見出し画像

田中康雄さん(児童精神科医)インタビュー後編・2

どんな日常を送っているのだろうか


杉本:本当は行くべきなんじゃないかと。来てほしいよ、会いたいよっていう人に「会ったほうがいい」と、どこかで思っているとは思うんです。凄くアンビバレントな気持ちがあって、どこかで「拒絶されるんじゃないか」という思いも圧倒的に強くて、繋がりたい思いと、拒絶されるんじゃないかっていう思いの葛藤がもの凄く大きくて、やっぱり心が揺れるけど今のままでいいところに落ち着いてしまうっていう感じがきっとあるんじゃないでしょうか。


田中:そうですよね。


杉本:だからそれは誠意のある人たちも何とかそこまでわかるとは思うんだけど、じゃあどういうアプローチがいいのかっていうのは、まだ手がつかないところがあるかもしれないです。やっぱり講演会なり何なりがあって先生のところに実際に来られるとかという人は、社会的成功とは行かないかもしれないですけど、ある程度困難な人ではないと思うんですよね。


田中:そうですね。


杉本:何らかの形で社会とは繋がっていけるとは思うんですけど、そこへも難しいというのは僕も正直わからないというところではあるんです。ひきこもりの経験があったとしても。


田中:難しいですよね。


杉本:当事者の人たちもだんだん支援者みたいになってきていて、そういう力ある当事者の人たちも、僕も難しいことじゃないかなぁ、これはと勝手に思ったりして。目に見えない人たちなので…。で、昔からそういう人たちがいたのかどうなのか?とか。ふと思ったり。


田中:僕自身は不登校にしても何にしても、ひきこもりもそうですけども。

 不登校の問題が社会的にクローズアップされたのは、全員学校へ行きましょうという制度ができてからというふうに思っていて。それまでは家が忙しければ子守をして学校へ行かないとか、三ちゃん農業で稲刈りが必要なときは学校へ行っている暇がないという寺子屋的な発想に学校があった時代は家庭の事情で行かないのが当然という状況であったし、だんだんと支援学級も含めて全員登校しましょうとなったときに、行くべき状況になったのに行けないということが問題視された。それまでは選択して行かなかったのが選択の余地がなくなっちゃった。
 ひきこもりも、社会参加が当然という状況になったときに厳しくなってきた。その前は社会参加せざるを得ないような時代で、逃げられない状況のとき、多くのひとはそこで生じる不安や対人恐怖的な状況や、日本独特の赤面恐怖だとかという緊張を伴いながらも撤退できない状況で、戦後の50年代60年代は社会参加せざるを得なかった。でも撤退できるようになってから……ということだと思うんですよね。
 だから僕自身は一つの生きかたとしてそれが選択できるというのは単純に良かったと思っていて、その次にどう生きていきたいのかっていうことで対話ができたらいいなと思っているんです。単純に今の現象で撤退を決めた人ではなくて、ほかに今までの長い人生の中でとうとう撤退せざるを得なくなった人の場合、撤退に関する思いの重さは違うので、そうなると凄く長い歴史をもって撤退を最終選択した人というのは、そんな簡単には伴走者、トレーナーにはさせてもらえないし、はなからそういう社会に対して怒りや絶望や憎しみだとかも含めてある訳ですし、なかなか社会側にいる人間が登場してきたところで会ってくれないんだろうなという気持ちを持ちますけれども。
 だからそこは本当に時間をかけたり手紙を書いたりお母さんに来てもらったり、その間、僕らはただただここにいて、その話を聞かせてもらうだけなんだけれども、その状況の中で24時間親はどんなふうにその人と生活しているのかな?って。そういう状況でその人が家の中のキッチンに降りてきたり、冷蔵庫開けたり、また自分の部屋へ戻ったりというのをどんな思いで繰り返しているのかなぁ?というのを僕は映像のように想像し、そこに僕がどういう入りかたができるのだろうか、参加ができるんだろうかっていうことに、悩むところではありますけども。


杉本:凄く具体的な話です。どういうふうに家で過ごされているか。それこそどんな思いで部屋に戻ったりひとけがないときに台所にいたり云々という話って、本を読んだりするなかでは「重たい話」みたいな感じですが、今こうやって直接言葉として、親御さんの話とかを聞きながら相談を聞いているときの先生の側の思いを聞くと凄くリアルな感じがします。あんまりそういうふうに心理の先生自身から聞くということはないので。精神科支援者の人から具体的に「どんな思いで過ごしているんだろうか。家の中で」みたいな。…むしろ僕自身がもっと観念的にイメージしているところがあるんだなぁっていうふうに今思いました。具体的な心情がその場面場面でどうなんだ?っていうのは確かにありますよね。


田中:生きているのでね。生活があって、そこは見てないだけにすごく知りたいなというか、会ってないだけにどんな顔をしているんだろうなとか。


杉本:なるほど。イメージでは膝を抱えてうつむいて、みたいな。僕はもう、そういうイメージだけで拒絶反応がおきちゃうので(笑)。ただただ拒絶反応おこしているだけでいいのか?と今ふと思いましたけど。本当に絶望を感じているときもあれば、同時に気がゆるむ瞬間なりを掴んでいるかもしれないですしね。あとは「ひきこもれ」と言われているこのコロナ状況の中でみんな辛そうだみたいな話を聞くと、慣れてる側からすると本当に動くなと言われると辛いものなのかな?とかって…。


田中:あはははは(笑)。


杉本:そんなにみんな世の中の役に立ちたいと思っているんだなぁ、って(笑)。


田中:不登校の子どもたちは最近外来に来て、長い休みだけれどもどうだい?て言うとみんな楽しいって言ってくれますね。


杉本:それはコロナと関係なくですか。


田中:今回のコロナで気がついた点です。行かなきゃならないという状況のなかで行かないっていう態度を取り続けてきて悩んでいたけれども、行かなくていいよって言われて休めるなんてこんな楽しい日々はないって言って。良かったねって、長い休みでね。


杉本:行かなくちゃいけないと思っている子にとってみると、親も心配だし自分自身も心配すると思うんですよ。行かないとまずいんじゃないか。そうなるとみんな凄く世の中に対して真面目なんだなぁって正直思います。「やった!」と思うような子がいてもおかしくないと思うんだけど。


田中:そうですよね。


杉本:いるとは思いますけどね、もちろん。


田中:それで、良かったねとか言ったときにいい笑顔をしますけどね。


杉本:やっぱり親の顔なり世間さまの顔とか先生の思いとかを汲んじゃったりすると、しょぼんとして「行けなくてごめんね」みたいだったのが、ここにきて実は心中、“やったぁ、休めるじゃん”って。でも課題が降ってきたりとか、テレビとかで「先生たち、みんなを待ってるからね!」とか言われたりした日には……。


田中:罪悪感、感じちゃいますよね。


杉本:プレッシャー感じたりして。


田中:その昔、*滝川一廣さんという中井久夫さんの若い頃のお弟子さんというか、仲間が不登校の本を書いたときに、何でみんな真面目に学校行くんだろうっていう、学校に行き続けていること自体を考えたほうがいいんじゃないかっていうふうに言ったことがあって、判で押したように一日も休まずに毎日毎日行くこと自体のほうが不自然だと何故思わないんだろうかっていうのを滝川さんが言っていて。「なるほどなぁ」と思いました。


杉本:皆勤賞なんて言葉もありますしね。


田中:たまに休んでもいいんじゃないの?とかっていつも言います。月に1回有休カードっていうのを出しなよ、って子どもに言いますね。「明日休みます」って言って。それは君の権利だよって。


杉本:でもそれって学校では不登校扱いになるらしいですね。


田中:そうですね。


杉本:ははは(笑)。週に1回休んでいるだけなのに。週4回ちゃんと学校に行っているんじゃないかと思うんですが。


田中:僕、小学校のとき、4年生か5年生のときに毎週1日休んでいたんですよね、学校行かないで。


杉本:何かそれも本に書かれていますね。


田中:それが凄い楽で(笑)。ははは。

次のページへ→  2  

*滝川一廣ー(たきかわ かずひろ 1947年 - )児童精神科医・臨床心理学者。前学習院大学教授。愛知県名古屋市生まれ。1975年名古屋市立大学医学部卒業。 人間学的精神病理学の立場を取り、統合失調症や自閉症などの精神障害を、異常性と捉えず、人間が本来持っている心の働きの一側面が突出して現れた姿であると捉える。主著に『学校に行く意味、休む意味 不登校って何だろう?』『こころの本質とは何か』など。

よろしければサポートお願いします。サポート費はクリエイターの活動費として活用させていただきます!