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田中康雄さん(児童精神科医)インタビュー後編・1 時の力を信じて、生活を大事に

自分自身と周りへのモニタリング


杉本:先ほどまで先生のお仕事とは離れたリーダーシップ論みたいなことを喋り過ぎましたけれど、でもやはり先生のお仕事というか、例えば僕自身のクライエント的立ち位置として思うことですけど、クライエントさんたちをみていくなかでは、仕事の役割上、どうしても意志とか覚悟とか姿勢というものを、考えざるを得ないというふうに思えたんですけど、いかがでしょうね。


田中:たぶんそうだと思います。


杉本:それぐらい、人が変わってもらうという、変わるというか…。何とも表現しにくいんですけど、最悪の事態にならないようにしていくということは、先生の抱えるご苦労もたいへん多いのではないかと改めて思うところなんですけれども。もちろん当人がいちばん苦労しているでしょうけれど、苦労を分かち合うこと、その苦労ある人たちにたくさんに会われることは、一つの芯がないとやはりきついだろうなという風に思うんです。ブレられないところがあるというか。


田中:多分、僕は凄く芯もないし、ブレるんだと思っていて(笑)・・・


杉本:いえいえ、到底そうは思えないですけど(笑)。


田中:ただ、何て言うんでしょかね、僕の中にある僕をつくっているものがあって、それは自分の生活や生い立ちと無関係ではないので、その中で自分というものがつくられてきた中で、例えば自分の育った家族の中で体験してきたものは否定できないし、父がどんな人だったか、母がどんな人だったか。その父に自分がどんな思いを持っていたのか、母にどんな思いを持っていたのか。そこに加えて叔父や祖父母だとか、それぞれの環境だったり、父がどんな思いで青春時代を送ったかとか、母がどんなふうだったかということを随所随所に聞かされた中で、そういう環境の中で僕という者が登場してきてそこで育ってきた。その中で培われた価値観とか、そこで学習してしまった対応というものが人間関係に出てしまうというのは絶対にあって、そういう自分自身のプライベートな事柄というのが、この仕事をしていく中でも、患者さんとの間で完全には封印されなくて、やはりそこに自分の過去などが重なっていくような部分での言葉の出し方になってしまったり、それがあるときには垂直のような関係になってしまったり、あるときは非常に距離を縮めるような水平な関係になってしまったり、あるいは拒否的な関係になっていくような。そのようになっていることを、いかに自分の中でモニターして感じながら、いま目の前の人とどういうふうにチューニングしていけばよいか。この人のトレーナーになれるだろうか?ということを常に考えているというのが、ブレブレの中での僕の考えなんですよね。
 モニターしていくと、僕はこの人と一生懸命頑張っても絶対上手くいけないだろう、申し訳ないけどそれはあなたの問題というより僕の問題で、やればやるほど僕の中で自分がどんどんブレていき、僕の内面がえぐられ、そのことをあなたにぶつけてしまう可能性、非常に未熟なことをしてしまいそうとか、結果、深い関わりを僕はあなたともてるだろうか、などブレブレに自覚し続けます。そうするとカウンセリング的な対応を僕は引き受けることはできない敗北宣言をしなければならない場合もあるし、これは引き受けることが出来そうだと思ったときにおいても,どこかで僕の中に功名心があったり、それを利用しながら「実は僕の中にある問題を解決していこうとしているんじゃないか?」という自問自答があったりということを、毎回自分のなかでやりとりしている部分があります。“斜め後ろ”をつくる上ではAIではないので、僕も斜め後ろと言いながら斜め前に立っちゃったり、支配的になったり、水平になったり、それによって相手を混乱させたりもするだろうという意味ではブレブレな僕なので、そこをどれだけ僕のなかでモニターして、ちょっとだけ客観的な視線で、自己理解しながら向き合えるだろうか、という感じでしょうかね。


杉本:いやぁ~、ですので出会いの中で話しを聞きつつ、お話を局面局面で相手の人に、色んな反応を呼び起こす、感情的な反応を呼び起こす会話をしたり、もうちょっとリラックスしたコミュニケーションで展開したり、様々あるんでしょうけど。同時にそれをモニターしている自分もいなくちゃいけないという意味では、やはりカウンセラーさんとか精神科医さんの仕事って誠実にやればやるほどなかなか大変なことですよね。だからこれは比喩が合っているかどうかわからないですけど(笑)。きちんとしたリーダーさんというのは、やはり自分の思いで集団を結果的に動かすことになる訳だけど、それをさっき僕は、もしかしたら政府の人はリーダーシップ発揮することに躊躇があまりないんじゃないかと言ったけど、でもいいリーダーは、やっぱり結果とか、あるいはそれを語っている自分を見ているもう一人の自分が居ながらやらないといけないのではないかと。
 例えば先生の役割として、悩んで来られる人がどこへ向かっていいかわからなくなってしまうことの危険があるわけだから、それは大きな場所で言うと集団がバラバラでわからなくなることをどう防ぐのかっていうことではないか…。同時に現代ではこういう命令を出したならその説明をしなさい、っていうことを求められる時代ですね。そこに誠実さがあるかどうかは見抜かれますよね。なぜこの重大局面でこういうことをやるのかといったとき、リーダーの人の説明の誠実さ。誠実さというのは僕に言わせれば「自分に対面している自分がいる」っていうふうに言い換えてもいいんだけど。自分が与える言葉なり何なりの影響力っていうことを考えた上での言葉ということをモニターして説明ができなくちゃいけないだろうなというふうに思うわけで。そういうことを面接場面でも繰り返されているんだろうなって。ちょっと私、緊張感を煽っているような言いかたをしちゃっているかもしれませんけど(笑)。どこかでそう思われているのかなっていう…。そこは普通の人には難しいことですよね。やっぱりプロでないと。


田中:プロかどうか、わかんないですけどね。


杉本:でも、いままでのお話しとか、あるいは本とか読ませていただくと実に謙虚にされいて、僕は先生のようなお考えでの「振り返りかた」が好きだなぁって思ったんです。同時にあまりほかにいないような気もする(笑)。こういう形での発表の仕方ということをされているかたも。中井久夫さんのエッセイなんかにも感じられるものであるし、河合隼雄さんの啓蒙の本にも感じられることでもあるし、僕は読んだことはないですけど中井久夫さんのお弟子さんで阪神大震災のときに…。


田中:安(あん)さん。


杉本:はい、安克昌(あん・かつまさ)さんですね。あのかたの*ドラマも観ましたけど、姿勢が凄く謙虚だけれどやっぱり懐が深いというか。やはり前に立ってはいけないんだなぁと。後ろにいるけど見てるんだな、っていうふうに思ったんですね。普通の人にはなかなか難しいことだと思います。焦って方向性を差し示したくなるし、前に行って引っ張ったり押したりしたくなるのが普通の人たちなので、そういう風にされることによって、言葉が悪いですけどスネたりふてくされたりするこじらせかたをして周りにいる人たちが困り果ててしまうっていうこともあると思います。そのときの人を見る見かたということは誰でもできることではないと思うんです。
 でも、先生が本などで書かれている通り、中心の人のプロフェッショナルな能力は必要だと思いますけど、同時に限界もありますよね?だからそこをカバーする援助職の人たちもいるんだろうと思います。ですから、ひきこもりの話というのは究極的には人間不信の問題だとは思うので、そこが色々訪問で何とかできないかとか、あるいは古くは来てもらわなければわかりませんという形で突き放されるとか、いろいろ聞きますけど、そういう支援側のありかたっていうのは、さすがにもう今は色々な形で批判されていると思いますけど、でも恐らくなかなか上手くいっていないんじゃないかなとは思うんですね。ですから、こういう形でこじれてしまうのは、僕自身がそうだったくせに言うのも何ですが……。難しいですね、本当に。でも、言うならば、当事者の人たちはやっぱりどうしても自分が良くないのではないか、ってきっと思っていると思うんです。


田中:うんうん。


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安克昌さんのドラマー2020年1月18日からNHK総合で毎週土曜日全4回で放映したドラマ、『心の傷を癒すということ』のこと。番組HP

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札幌で人文社会系のインタビュー活動をしています。自由と社会を軸に考えつつ、最近は道外にも取材に行っています。インタビューサイトURL https://www.kenjisugimoto.net/

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