行動。
「やがてコイツがラスボスになるんだな」
「主人公たちはどうやって追い詰めるのだろうか」
物語を読み進めていけばいくほど期待が高まっていく。
物語の前面に出さず、各エピソードの間に犯人の描写があるからこそ、一層引き立つ。
一方で、霊媒探偵である城塚翡翠はエピソードごとに色々な一面を見せてくれて、とても面白い。
ミステリアスな雰囲気を出す彼女。
そんな彼女と一緒に話す推理小説家の男性。
二人のやりとりがとても微笑ましい。
しかし殺人事件が起きると一変する。
昔のよしみで警察の調査に協力する推理小説家。
そんな時彼女は被害者の霊を呼ぼうとする。
霊媒する時の様子がとても印象的で、本当に霊媒というものがこの世に存在するならば、こんな描写になるんだろうか、と思ってしまう。
それでいて、彼女の霊媒の結果が事件の重要な手がかりを見つける指針になるのだから、驚きしかない。
霊媒の結果から導きだられた結論から逆算して推理を始める。
全く新しい推理小説だった。
刑事コロンボとか古畑任三郎の場合は、最初に犯人がわかっているから、いかに犯人を追い詰めるか、犯人はどうやって犯行を隠したのかが、一つの楽しみになる。
けれどもこの小説の場合は、霊媒という性質上、最初から犯人はわからない。
あくまで目星がわかるだけ。
そこからいかにロジックを組んで犯人を見つけ出し、その犯行を明らかにするか。
ここがこの小説の1つの見どころかもしれない。
なぜ連続殺人犯の描写を区切り区切りで書くのか?
なぜ主人公は霊媒探偵を名乗るのか?
小説を読み進めていくと当たり前のように忘れてしまうこの事実。
しかし作品を読み終えると、この事実が重要な意味を持つように思う。
まるで手品師が観客を欺くかのように。
まるでタネも仕掛けもあるはずが超常現象に見えてしまうかのように。
この作品を読み終えた後、本当にマジックを見た感覚を覚えてしまう。
観客をあっと言わせる手品師は結論だけを伝える霊媒探偵のように見える。
けれども手品師も霊媒探偵もやっていることは変わらない。
手品師はマジックの結果を観客に見せているだけで、そのタネを決して伝えない。
霊媒探偵も、結果だけを伝えるけれども、結果にはちゃんと裏打ちされたロジックが隠されている。
さらに作品の構成自体も1つのマジックになっている。
いかに読者という観客を驚かせるか、手品師のように作品全体の構成が考えに考え抜かれている。
おそらく作者が手品師としての経験があるためだろう。
どう記述すれば読者はどう認識するだろうか。
エンターテイナーとしての文章の読ませ方がとても他の作者では真似できない。
この作品そのものが、1つのマジックになっていた。
手品師がマジックのように書かいた本書。
読んでみて本当によかった。
素直に面白かった。
意外だった。
何より読んだ後は驚きしかなかった。
こんな作品が書けてしまう作者の才能に嫉妬してしまう。
ずるいぞ、こんな作品。
作者にしか書けないじゃないか。
そんな心のツッコミがありつつも、素直に一人のマジックを見る観客として見事に作者に騙された自分がいるのでした。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?