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成毛眞さん、冨山和彦さんの『2025年日本経済再生戦略』を読んでみた

どうも!まつです!

人生ってゲームじゃない?そう考えられたら人生、楽しくない?

そのためには不変的なことを思考して、解説して

理解する=ゲームのルールを理解する!

これが結構好きな人間です。そんなまつが考える数学、略して【まつ学】そのまつ学で一人でも世の中のモヤモヤが晴れればいいという想いで気が向いた時にまつの独り言投稿。

学びをエンタメにできたら結構、豊かになる人多いんじゃないかな??

今回、読んだビジネス本は『2025年日本経済再生戦略』です。

『日本はオワコンなのか』こんな言葉からスタートする本書。しかしそうでもないらしい。本書を読み進めていく中で著者のお2人なりの答えを知れると思うと楽しみで仕方ない。

第1章のタイトルである『100%自己責任の時代』このタイトルの本質は、今までみたいに政府は私達を守ってくれない。簡潔にお伝えするとそもそも政府は後追いでしか政策をしたことがない組織なのだからという言葉から始まる。そしてこれからもこの体制は変わることはないだろう・・・。それが政府という組織なのだ。
言葉を選ばずに言うのであれば、国に守ってもらうという選択肢を選び続けているということは、日本の企業と個人が変えようとしない、返るだけのメリットがないのかもしれないと思い込んでいるほど日本人一人ひとりの能力が低い。

それは『個人の力』の前に『個人の学ぶ力』が足りていないことが原因になるのではないかと本書には書かれている。この能力が極端に低い日本において様々な業界においてゾンビ化が進んでいる。ということは日本全体がゾンビ化していることと変わらなくなってきている。
では個人の学ぶ力とはいったい何なのだろう。残念ながら、その答えは本書には書かれていなかったように感じた。

そして日本という国は『有事が起こらない』という前提でモノゴトを進めていることが多い。
本書にも書かれているが平和ボケした国民性であり、更には責任を取ることを放棄した国民性とも言える。
これは、今まで有事が起こらないことを前提として国や企業、学校などの仕組みをつくってきたことが要因になる。どういうことかというと、想定の範囲内でどれだけ結果を出せるかということが評価される時に大切であり、臨機応変なども重要視されるがその前提がそもそも想定の範囲内にあるということを理解して置かなければならない。

しかしそれを強要することは酷なのかもしれない。大企業において大きな変化もなく、その中でいかにうまく生きていくことが必要とされ、そこに能力を特化させ生きてきた人がほとんどといえるような時代において何もないということがどれ程普通なことであるかということを自覚しなければならない。

臨機応変さや新陳代謝なんて求めてしまうこと自体がズレているのかもしれないと思う。
そんな中、本書でも書かれているが『日本再興の足がかりはアメリカ』である。それは日本とは違い常に新陳代謝が起こっていることが要因。
本書でかかれている足がかりの一つに『イノベーション』がある。イノベーションとは単に借り物競走という言葉に私自身、納得した。自身でイノベーションを起こすための技術や資金、その他様々なものがなくても借りてくることでイノベーションは実現可能になる。

そしてイノベーションで大切な考えは、セカイ的イノベーションを目指すのではなく、今自分がいる地域にある業界において、少しだけ早く動けるようにすることでイノベーションは可能だという。
要は世界的なイノベーションではなく、自分の経済圏でのイノベーションを考えることが重要である。
イノベーションの最適化ではないだろうか。
更にお伝えするならばイノベーションとはゼロイチではなく、繋げることだということを理解しておいた方がいい。

第三章に入ると教育の話になる。私自身、教育についてはメチャクチャ興味がある反面、教育において本当に日本は教育しているのだろうかと疑問に思うことがある。

一度考えてほしいことが、いま現在活躍している・結果を出している人は全員が高学歴なのかということと、高学歴でないと結果を出せないのかという点についてだけれども、絶対にそうではない。
実際のところ私自身、高学歴でもないし、むしろ大学にすら行っていない!それなのに会社の代表としてなんとか6期まできた。

日本において学歴を重視する大企業の従業員もしくはその学校を卒業しなければ入れないような業界を除いては学歴にはなんの意味もないということ。
本質的な話をするのであれば、日本の受験とはどれだけ暗記できるかの勝負であり、記憶力がいい人にしかライトが当たらない仕組みになっているということ。
その記憶力に今の時代、どれだけの価値があるのかは各々で考えていただいたほうがいいと思う。
私自身、記憶力になんの意味もないと考えている。それを端的にお伝えするとGoogleなどの検索エンジンよりも記憶力がある人間が存在しないことが理由だ。

だからこそこれからの時代に大切になるものの一つに『リベラルアーツ』という考えがある
それだけ日本は自由ということに対して拒否的な対応をしていると思うし、逆に自由という言葉に対してある種の固定概念を抱いているのではないかとも思う。
例えば、この画用紙に自由に描いていいて言われたときの反応を例えにして考えてほしい。
①自由に描いていいんだ♪
②画用紙って決められたら自由じゃないじゃん
これが自由に対して固定概念を持っている人といない人の違いだと思う
だからこそ、日本でいっている自由ってホントの意味での自由なのかどうかは考えるべきだと思う。

この本質こそがきっと学生時代にどういう教養を受けてきたかによって変わるのではないかとも考える。
ここで学生時代(大学)について本書でも触れていたので触れさせて頂くが、これからの世の中に必要なスキルは二分化していて『「グローバルエリート」か「技能専門職」に二分化する。簡単に本書の内容を引用させてもらうと、グローバルエリートとは、高度な知性を武器に世界で戦う少数の超エリートと実学を武器に国内で勝負する多数のエッセンシャルワーカーになる。』
だからこそ大学も二分化していくことが必要になるらしい。

とはいえ、大学に行ったことがない私にとってはなんのこっちゃ分からない内容でもあったし、正直、今でも絶対に大学に行ったほうが良かったなんてい1mmも思っていないけど・・・それはここだけの秘密で

話を本書に戻し、本書で書かれていることは納得する。それは何かというといい学校やいい会社というモノに囚われることなく自分が得意とする道をいけばいい。そのようなことが書かれていて、ここに対しては共感しかない。
学校という狭い空間に閉じ込めて育てた子どもと様々なものに触れながら育った子ども、どちらが将来、自分らしい自分が納得する人生を歩めるかはいわなくても分かると思う。

その自分らしい人生を歩むために大切なことは『江戸時代的生き方』これについては私自身、めちゃくちゃ興味があるので別の機会にまとめたいと思う。

同じ幸せを求めることに価値がなくなり・・・というか同じ幸せを求めることに対して同じように幸せに感じられなくなった時代において自分らしい幸せを求めることが必要になる。
それが相対的幸せではなく、絶対的な幸せだということだと思う。
要は周りと比べる幸せに対しての価値が低くなり、自分らしい幸せに対しての価値が上がってきている。

本書を読み終えて感じたことは、本書の中で度々出てきた『自己責任時代』とは、どれだけ自分らしい生き方をするかという助言であったように感じる。

それだけ今の日本人は自分らしさを失っているのかもしれない・・・。
そんなことを稽えさせてくれる一冊だった。


人生が少しだけゲームっぽく感じた?

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でわでわ!まつでした。またね。

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