溢れんばかりのルールたち

ルールってなにってところからこの記事は始まるんだけど、皆さんはルールについて考えたことがあるだろうか。
世の中のルールや会社のルール、学校のルールなど世の中には数えきれないルールが存在している。そのルールがなぜできたのか、ルールによって何を求めたのか。今回はその辺を私なりに少しだけ深堀しようと思う。

・・・ルールってなんだろうか。

ルール:規則、規制、慣例、しきたりなどを意味する英語

確かに必要だし、なきゃならないものなのは分かる。でもそれは最低限でいい。度が過ぎると今の日本みたいに窮屈になってしまう。だからと言って全てのルールがなくなってほしいなんて一言も言っていないので勘違いしないでほしい。

今回、私が書く「ルール」には2種類あると考えていて守らなければ「みんなが得するルール」と「誰も得をしないルール」
少しわかりずらい言葉になってしまったので具体的に説明しようと思う。

これって何かわかりやすく説明すると
「信号のルール」これはルールの中でも自分のために守るべきルール。赤信号を無視して突っ込んだら自分も傷付く。もちろん相手も苦しめてしまうこれが守らなければ自分たちを苦しめるルールと言えるのではないだろうか。
大多数の人が認知していて、それを守るから世の中がうまくまわるもの。
これを「みんなが得するルール」と考えている。

そして社会のよくわからないルール。例えば「年功序列ルール」私はこれの意味がまったくもってわからない。
ただ世の中に少しだけ先に生まれただけなのになぜ年上が偉いのか。未だに理解に苦しむ。これを私は「誰も得をしないルール」と認識している。
そしてそのルールに慣れてしまっている現代人がとても怖い。この誰も得をしないルールのせいで相手を苦しめる結果になってしまっている。このルールは誰も得をしないのに何食わぬ顔をして世の中のルールとして存在している。
このルールに慣れてしまい、相手を苦しめていることに気づいていないだけでなく、それが普通だと振りかざして押し付ける。

なぜ私がこのことを言葉にしているかというと、この行動(ルールをつくること)自体が日本を先進国から遠ざかり成長がとまった国としてしまった要因ではないかと考えるからだ。

日本が持っている技術やいい意味での細かさ、一つのことに対する執着ですら、この誰も得をしないルールのせいで弱くなっているのではないかと考えている。
もっともっと前の時代は今以上に世界に誇れることが多かったと考えている。
それだけの可能性と技術が日本にはある。
ただ日本人の良くも悪くもある同調圧力、これを日本に広めたのは日本の教育でしかないと思う。
答えが一つのことに対してどれだけ早く答えに導けるか。右向け右をできる人間をどけだけ増やせるか。
これを本気でやった日本の教育。高度経済成長時代であれば、それが正解であった。しかしそれは過去の話。今は変わった。
細かい話をすると少し長くなるので別の機会でお伝えしたい。

話を元に戻すと今あるルールは度が行き過ぎていると思うし、ルールを守っていれば守られるような世の中ではなくなったということを認識したうえで「みんなが得するルール」と「誰も得をしないルール」を区別し自分たちを苦しめるルールだけを守り誰も得をしないルールを無くしていきたい。

念のためお伝えしておくが人が集まった時にルールがあったほうがうまく進むし、楽だと思う。しかし平均点は取れるが満点は取れないと感じる。
だからこそ組織はルールをつくり続ける。そして自分達で窮屈にする。組織においてルールを増やすことってものすごく簡単。だからこそルールを減らす努力をしよう。

ルールは破るためにあるものだと思い込んでいる まつでした。またね。

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