習得への情熱1
この話は「習得への情熱」という本を読んで勉強になったこと
最近noteを更新をしていなかったのだが
この本はどうしても自分のためにメモの代わりに記事にしておきたかった
この本の著者はチェスから太極拳の達人になったジョッシュ・ウェイツキンという人だ
幼いころからチェスを学び世界的に有名なプレイヤーになり
そこから太極拳に出会いそこでも世界選手権覇者になるという
まさに天才と呼ばれるような人
一見チェスと太極拳は全く別のモノであるが
習得していく過程には同じ原理原則のようなものを発見し、
人間が何か新しいこと、例えばスポーツでも仕事でもなんでも
習得し、上達していくにはどのようにしていけばいいのか
そのようなことを自身の経験を
少年期から現在までのチェスと太極拳について学び方や考えについて書いてある本だ
自分がまず初めにためになった考え方は
「実態理論」と「増大理論」である
発達心理学の研究の中にある課題を習得する能力についての研究や、学習へのアプローチと学習能力の相関関係についての研究がある
人々が知能というものをどう捉えているか
その解釈の違いを「実態理論」と「増大理論」に区別できる
「実態理論」とは
「自分はこれが得意だ」という言い回しを使い、成功や失敗の理由を、変えることのできない能力のレベルにあるとする傾向が強い。つまり、知能や技術のレベルその物を、進歩させることのできない固定されたものとして捉えている
「増大理論」(習得理論)とは
結果が出たときに「頑張って取り組んだおかげだ」、または「もっと頑張るべきだった」というフレーズを使う傾向が強い。このように、知能のあり方を習得理論で解釈する人は、頑張って取り組めば難しい課題でも克服することができる。すなわち、初心者でも一歩一歩進むことで次第に能力を増大させ、ついには達人になることだって可能だという感覚を持っている傾向がある
難しい課題に取り組んだ時にすぐにあきらめてしまうのはどちらだろうか
成功とハードワークを結びつけて考える人は困難な状況に合うと「習得思考」になり学びと努力をする
逆に自分を「賢い」「バカ」「うまい」「へた」と区別する人は
学んでも無意味だという意識(無力感)を持ちやすい
この違いはどのような形で人に植えつけられるのか?
親や指導者のちょっとした接し方の違いで大きな差が生まれるようだ
実体理論者は「よくやった」「君には向いていない」「なんて頭がいいの」「駄目ね、文章もろくに読めないの?」「きっと遺伝ね」
このように得意不得意の思い込みや、成功失敗の要因をその人の能力と関連付けて考えるようになる
増大理論(習得理論者)は結果よりも過程を重視したフィードバックを受ける
「文章が上手になってきている」「次はもう少し頑張って勉強すれば、きっといい成績が取れるよ」「わからないところがあれば聞きに来て」
こうして成功と努力を結びつけて考えるし、今は「学び」の途中なのだと考えることができるようになる
長い目で見た学習過程よりも目の前の結果に目が行きがちだが、もしも困難が目の前に来た時に「実態理論」では何かを学び乗り越えていくことが難しいだろう
成功者のほどんどが、より高いところに目を向けているし、あらゆることに挑戦して危険を冒している
目先の結果よりも高みを目指す過程のほうが学ぶことも多いし、ずっと意味があるということを知っている
長い目で見たとき、身に染みる敗戦のほうが、勝利の栄冠折もずっと価値がある場合だってある
健全な態度で臨み、成功失敗かかわらず、経験から学びをできる人になることが重要だ
まとめ
よく結果よりもプロセスと聞くことがあるが
そのプロセスをしっかりとフィードバックすることで
その人の行動と結果に対する考え方を変えることができる
実態理論から増大理論に変えるためには
その考え方を変える必要がある
そして、年齢は関係ないようだ
子供のころに植えつけらてしまったとしても
自ら変えることは可能ということがわかるだけでも
自分は才能がないやできないと思うのではなく
まずは恥をかくのを承知で取り組んでみる
そして誰でも続けていれば次第に習得していくことができるのだ
すぐにできないと思ってしまう人は
まずはやって、続けてほしい
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