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カップル・子連れ家族への同世代たちの感情

最近、同世代の友人などからよく聞く言葉がある。本当によく聞く。

「街で同世代の子連れ家族を見ると辛い」
「他のカップルを見ると、精神的にダメージを受ける」

もちろん、彼らに恋人、配偶者は現在いない。

私はそういう気持ちにならない(何年も前であればなったかもしれない)。
そういう気持ちにならないから良い・悪いという話ではない。
何が彼らをそういう気持ちにさせているのか気になる。

彼らに質問すると出てくる答えがいくつかあった。まとめると以下のようになる。

・羨ましさ、妬み
「自分が欲しいものを人が持っているのを見る」
これにより、羨ましさが出てくる。

・焦り、不安
達成すべきだが、まだしていないことを思い起こさせる。達成できるかどうかへの焦り、不安が出る。

・上記の両方

このような分類は一部の人の一部分しか表せず、個々それぞれに別の感覚や経験があるものだ。それゆえ、類型に分類するのは「個々の生」をないがしろにするものでもある。

それでもどのような共通項があるのか気にはなる。上記以外とはまた異なる気持ちがあれば知りたい。

さて、上記2つについては、「私はある記号を所有していない」というイメージから出てきた「感情」だ。
それを持っていようが達成していようが、どこか今とは全く違う違う次元の世界に移動するわけでもない。持った、達成した後の「今」があるだけだ。だから「記号」と言った。

これは「家族を持っている」「パートナーがいる」という記号に限らない。それは「キャリア」のこともある。
意味付けされた任意の記号(家族、子供、カップル、キャリアなど)がその人の「人生」という記号と強く結びついている。「人生」の"深遠な何か"、あるいは"鍵"として設定されている。

「人生」をどのようなメタファーで捉えているか、そこには現れてくる。

過去から未来へ流れる線上に、歴史年表のようなイメージだからこそ、何を達成したのかということが重要になる。達成の成果で年表が埋まれば埋まるほど「良い」人生になる。
そこには物語性も出てくる。だから「良い」物語にしようとする。「良い」という基準は自己の中で生まれた絶対的なものではない。「良い」とされる社会的な基準。「記号」は社会的なものだ。

そのような視点で見ているのだとすれば、焦り、羨ましさ、不安などが出てくるのも、無理はない。

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