演技における居心地の悪さ①
前/後が上演される
2024年2月10日、京都芸術センター(以下、芸セン)講堂で開かれていたお茶会に参加いたしました。芸センでは定期的に、アーティストがホストとなった「明倫茶会」が行われています。多くの場合は単にお茶を飲みながら団欒する、という限りではないようです。私は初めての茶会参加でしたが、特異な体験から様々な思考が湧出してしまったので、ここに記述しておきます。
あらかじめ言っておけば、その回のホストであった演出家・村社祐太朗は、どうやら「演劇」を「広義の人間関係の間に生ずる、責任の(再)分配」などといった仕方で考えているようで、彼の設定する空間で参加者は、「観る」ことが要請されるのではなく、「いかなる責任を引き受ける(/受けない)か」という事態に参与させられます。このとき参加者は、各々に違ったことを考えざるをえません。当の演劇空間で起こっていることと、自分がこれまでに問題にしたり、信じてきたこととの間で、何らかの調整を行う必要が生じるのですが、このために参加者たちはそれぞれまったく別の「体験」をしたことでしょう。したがってこのお茶会自体について記述することは困難であると言わざるを得ません。
なお本来的には、いかなる演劇であっても同じことでしょう。あるいは演劇に限らず、小説を読むとき、大学で講義を聞いているとき、カフェでホットコーヒーをサーブされるときなどに、われわれはそれぞれ、無限に異なる感覚に開かれているはずです。あまりに当たり前のことですが、しかし多くの場合、特に「作品」を前にしたとき、ひとはそこに何らかの統一性を見出してしまい(あるいは少なくともそれを期待してしまい)、観客は同じ経験をしたはずだという幻想を抱きます。この幻想は、あまりにdiverseであるはずのわれわれをどうにか繋ぎ止める粘着剤でもありますので、全面的に棄却されるべきものではありません。それでも、確認しておかねばならない前提であることは間違いないでしょう。
おそらくは「批評」なる営みの根本的な問題が(あるいは批評が根本的に取り組まなければならない問題が)ここにあるのですが、ひとまず後回しにします。私にとって、世界にとって、極めて重要なことだと思いますので、あとで必ず。
『生鶴(いきづる)』と題された当のお茶会で私は、上演の前段階の部分で既に多少とも動揺してしまった、ということを書かねばなりません。
会場である講堂は、体育館のようなものだと想像してもらえれば分かりやすいと思います。芸センの前身である明倫小学校は明治2年に建てられており、おしゃれな照明器具などで装飾された、趣き深い、シックな雰囲気につつまれているのですが、「壇上」があり、あとは一面の広い「床」が広がっているということだけ鑑みれば、構造上は現代の体育館に近いと言って良さそうです。
講堂では、白い枠線で、30畳ほどのスペースが囲われていました。その隣には、受付的な空気をかもしだしている一人の方が座っていました(そうかな、と思っていましたが、その人が村社祐太朗だったようです)。彼に予約名を伝えて参加料を払うと、台本らしきものとポッキーひと袋を渡され、白い枠線の中に「必ず靴を脱いで」入るように指示されました。なるほど、今回はそういう見立てらしい、ということが十分に理解されました。
まず、想像していただきたい。この様な指示があったときに、あなたはこのスペース内でどの様に振る舞うか?
私の前に来ていた3~4名の参加者たちは、後ろの方に腰を降ろしていました。後ろというのは、壇上を「前」としたときの「後ろ」です。お茶会スペースは壇上を無視して設定されているはずなのですが、われわれの知覚は「前/後」を否が応でもみとめてしまう。心理的に「後ろ」を選択してしまうというのは分からないでもありません。私はしばらく空間を確かめるように辺りをうろついていましたが、しかし「お茶会会場」で歩きまわっているのも具合が悪いので、真ん中の端っこの方で足を投げ出しました。
後からもう10名ほどやってきましたが、基本的には後ろからつめて(とはいえ互いになんとなく距離をとりながら)、「前」を向いて座っていく、という動きをしているように見えました。
私にはこれが大変居心地が悪かった。どこにどの様に座るかのルールは設定されていないにもかかわらず、何故だかそうなっていってしまう場にいたたまれなさを覚えました。
これを空気とか同調圧力といった言葉で語る向きもあるでしょう。群集心理学の研究を用いればこういった事態を説明するのは容易いでしょう。ただ、いま問題にしたいのはどちらかと言えば、こうしたことに違和感を覚えざるを得なかった私についてです。
どうしようもなく演じてしまうこと
もはやゴフマンを引くまでもなく、われわれが日常的に何らかの演技をしているというのは一般に了解されていることでしょう。ただしここで演技というのは、何らかのキャラクターや役割を装い、本心を隠して行う意図的で表面的なもの、といったことにはとどまりません。私は拙著『自由が上演される』(講談社、2022)でフランスの哲学者ラクー-ラバルトなどに依拠しつつ、人間主体=俳優論の端緒を論じました。「人は演じて生きている」ということを、本質的な問題として描こうとしました。今後も探究を続けるつもりです。ただしそれは、私が演技が好きであるということを意味しません。むしろ日常的なコミュニケーションに際して、自/他に過度な演技的様相を発見すると滅入ってしまいます。かといって、自然であけっぴろげな、「心と心の」非演技的コミュニケーションを信じているわけでもありません。
『わかりあえないことから』(講談社現代新書、2012)の平田オリザは、秋葉原連続殺傷事件の加藤智大が「「いい子」を演じさせられてた」とネット上に書いていたことを引いて、それに驚いたと言います。「いい子を演じるのに疲れた」といった不満はよく聞くけど、「演じさせられてる」は初めて見たと。
一瞥して、私にはそのことが信じられませんでした。現代ではかなりの人が「演じさせられている」という意識を抱えていると直観したからです。しかしよく考えてみると、「演じる」と「演じさせられる」の違いはイマイチよく分からない。ここで平田オリザは、能動的に、したたかに、社会的な役割を演じる術を身に付けた方が良いと主張しているのですが、「能動的に演じる」とは一体どういうことなのか。
付言します。平田オリザは時代の変化により演技についての考え方が代わり、「操られ感」が高まっているのでは、と書いています。しかしわれわれは昔より単に自/他の演技に繊細になっているのではないか。そして本当に変わったのは「能動性」をめぐる考え方なのではないでしょうか?
尾久守侑は『偽者論』(金原出版、2022)に、「自らが本物ではない」と強烈に感じてしまう自分に苦しんでいることを書きつけています。自身も精神科医である尾久は、同様の感覚を共有している患者と多く接しており、その人たちを自分も含めて「偽者クラスタ」と呼んでいます。彼のまとめに従うなら、偽者クラスタに顕著な特徴は「(1)世間体・対人への過敏症、(2)正確すぎる周波数合わせ、(3)心の距離の調節障害、(4)健常への擬態、(5)虚無と諦念」(p.30)です。
私にはこれが、まさに俳優や演技のことを書いているように思われました(演技と虚無とはむしろ真逆では、などと思われるかもしれませんが、究極的には通じるところがある気がしています。これもそのうち)。大学で教えている「演劇論」の授業でも本書を紹介したのですが、共感した人も多かった様で、すぐ4名ほどの学生が読んだと報告してくれました。
ここでは「誰かに演じさせられること」ではなく、「どうしようもなく演じてしまう自分」が問題にされています。そしてこのことが、程度の差はあれ強烈なアクチュアリティとして共有されているという事態をひとまず指摘しておきましょう。
親や教師や、その他の権力者たちに操つられているということであれば話は比較的単純です。いや、それもまた極めて大きな問題ではありますが、同時に、抗うべき相手が何なのか分からない、あるいは存在しないという絶望的な感覚にも想いを巡らせなければなりません。「空気」を問題にするにしても、「支配的な空気」の存在を相手取ることはできます。闘争も逃走も、選択肢に入るでしょう。しかし偽者の問題はそうではない。他者と関係する以上、すなわち生きている以上常に付きまとうのです。演技すべきだという強迫観念ですらない、「どうしようもなく演じてしまうこと」。これが考えられねばなりません。
私は今起きているのが、「能動性かのように思われていたもののメッキが剥がれてきた」という事態なのではないかと思っています。そうだとすると、平田オリザのように能動性(すなわち強固な行為=演技主体を)を取り戻すべきだと主張するばかりでは上手くいかないと感じられます。何らかの仕方で「能動性を(再)仮構した方が良いかもしれない」可能性はありますが、その場合でも「可能な能動性とは何か」を問わないわけにはいきません。非/演技や、演技の能動/受動といった対立軸で考えるのではなく、演技の諸様態を細かく再検討する以外にはないのではないか。偽者と表裏である、俳優の問題……。
先の、どこに座るかということに際しても、多くの人は無自覚に当該の(群衆)演技を選択していたと言って良いでしょう。「後ろ」が居心地が良いとか、目立ちたくないとか、みんながそうしているからとか、動機はさておき、集団性を維持するためのパフォーマンスがあったと言えます。このことに居心地の悪さを覚えた私は、「前」に移動し、「後ろ」を向いて座りなおしました。ただ、この行為が十全に能動的であったと言うのは難しい。「後ろに固まることは全然正当なことじゃないよ」と示す「あえてのパフォーマンス」であったことは確かです。しかし「いてもたってもいられなくなって動いてしまった」という方が近いと思います。
また、「上演」の枠内では私はこういう振る舞いをよくしますが、日常では集団的演技に巻きこまれてしまうことがよくあります。自らに潜む集団性志向に、アンビヴァレンスを抱えています。決してアナーキストではないので、何らかの仕方で集団は維持されるべきと考えていますが、しかしそこに飲み込まれないようにするにはどうすれば良いのか? 集団に不具合を発見したときに、いかにしてNOをつきつけることができるのか?
『生鶴』――存在の機微
一応本題はここまでのつもりだったのですが、もしかしたら『生鶴』本編(一体どこからどこまでが茶会本編だったのだろうか、作品とは、上演とは何か……)が一つのヒントになるかもしれないと思われたので、メモ程度に付記しておきます。
開始時間になったら、参加者たちはなんとなく車座になって座るよう要請されました。渡されていた台本は、二部構成、23ページの短いものでした。1ページにだいたい150~250字程度の台詞が書かれています。ト書きだけのページや、若干の長台詞もあれど、各ページは基本的に二人の登場人物の短い言葉のやり取りで構成されています。参加者たちとホスト側の俳優一人とでこの台本を読んでいくというのが、この茶会=上演の基本的なルールです。もう少し詳述すると、以下。
1.台本を、みんなで30分程度かけて黙読する。
2.ページ毎に担当者を一人決めるため、参加者は担当したいページを宣言する。
(※一人で複数ページは可、まったく担当しないのも可。また、誰も担当しないページがあるのも可。)
3.各ページ内で先に口を開く登場人物の台詞を参加者が読み、その相手役を俳優が読んでいく。
(※ト書きは俳優が読む。担当者がいないページに関しては、その部分は黙読し、相手役のみ俳優が読む。)
4.一通り読み終えた後、談話の時間をもち、感想を言い合うなどする。
すぐに気づいたのは、ただ物語を聞くよりも理解は深まるということです。担当者にはそれぞれ発話の責任がありますので、自分の担当ページ以外の箇所も入念に読まなければならない。微妙な台詞まわしなどがあり、いったいどういう意味なのか一見判然としない箇所があっても、各場のはじめに記されている登場人物一覧を読んでプロフィールをじっくり確認するなど、粘り強く理解に務めることが求められました(少なくとも私はそのような責任を引き受けてしまっていました)。
また、参加者のなかには当然台詞を読むのが不慣れな人もいるわけですが、それでも全く問題ないということにも気づきました。他人の発話を聞いていて、「もう少しゆっくり読んだ方が良いんじゃないか?」とか「そんなに感情こめすぎない方がぐっとくるのでは…」みたいなことを思ったりもしていました。ただ、そのことによって物語から気持ちが離れるということはなく、むしろ愛着が湧いてくる。「より良き物語の上演」みたいなものが脳内で補完されていくとでも言えば良いでしょうか。
恐らく、戯曲の妙もあったことでしょう。第一場は、親から継いだ眼鏡屋を4年前に引退した75歳の後藤昌男と、50歳の社会福祉士の上野の、病院の一角での会話。妻・祥子が5年前に寝たきりになってから、昌男はいわば老々介護を献身的にしています(祥子のことが眼鏡屋を辞める最後の一押しになったのかも、などと想像をしないわけにはいきません)。祥子の発話パートはありませんが、しかし登場人物の欄には書かれることで、その人の存在感(presence)は確固たるものとなっていました。
第二場は恐らく3年後。改めて書かれたプロフィールで昌男が78歳となっていることから、それが分かります。メインの登場人物は直子と忠(ただす)。40代前半の姉弟で、後藤夫妻の子どもです。祥子が恐らく他界し、父は認知症に。直子の離婚や忠のうつ病と休職もあって、一緒に暮らし始めたらしい……といったことがなんとなく推察されます。
簡単なパズルを解くように分かること、台詞などをじっくり考えてようやく推察されること、完全に想像するしかないことなど、様々なレベルの情報の交錯があります。われわれを積極的な読解へと駆り立てる様なつくりになっていたように感じられました。
大きな構造も精妙ですが、細かい台詞の構成も優れていたように感じました。上述のような舞台設定はあくまで設定で、「老々介護が主題になっている」みたいなことでは必ずしもなかった。重要なのはむしろ、言葉の端々に見え隠れする、登場人物たちの関係、あるいはその微妙な変容というまさにそのことなのです。
第二部、19ページから20ページにかけての一節を引用します。舞台設定としては、土曜朝七時のリビング。夜遅く帰ってきた忠は、TVゲームの電源を入れたまま寝落ちしてしまっていた様子です。会話中に登場する清は忠の(恐らく)古い友人か同級生で、偶然声をかけられて昨晩遅くまで久しぶりに話していたらしい。律は直子の子どもです。
学校の作文だったら添削の入りそうなところばかりです。「笑顔かもしれない」の不明瞭さ、唐突なヨーグルト、食べるかどうか聞かれているのに寝るという返答、姉弟でフランクに話していたのに急な敬語。互いに何らかの問題を抱えている姉弟が、40歳前後に改めて同居することになったこと、認知症の親を介護していることなど、登場人物たちは大小様々な生活の変化の中で距離をとったりとらなかったりしています。その機微が表現されていると言って良いでしょう。ちなみにここで敬語が用いられるのは戯れの要素が強く、一般的な敬語の用法とは異なり、むしろ互いの距離感の近い発話だと言えるでしょう。ただ、休職中であるにもかかわらず少し乱れた生活をしているらしい忠の、自虐的な気持ちもあるでしょうから、微妙な「戯れ」です……と私は読みました。
現実の会話はこれくらい微妙で不明瞭なパラメータが無数に変動して機能しているはずです。そこには明確に意識されて(能動的に)発されているものから、口をついて出てしまった言葉などもあるでしょう。全編を通じて、このような濃度で絶妙な会話が展開されるので、参加者たちは全体の構造やおおまかな人間関係だけではなく、会話一つ一つの重さ、粘り気、質感のようなものを微に入り細に入り測定しながら言葉や物語と付き合うことが要請されるのです。
責任の再分配
最後の談話の時間で、ある参加者から「ホスト側の俳優の読み方が規範的になってしまわないか、それをどう考えるか」といった趣旨の質問が村社に対してなされました。黙読の時間に、どう演じようかいろいろ考えていたけれども、俳優が比較的淡々と、しかし軽薄ではない仕方で読み始め、それに沿うことが良くも悪くもある程度決定されてしまったな、と私も感じていたところでした。
私の理解した限りでは、村社は上演を通じて、責任の再分配と関係の再編成のための場の設定を画策しているようでした。俳優の発話の調子を受けて、確かに参加者はそこから外れすぎないような演技を選択せざるをえなくなりました。しかしこういった状況のもとで、みんなが各々に、自らの、互いの責任を認め合っていくことがまさに問題にされていたのです。問題なのは参加者たちが自由になることではない。いかに上演=茶会の時空間が良いものとなるか、全体で探っていくことなのです。
責任の再分配を画策していたからといって、村社がその手綱を握っていたわけではありません。彼は自分にできるのは環境の設定や戯曲の執筆を頑張るところのみで、それ以外は完全に手放すと決断していたようです。実際に彼は、戯曲の黙読が始まって以降、自分から喋り出すことはほぼなかったように思います。こちらが少し不安に感じるほどに。このようなバランスこそ、もっとも稀有なものだったように思います。似たような問題設定をしている集団は少なくないものの、どうしても誰かが主導権が握ってしまっている場合が多いのです。
戯曲の読み方以外にも、自分の担当をまっとうするとか、演技を途中で中断しないとか、関係ないおしゃべりをしないとか、些末なレベルでみんなが責任を少しずつ担っていたのではないかと思います。演劇における責任を、演出家は、俳優は、観客は、いかに担っているのかと、茶会の最中も終わったあとも、考えないわけにはいかなくなりました。
金さえ払えば無責任に振る舞って良い(コンシューマリズム)とか、特定の目的をもった集団は責任のありかを明確にしてトップダウンで運営していくべきだとか、そういった当たり前のように流通しているのとは別のルールのもとで集団を構想すること。既存の様々なルールのもとで、いろいろなことが上手くいっているかに見えます。しかし実際は、色んなところにしわ寄せがいったり、ひずみが生じていたりして、しかもそれがあまり表にあらわれないような構造が維持されている。多くの人が無自覚のうちにそういった構造を甘受しているのではないでしょうか。
共感に圧され、どこまでが村社の言葉で、どこからが私の考えたことなのか分からなくなってしまいした。「責任の分配」というのは村社が言っていた気がします。「しわ寄せ」のくだりは談話の際に私が発言して、村社に頷いてもらったような気がします。
村社祐太朗が演出をつとめる「新聞家」という集団では、チラシをつくって他の公演パンフレットに挟みこんだり、SNSで告知をしたり、通常多くの劇団が行っている情報流通の方法をほとんどとっていないようです。新聞家のサイトに飛ぶと、「新聞家の公演や稽古情報が得られるサブスクリプション」の案内があるだけ。無批判に外の世界とつながることを良しとしない、しなやかで果敢な態度だと感じられます。『生鶴』のような「上演」ではどうしても参加者にある程度の負荷がかかります。「作品」の「観客」になれることを期待してフラッと当日券で現れた人に、台本を読ませるといったアクティビティ(能動性)を強いるのはなかなかリスクが高い(最悪の場合、怒りだす人もいるでしょう。「作品を観に来たのに、何だこれは!」)。
消極的な言い方に聞こえるかもしれませんが、まったく想定外の他者との出会いを避け、可能な限り、負担の大きすぎない範囲で、少しずつ上演の領域を広げていくといったことだと言えるかもしれません。
恐らくこれを「実験」と呼ぶのも違うでしょう。生きていくってまさにこういうことだった気がする。
ただしもちろん、一般化できるような方法ではないし、新聞家も少しずつあり方を変えていくことと思います。特定の方法に安住するような人たちには見えないので。いずれにせよ、人とどう関係していくか、この世界の中にどのように「関係」なるものをつくり、持続させるか。演劇の内/外でそういう試みを、微調整しながら切実に実践する態度にはあまりにも共鳴してしまった。
私は私で、できることを探していかねば。その足がかりとして、この文章を書いています。
※1週間に1本程度、4~5回書ければと思っています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?