あるべきところにそれがないから寂しい。
「寂しさ」の一つのケース。
あるべきところにそれがない。だから寂しい。
あるべきだと信じているところにそれがない、と言った方がいいか。
それがただ「ない」だけでは、寂しさはない。
親がいるべきなのに、いない。
恋人がいるべきなのに、いない。
友達がいるべきなのに、いない。
部屋に家具があるべきなのに、ない。
ある・いることを前提としているから、寂しい。
ある・いる状態が「普通」だったから、そして今それがない、いるべきなのにいない、だから寂しい。
ある・いることが「当たり前」だと感じている。
それがないから、自分が不完全な感じがする。
あるべきだと信じているものが自分に欠けている。
そんな時、今あるものは見過ごされがちになる。
存在を「当然」だと思うから、「存在がない」ことにばかりに意識がフォーカスされる。
ただ欠けている感じがして、自分が不完全な感じがして寂しくなる。
すると、あるものの「有り難み」がわからなくなる。「存在」の「有り難み」がわからなくなる。
「今」「世界」が常に与えられている。それは「有難い」こと。
「有り難う」
「ありがとう」
自然と溢れ出てくる。