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線香でつながる縁

人の死は悲しいです。
ここ6年で、8人の大切な人を亡くしました。

立て続けの葬式で、六歳の娘は焼香を一人でできるようになりました。
「ここの線香は立てるの?寝かせるの?」
宗派があることも、頭のどこかで理解をしています。

どう考えても、逆立ちをしても、頭を強く打っても、人の死が辛いのは間違いはありません。
納得がいくまで、涙を枯らすまで泣いてもいいと思います。

ただ、その人の死で、悲しみに明け暮れるのを、
故人があちらから見ているとしたら。
それを見た故人はどのように思うでしょう?
(亡くなってすぐは、そんなこと考える余裕はないですよね。)

僕は母親を亡くした後しばらくは、ドン底でした。
でも、得たものもたくさんあります。

這い上がる力がつきました。
身近な人とは、より強い関係を築けました。
しばらく会わない人との縁繋ぎをしてくれました。

今では前向きな解釈ができるようになりました。
(母親もそちらの方が喜んでくれてるはずです。)


話は変わり、
先日投稿した友達K君の、亡くなった父さんのところに、家族で線香をあげにいきました。
人が集まるのが好きで、多くは語らずにその光景を眺めているような父さんでした。

僕たち家族がお邪魔をしたときに、美味しいご飯を作ってくれていたK君の母ちゃん。
賑やかな家の中を見るなり、「この光景、パパにも見せてあげたかったよ。」と涙していました。
56歳で亡くなるということは、まだまだ見たい光景があったことでしょう。

その日、うちの子どもたちと、K君の子どもたちを連れて、近くの公園に行きました。
たくさん遊んで、ソフトクリームをみんなで食べて楽しんだ後のこと。

全くゆかりのない土地に、ずっと会いたかった友達家族がいたのです。
「祖父母がここにいて、何年も会いに来れなかったから来たんだー!」と、奥さんの話。

これも、亡くなったの父さんが巡りあわせてくれた、大切な縁なのかもしれません。

※実はK君の母ちゃんと、うちの父はハトコの関係なんだとか。
それも僕の祖父母の葬式で発覚したんです。
縁ですよね。笑


亡くなった人の気持ちだとか、縁を繋ぐだとか。
すべて、生きている人間の都合のいい解釈や、意味付けにしか過ぎない。と言うこともできます。
僕たちの人生をより良くしてくれるなら、そんな都合のいい解釈をしたっていいでしょう。

何度も言いますが、亡くなることはとても悲しいことです。
長い目で見たときに、
「あの人が亡くなってから私は強くなった。」
「あの人の葬式で出会った人と、今では一緒にお仕事をしている。」
人間として大きくなる、縁繋ぎの場所になる。
そんな解釈に、少しずつ変わっていけばいいと思います。

あなたの大切な人の死にも、なにか意味があるのかもしれません。

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