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田中康夫さん(児童精神科医)インタビュー後編・3

少年時代の田中さん


杉本:それで聞きたいと思ったんですけど、先生はそういう感じで学校に行かないことでプレッシャーを感じたりはしませんでしたか。


田中:全然なかったですね。


杉本:あ!私とそんなに世代的に変わらないと思いますが。


田中:ええ。58年生まれなので僕のほうが3つ上なんですけど。


杉本:うちの兄と同じくらいです。


田中:全然なかったですね。


杉本:確か栃木でしたか?


田中:栃木です。


杉本:そうしますと関東圏の中だから、そこそこみんな真面目な…


田中:そうですね。みんな真面目で皆勤賞だって言ってたんだけど、僕は5年生位までのときかな、毎週休んでましたね。


杉本:親御さんは何も?


田中:うちは両親共働きだったんで、一人で休んでな、みたいな感じでダラダラしてましたけど。


杉本:親が話がわかるから違うのかな(笑)。


田中:そうですね。今も何で許されていたのかな?って思うんだけど。


杉本:学校に行くとき学校の周りの目とかも気にならなかったですか。


田中:そうですね。僕は書いたかもしれないけれども、多分僕は今の時代に子どもをやっていたら、多分児童相談所に連れられて病院へ行けと言われた人間だと思うんで、いろいろな意味で内々に家族は皆心配していたと思うんですよね。遠慮して言わなかったところもきっとあるのかなぁと思います。


杉本:先生自身は気づかなかった?


田中:当時は全然。今はいろいろ問題あったなぁと思って。あれもこれもとんでもなかったと思うんですけどね。


杉本:牧歌的なところがまだあったんですね。


田中:そうですね。あの頃は休んじゃえみたいな感じだったので、無理することないよっていう。


杉本:僕、そこらあたり、どんどん牧歌的なものが無くなってきていることがなお一層、不登校に拍車かけているような気がするんですよね。


田中:そうでしょうね。


杉本:会社もそうですけどね。


田中:真面目で一所懸命なのが美徳みたいなのがあるんだけども、許容範囲で一日ぐらい休んだところでたいしたことにならないと僕はいつも思ってはいるんですけども。


杉本:深く聞きすぎていますけれども、また何で休むのが日常になったのですかね?


田中:う~ん、何ででしょうね。勉強は好きでは勿論なかったし、出来が悪かったし、多分あとはそんなに人間関係も良くなかったと思うので、たまに休まないとやってられないというのがきっとあったんでしょうね。当時は意識してなくて、逃げ道として近くの本屋に行って立ち読みするとかね。


杉本:なるほど、それはありますね。時間をどう使うのかっていうのは。「使いかたがわからない」とか。


田中:自分は多分そんなところでバランスをとっていたんだと思います。


杉本:立ち読みするじゃないですか。立ち読みしている自分が子どもだけども大丈夫かな?とかっていうふうにも?


田中:全然思わなかったです。


杉本:いやぁ、それはいいですね。


田中:凄い田舎だったので…


杉本:田舎のほうがキツそうだけど(笑)


田中:商店街のところにある北村本屋という今でもよく覚えているんですけど、『北村書店』に行って今だったらビニール袋に入っているんだけど、当時は平積みされているマンガを小学1年のときから立ち読みして、大声で喋ってましたから。音読してましたから。


杉本:音読を?


田中:ええ。立ち読みのところで。不思議な子だなぁって『北村』のおばちゃんなんかは思っていたみたいで。でも、そのときもよく読めるねっていうふうに褒められて(笑)。立ち読みしても当時はいい。それから外の平台にマンガが載っているところを片っ端から立ち読みして帰るみたいな時代だったので…。


杉本:ははははは。それはいいなぁ。


田中:非常に穏やかに過ごしてましたけどね。


杉本:で、中学はずっと皆勤なんですか。


田中:そうですね、中学になったら定期的な休みはなかったですね。行きずらくはなかったと思うんですよ、中学のときは。そんなにはっきりとは覚えてないんだけど。


杉本:きっと小学校のときにちゃんと子どもなりのストレスを溜め込まない方法を手に入れたんだと思いますよ。だから思春期不安がなかったんじゃないですか。


田中:そうですね。中学になってから家の動きもちょっとあって引っ越したりして。そこから一人になれる部屋をつくってもらったので、中学になってからは勉強はしなかったけれどその一人の部屋でぼんやりとしていましたね。あまり記憶にないな。中学は。


杉本:ふふふ。あまりご苦労はされてないんですね。


田中:そうですね。勉強ができなかった以外は苦労はせず。無理していい高校へ行かなくていいからって言われたんで、近い高校に行って、ダラダラしてましたけどね。でもすごく思ったこと口に出す生意気な子だったんで、高校に行ってからはもう先輩に睨まれてよく呼び出されて、そのうち同級生にも呼び出されて、修学旅行でも呼び出されてコテンパンにされたんで、でもそのまま不登校になったら大学に行けないと思ったので、そのとき不登校という選択肢が僕にはありませんでしたから、最終的に高校は「卒業式には出ない」というただの意地を張っただけで、別にだからってどこにも支障がないような。そこからなんとなく人の中に距離感が二重状態みたい感じで、うちのカミさんは同級生なんだけれども、大学時代いろんなことで人を集めたりしてワイワイよくやっていたと言うのだけど、僕のなかでそんなに本当の意味で人を信じてワイワイやっていたわけじゃない。いまだにあるのだけれど、僕は常に「外様」の気持ちがあって大学も私立だったのでみんな裕福なところですから、居場所はしっかりしてないし。だから大学もどこのサークルにも所属せず、ただただダラダラと生きてたし、どこに行っても僕は受け入れてもらえてないという気持ちはいまだにありますね。僕のなかでは。

客観と主観の違い


杉本:いまだにですか。


田中:ええ、だからこの仕事していても本当の意味で仲間というよりもどこかちょっとうがった違った目で見られているなというのはあって。


杉本:客観と主観というのはやっぱり離れるものなんですね。先生は発達障がいの専門家として全国区ですけど…。


田中:そう言われるんだけど全然僕は、そんなみんなが言っているほど立派なことをしてないので、何で本当のことをみんなわかってくれないんだろう?とか、お里が知れているただのクズな医者だというふうにどうして思ってくれないのだろう、とずっと思っているんですよね。


杉本:安倍晋三さんと真反対じゃないですか。あの人客観的にみたら立場が偉いのでみんなが忖度してくれるだけという裸の王様になってるのに。そうか、客観と主観ってやっぱり人間ねぇ…。


田中:そうですね。多分違うんですよね。


杉本:やはり先生のこういった話聞いていても凄い、と思ってしまうんだけど。


田中:多分どこかで嘘ついて誤魔化してるんだろうなといつも思いますよ、僕は。


杉本:自分に厳しくないですか?それは。


田中:厳しいというか。


杉本:そういう人が好きなんでしょうかね?


田中:僕はたぶん過剰に評価されている、でも僕は僕の身の丈を知っている。今は発達障がい分野で、僕の意見にみな納得したりするときに、「ほんと?ほんとにいいの?」って。ぼくの力量は、けっこうちっぽけだと、みんななぜちゃんとわかってくれないんだろう?って。 


杉本:わかる気はします。僕自身が本当の人かなって思える人って、やっぱり自分自身と距離があるというか、やっている人って別に自分のことを凄いとかって思っているわけじゃないのかも。


田中:僕、正直にいえば、自分を凄いと思えたらいいな、って思うんです(笑)。


杉本:なんか怖い様な気もするんですよね。自分のことをある程度低く見積もっている人のほうがクライエント的に言えば安心するところがあります。僕の場合特に宗教で失敗しまして、崇める対象に行きかかったことがあったので、それに対する反動でもの凄く何かに対して強い幻想をもってはいけないという規制が働いていましたから。自己反省も含めて。


田中:なるほどね。


杉本:こうやって先生の話聞いていると根源的な自己否定感情が強かったというのはなさそうなので、むしろお仕事のなかで徐々に変わられたのかな?という気もするんですが。


田中:そうですね。劣等感は凄く高かったんだけど、医者になったときに三流の私立のところから旭川医大に入局してやっぱり被害的にはなりましたよね。たかだかそういうところからポッと出のバカな兄ちゃんがやって来たみたいなふうに思っているだろうなぁっていう自己卑下はあるし、みんな本当に優秀だし僕なんか全然何がなんだかよくわかんないし、言葉の使いかたも分かんないし、英語もドイツ語も使えなかったし、というただの劣等感の塊で、だからみんなと居るよりは患者さんと一緒に居て話しを聴いていたほうが劣等感にさいなまれずに「それも大変だね」というふうに聴いていたり、何ができるのかなぁ?ということを常に考えるぐらいの方が性に合っていて、精神科を選んだのも医者としては無様な何もできない人間だったので、あんまり頭を使わないでちゃんと失敗しないで生きていけるとしたら当時は申し訳ないけど精神科ぐらいしかないかな、っていうふうに思って。これならそんなに頭脳は関係ないかもと。今だったら選ばなかったと思うんです。精神医学がこれほど発達してハイレベルなってくると僕は全然ついていけない。本当にただただ何もしないで生きてきたようなだけなので(笑)。


杉本:今でもどうなんでしょうね、精神科といいますか、特に「児童精神科」という分野なんですけど。やっぱりお医者さんの世界でもマイナーな感じなんですか?


田中:そうですね。当時は全然マイナーで。


杉本:今はどうなんでしょう。


田中:今はなりたい人はいるけれども、経営的にはなかなか成り立ちづらいところがあるので。成ってくれるお医者さんが少ないでしょうかね。僕は多分、今もそうだけど幼稚な人間なので思春期まっただ中の子とか小学生と一緒に話しているほうが気が合って楽しく遊べてたので当時は気が楽だったんですけど(笑)。そこで相手に対して「ああ、凄いこと考えているんだね」とか「偉いなぁ」とか思ってきたので、診察室では比較されたり比べられて辛い思いしなくても済みましたから、患者さんたちに助けられていたところはありますね。その流れで『児童精神医学』をやりたいなと思ったらそんなただただ一緒になって遊んでいるだけじゃダメで、ちゃんと発達障がいを含めてやらなきゃならないという時代に入ったときに、全然わかんない中で発達障がいの勉強しなきゃならなかったので、当時は今ほど全然本がなかったですから、ともかく自分が生きてきた人生のなかで出会った人たちがプロトタイプで、そのプロトタイプの人と目の前の人とを重ねて、この人がどんな思いでこんな行動をするのかということだけを考えていたので、そのプロトタイプの蓄積が5年10年とやっていくと否が応にもできるので。そこだけですよね。だから全然本で学んだイメージと違っているんです。実際に人にお会いしたときのイメージでいくので、だんだん「発達障がいってこういうものです」っていうふうに決めつけられると、僕は天邪鬼なので「そんなはずはない」と。そんなティピカル(典型)な人はどこにもいない。みんな一部それを感じてるけれども、そうじゃないところでみんな苦しんでいるんだっていうふうに思っていて、発達障がいの世界のなかでも自分はマイノリティーな存在となっている人間だと思っています。全然アカデミックではないし(笑)。

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