ピボット/事業戦略の転換 - いつ、どう判断し、どうピボットするか
この記事では、スタートアップ経営においてもっとも難しいトピックのひとつ、「ピボット」について書きたいと思います。ピボット(事業の転換)は起業家の方に相談を受けるときに、かなりの頻度で聞かれるトピックです。
ピボットは、事業がうまくいかなくなったときだけ行うものではありません。この記事にはピボットを検討している起業家だけでなく、これからバリュープロポジションを考える方、事業が順調な方にも読んでもらえたらと思います。
「出る前に負けること考えるバカいるかよ」と思うかもしれませんが、じっとこらえてピボットという概念について考えることが、事業が始まる前や事業がうまく行っている時、でも大事になる、ということも書きたいと思います。
ピボットとは何か
ピボットという言葉を生んだリーンスタートアップのエリック・リースの言葉を借りると、ピボットとは、「プロダクト、戦略、成長に関する新しい根本的な仮説を試すための"計画された軌道修正"」です。
ピボットと聞くと、「ある事業が全く上手くいかないので、それから撤退して全くまっさらになってやり直すこと」と考える方も多いかもしれませんが、もっと頻繁に起きる「軌道修正、戦略転換」なのです。
ピボットには大小あり、大きなピボット(前述した、一から全てやり直すこと)もあれば、カスタマーセグメントを変えたりチャネルを変えたりなど小さなピボットもあります。小さいピボットも含めたら恐らく全てのスタートアップが遅かれ早かれ何度も経験し、大成功している会社でも何度もピボットしてきているはずです。
比較的大きなピボットとして有名な例は、ゲーム会社(Glitch)からピボットしたSlack、ポッドキャスト会社(Odeo)からピボットしたTwitter、オンラインマッチングサイトからピボットしたYouTubeなどが有名です。日本でも事業仮説が大きく変わるピボットは珍しくなく、10XはB2C向けの献立アプリから、B2B向けのオンラインスーパー/ドラッグストア立ち上げシステムに、見事にピボットに成功しています。
また、小さいピボット(セグメントやチャネルの変更)であれば、スタートアップにとっては、ほぼ表に出てこないくらい当たり前の経営の日々の意思決定だと言えます。CADDiなどもターゲットのセグメントを超初期から調整しつづけ、正しいセグメントを見つけるたびに事業は成長していきました。
かつピボットは一度とは限りません。成長する過程で、事業環境/技術環境が変化したことで、iPhoneをローンチしたAppleも、モバイルに特化していったFacebookも、それぞれ大企業になった後にピボットしているとも言えます。
これら大小様々なピボットも含めて考えると、ピボットとは撤退、ではなく、戦略転換。事業環境の変化や、ユーザーからのフィードバックを適切に集めながら、適切なタイミングで戦略を変換することで、スタートアップが成功して続けるためにはピボットは欠かせないとも言えます。
ピボットすることで、リソースをより期待値が大きな事業、戦略に振り向けることができ、ピボットとは、リソース配分の最適化の問題なのです。
スタートアップの経営ではピボットが会社を殺し、ピボットが会社を成功させます。ピボットのうまさは経営者の経営のうまさを表します。
また、今後ここで書くこのピボットという概念は、ソフトウェア等のテックスタートアップを想定しているものです。ソフトウェア以外のオペレーションが多い事業、資金をJカーブ(最初期に投資を行い、後に利益率が劇的に改善し回収する)ではなく積み上げて行く事業ではピボットという概念は当てはまらないことも多いです。
"粘り強さ(Grit)"はまず何よりも大事
起業家は、そもそもGrit(粘り強さ)が極めて強い人たちで、楽観的できっとうまくいくという強い思いも持っている人種であり、どんな状況でもそうあるべき、だと思います(でないと起業していないし、成功の確率も低いと思います)。
執念、粘り強さ (Grit, Perseverance)は起業家にとって一番と大事と言っていい要件で、僕らの投資先のCEOはスキル、経験、能力、様々な方がいますが、粘り強さ(Grit)こそが投資するCEOに共通する、唯一、絶対の必要条件です。
↓昔書いた、執念、粘り強さについてのnote
そんな起業家に極めて大切なGrit、執念、粘り強さを考えると、ポンポンと事業を変えるのは本来あるべきではないと思っています。
ただし、一方で、Grit(粘り強さ)がありすぎて、PMFが弱く、成功確率が低くなっても、ピボットせずに過度に粘り強く、諦めきれずに将来性の低い事業を続けてしまう起業家が多いのも事実です。
ただし、ひとつの事業に対するGrit (粘り強さ)と、"成功"に対するGrit (粘り強さ)は別で、多くの成功企業はこだわりを捨てて成功を求めてピボットしています。Slackの創業者Stewart Butterfieldにいたっては、Slackへとピボットした事業もずっと遊べるエンディングのないオンラインゲームですが、その前に売却した写真共有サイトFlickrも、ずっと遊べるエンディングのないオンラインゲームからのピボットです(その名もGame Neverending)。それだけずっと遊べるエンディングのないオンラインゲームにこだわりがあるのに、現実に目を向けて、2回もピボットして、2回も成功しています。(彼がまた起業したとして、それがやっぱりきっとずっと遊べるエンディングのないオンラインゲームだったら本当にかっこいい)
一般的にピボットは「自分の負け、間違いを認めるもの」として捉え、「粘り強くやっていけばいつか道が開ける」と考える起業家は少なくないと思います。その背景には、起業家のそもそもの性格や、「負けない方法は勝つまで続けること」「諦めたらそこで試合終了ですよ」と諦めないことを鼓舞する言葉が多いことが理由にあるかもしれません。(実際に僕もそう思っています)
この記事では、そんなGrit (粘り強さ)がある起業家の方向けに、前半ではいつピボットをどう判断すべきか、という人間のバイアスの話。後半ではどうピボットするかという事業戦略の話をしていきたいと思います。
いつピボットするか
バイアスにより遅れる判断
VCとして、ピボットを検討している様々なステージの起業家から相談を受けます。どんなステージでも、プロダクト開発前(創業者チームのみ)、プロダクト開発後PMF前(創業者プラス数人)、シリーズA/B以降くらい(社員数十人以上)でも、「いつピボットするか」という問いに対して共通する傾向があります。「意思決定が非合理的になり、ピボットの決断が手遅れになりがち」ということです。
なぜなら、ピボットを少しでも検討する際は、"バイアスのデパート"、と言えるくらいバイアスが絶対に存在する状態になっていて、どのようなステージでもダメでも粘り強く続ける方向に、大きなバイアスがかかっているからです。
ある事業をやると決め、開発や経営に費やした何ヶ月、何年もの血と汗と努力の期間はサンクコストとなり「ここまでの努力を無駄にしてはならない」と判断を鈍らせます。
ピボットをすると判断した場合、それまで投資してきたマーケ費用や資金がコストが損失として目の前にあらわれてしまうため、「これまでの投資がそろそろ花開いてくるはず」と損失回避(loss aversion)がより一層、事業を継続するように判断を妨げます。
さらに事業がうまくいってほしい、何とかPMFに早く達成したいと強く願い続ける確証バイアス(confirmation bias)が働き、あまり本質的ではないKPIの改善も「数字が良化してきた!うまくいっている証拠だ!このまま続けよう!」と、自分に都合のいいファクトだけが目に入ってきます。
そしてこれらのバイアスは、ステージが進むごとに増えていきます。その事業が必ず成功すると説得して入ってもらった社員、PRで世の中にコミットしたメッセージ、資金調達の際にで投資してもらった株主、増え続けるコミットメント、約束がさらにバイアスを増幅させていきます(escalation of commitment)。
このバイアスのせいで、「大体のピボットが"遅い"」という状態になってしまいます。検討において、自分の中で「やめるか続けか、五分五分だな」と思ったなら多分それはすでにピボットすべきかもしれません。社員や株主やいろんな人の顔を思い出して悩むかもしれません。ただし、
「皆が納得するまで待ったら手遅れ」
なのがピボットです。
いいピボットは大体そのときは早すぎるように思えます。10Xの矢本さんがタベリーからStailerにピボットしたいと教えてくれた時、タベリーは成長しておりユーザーからの評価も高く、僕もまだまだ始まったばかりで早すぎるのではないかと驚きました。Slackがピボットする前のオンラインゲームも、ピボットを決めたその前の週これまでで最高の成長が見られており、多くの投資家がピボットの意思決定に驚いたそうです。いいピボットは多くの人が少し驚くくらいでいいのかもしれません。
いつピボットするか、のタイミングは、前述したとおりバイアスとその起業家のGritの強さが大きく関係するため、往々にして遅いものの、早い、遅いは人によって大分違いがあると感じます。
プロダクト開発前/シードラウンド前のピボット
まず起業準備段階だったり、プロダクト開発前後のバリュープロポジション段階やシードラウンド前のピボットはピボットとも呼べないくらい、ユーザーからのフィードバックに違和感があったなら迷わずすべき行動です。
ユーザーヒアリングから仮説が外れたり、ユーザーからの反応が悪いなら、どんどん仮説を変更しましょう。プロダクト開発に投資をする前に、PMFが確かなバリュープロポジションの仮説に到達するのがこのフェーズの目的です。
DCM投資先のEnechainも、起業準備中は、同じ電力業界向けではあるものの、今とは全く違うアイデアでした。そこで違うアイデアをいくつも試し、今のアイデアに行き着いています。
このように、アイデア、プロダクト時点でのピボットは枚挙にいとまがなく、最近のユニコーン企業でもBrexはVRヘッドセット、RetoolはUK版Venmo、Segmentは学校の授業でのフィードバックツールでした。起業前のアイデアを変更していない成功企業はむしろ少ない、くらいの気持ちでいいと思います。
プロダクト開発後、PMF前のピボット
ピボットをする際の最も大きな理由は、PMFがないことです。事業やプロダクト大きな転換が一番多くやってくるタイミングがこのフェーズです。
この段階で重要なのは、本当にPMFがあるのか、を冷静に、客観的に、合理的に判断するという一点につきます。
この「PMFがあるか」の判断は、将来事業が成功するかということもそうですが、今後組織、開発、マーケに対する何億円もの投資をこの事業に投下すべきか、という投資の意思決定であり、まさに"million dollar question"です。
この段階でも、あと1年で次のラウンドをやらないといけない、XX年X月までにPMFを目指してきた、など多少焦りを生むバイアスもあるかもしれません。
ただし、恐らくここまでは社員数人でやってきており、バイアスもそこまで大きくなっていないと思います。この後資金調達をし、社員を拡大すると、今とは比較のしようがないほどバイアスは大きくなってしまいます。
これがある意味、合理的に意思決定が行える最後のチャンスだと思い、目を背けず「今のプロダクトには何億円もの資金を投下すべきほどのPMFがあるか」意思決定をしましょう。
シリーズB以降のピボット
ピボットはリソースを振り向け、より期待値が大きな事業、戦略にシフトすることことであり、シリーズB以降でも小さなピボットであれば、どんな会社にもやってくると思います。成長がが止まったなら、セグメントを変更(例: SMBからエンタープライズに)してみたり、新たなチャネル(例: 直販からパートナーセールスに)に挑戦してみたり、小さなピボットは何度もやってくるでしょう。
ここで最も難しくなるのが、プロダクトや事業の根本を変える大きなピボットです。つまり、今まで開発したもの、作り上げてきた組織の、多くを白紙に戻す意思決定です。
この段階ではサンクコストは途方もなく大きくなっています。でも、ピボットとはリソース配分の問題。これまでかけたコストや時間(サンクコスト)、ではなく、このあとかかるであろうコストや時間を比較し、今ある事業を続けたときと、新しい事業を続けたときの将来の期待値を比較して意思決定をすべきと言えます。
この段階でよく耳にするのが「赤字はあまり出ていないから継続しようと思う」という言葉です。でも本当に考えるべきは将来生み出す利益の大きさ。今は赤字を生んでいないかもしれませんが、そこで使われる開発リソース、営業マーケティングの予算を全て新しい事業に振り向けた場合、継続とピボットのどちらが多くの将来利益を生み出すでしょうか。またもう一度起業できるとしたらまたこのアイデアでやるでしょうか。
Marc Andreessenは"5年"というのを一つのテックスタートアップのマイルストーンであり、それ以上は粘りすぎと言います。「5年以上を過ぎて成功のシグナルが目に見えて明らかでなければ、 その後組織を保つのがとても難しい」ためです。5年というのは一つの考え方ですが、成功がないならば、長い期間組織や自分のモチベーションを保つのは難しいのも事実です。従業員の方は、ピボットすべきなのではないかと、実は思っているかもしれません。これも一つのサインになるはずです。
このフェーズでのピボットが難しいことは間違いないですが、だからと言って成功の余地がないかというと、そうではないと思います。まさにSlackの前身のオンラインゲームで$20M近く調達し、4年間開発し、45人の従業員がいて、そこで多くを解雇せざるをえなくてもピボットして今に至っています。難しいし、痛みを伴うけれど、将来の期待値を比較して、そうせざるを得ないと判断したなら、早めに行うべきなのがこのステージのピボットです。
経営者だけじゃなく、従業員は人生をコミットし、投資家は資金をコミットし、顧客はリスクや社内での自分のレピュテーションやコミットしています。事業の根本を変えるピボットを行うと、紙の上の戦略だけじゃなく、培った組織に、培った顧客との関係性も変更する必要があり、組織の人数が増えれば増えるほど、顧客が増えれば増えるほどピボットは難しくなります。だからこそ、ピボットはなるべく早く判断すべきなのです。
そうせざるを得なくなったなら、真摯に時間をかけてコミュニケーションしてください。Slackはピボットで従業員を解雇せざる得なくなった際には、解雇した全員が次の仕事を見つけられるよう、就活用のウェブページを作り、レファレンスコールをし、レジュメの書き方を指導し、その結果一人残らず全員次の仕事が見つかったようです。
どうピボットを判断するか
どうやってピボットを判断するかについては、Annie Duke氏のQuitに書いてある、物事をタイミングよく辞めるためのコンセプトのうち、とても参考になるものを2つ書きます。
判断基準(Kill Criteria)を事前に決める
よく大企業で新規事業を策定するときに「撤退基準」を決めることが一般的かと思いますが、スタートアップも効果的にピボットをするためには、必ず「事前に」その判断基準を決めるべきかと思います。
「この事業のPMFはこのKPIがこの程度になるはず」「PMFのあとはCACがこの程度でこれくらいのチャーンで顧客獲得できるはず」と、まだバイアスが少ない事前のタイミングで、成否判断に用いる指標とその水準を決めるのは、極めて効果的、というか必須かと思います。
キャリアでもなんでも、多くの人が当たり前のように明記しなくてもこの「撤退基準」を持っているかと思います。はじめてスポーツを始めた小学生のとき"プロ"や"オリンピック"を目指していた人は少なくないと思います。それが「小学校で一番にならない」ならオリンピックを目指さなくなり、「高校でスタメンを取れない」ならプロを目指さなくなり、「大学リーグでいい成績を取れない」ならプロを諦める。など実は明言しないけど誰もがわかる「判断基準」は世の中に溢れています。
スタートアップの経営では実はこの「判断基準」は曖昧だったりして、ずるずると判断が遅れるケースが散見されます。理由の一つは事業モデルごとにその基準が異なるため"当たり前の基準"が少なく、他社の成功/失敗と比べづらいこと。また、やり続けていると"少し"は成長する(しそれだけの実行力が強い起業家が多い)ことがあるからです。
ただし、実は判断において一番厄介なのが「"少し"は成長」です。全くうまくいかないならピボットの判断は難しくないです。ただし大半の会社が陥るのが、もう少しうまくいくかと思っていたけど、でも成長はしているという状態で、この判断が難しい。さらに恐らく強くバイアスがかかっているので、「現状維持」することになります。「撤退基準」はこの曖昧な判断にこそ役立つと思います。
「出る前に負けること考えるバカいるかよ」とアントニオ猪木のように起業家も起業家に関わる方も思う傾向にありますが、この判断基準、ピボットも含めて、それが計画、ゲームプラン、プランBです。
LinkedIn創業者のリード・ホフマン氏は、プランA, プランB, プランZも考え、状況に応じてプランAが難しそうなら、事業仮説の一部を変更したのがプランBで、全ての事業の仮説が外れたときに、ほとんど新たな事業を始めるのがプランZと言っており、ここでいう小さいピボットはプランB-くらい、大きなピボットがプランZというイメージです。
繰り返しになりますが、ピボットは戦略転換であり、ミスを認める行為ではありません。なので撤退基準ではなく判断基準、プランB-。こうなったらピボットする、という判断基準、計画を持っておけば、ピボットすら計画通り。ある一定の基準を満たしていないならば、「計画通り」ピボットすればいいんだと思います。
事前に基準を決めて、決めたあとは思いっきり成功だけを信じて、頭は冷静に、心は「出る前に負けること考えるバカいるかよ」で勝負しましょう。
撤退コーチ(Quitting coach)を持つ
Annie Dukeのコンセプトでもう一つ有用だと感じるのがQuitting Coach(撤退コーチ)です。
継続か撤退か、を考える際に、その意思決定を当事者だけで行わなず撤退コーチをうまく使うべき、なぜなら当事者はコミットして思考の沼にハマっておりバイアスが多いから、という考えは比較的納得感が強いかと思います。大企業の新規事業においても、その事業を継続するかどうか、は当事者たちではなく、財務や経営管理を見ている部門のほうが公平に判断できます。
ここでより大切になるのが「誰を撤退コーチにするか」ということです。撤退コーチを設ける理由としては、バイアスなく、できる限り客観的な視点で、ただし事業と経営者を深く理解した人から、真実を伝えてもらい、正しい判断を行うことです。
まず前半部分の「バイアスない客観的視点」でいうと、社内だとどうしても多くの人が、賛成か反対か強い意見、個人的な立場があることが多く、なかなか難しいかと思います。もし社内だとしても、事業に関わっていない、CFOのような人がいいのかと思いますが、それもなかなか稀かと思います。
Quitの中でも、も「外部から"観察"する立場にある人のほうが、あなたと同じ状況にはいないため、合理的な判断を行える可能性が遥かに高い」とノーベル経済学賞を受賞した行動経済学者ダニエル・カーネマンのコメントがあります。
次に、スタートアップのピボットに関しては「事業と経営者を深く理解している」というのも大事になると思います。事業を深く理解していないと、そもそも「判断基準」が妥当化もわからず、正しい判断ができません。なので、近すぎず、遠すぎず、事業の内容もわかりながら、事業の当事者ではない、という人を選びましょう。
また、「経営者の性格の理解」もとても大事です。前述したとおり、判断が早いか遅いか、どれだけ粘り強いか、というのは経営者の性格で大きく異なります。また、大切な観点として、経営者であるあなたがどれだけ疲れ切っているか、つらい思いをしているか、それがどう顔に出ているか、それを読み取ってくれるのもそのコーチなのかもしれません。
最後に大事なこととして「真実を言ってくれる」人でないといけません。日本ではこの点は要注意です。外部の人で事業を理解している人、というと株主が思い当たると思います。ただし、ここで必ずしも本当のアドバイスをしてくれる株主は実際は多くはないです。
経営者の判断を"応援"してくれるチアリーダーのような株主は多いですし、いつも心の支えになることでしょう。そしてチアリーダーであるほうが楽です。
例えば事業が撤退基準を下回っている状態で、「ピボットを検討してみたほうがいいのでは」と言うと、もちろん経営者の方は気に障ると思いますし、強く反発するでしょう。誰もわざわざ経営者が嫌がることを言いたくはないです。
それでも、経営者とスタートアップのリソースを最大限効率的に使うために「真実を伝えてくれる人」はとても貴重です。僕個人が考える「経営者に真実を伝えられる能力」に必要なのは、洞察力、鋭さ、正直さ、胆力、CEOの性格に対する理解と優しさと尊敬です。
シリコンバレーで著名なエンジェル投資家であるRon ConwayのエピソードもQuitに記載されていますが、彼は”起業家に適切なタイミングでその事業をあきらめさせたこと”を誇りに思っており(彼が大切にしている哲学は"人生は短すぎる")、事業が恐らくもうどうやっても成功しない段階にきた起業家に対しては、自分がそう思う理由を説明し、その場で判断基準を二人で決め、数ヶ月後に判断する、というプロセスをとっているようです。
撤退基準(Kill criteria)も、撤退コーチ(Quitting coach)についても、スタートアップのピボットだけではなく、キャリアなど一般的な意思決定すべてに当てはまるコンセプトだと思います。そして何はともあれ、スタートアップでは最後は経営者である自分が決めることになります。そこで正しい判断ができるよう是非この2つのコンセプトを利用してみてください。
どうやってピボットするか
事業仮説の何を生かすか
ピボットを決めたときに、まず考えるのは、「これまでの事業仮説の何が間違っていて、何を変更すべきのか」「これまでの事業仮説の何を生かすのか」ということです。
"根本"の事業仮説、バリュープロポジションにおいて、カスタマー、ペインポイント、築いた技術とプロダクト、のどれを変更して、どれを残すのか。単純化するなら、変更点が少ないなら小さなピボットですし、ほとんどを変更するなら大きなピボットです。
どの仮説も変えないけれど、少しカスタマーセグメントを"調整する"小さなピボットを行ったCADDi、ペインポイントとプロダクトは変えないけれどカスタマーをB2CからB2Bに大きめな変更を入れた10X。はたまた、カスタマーもペインポイントも根本のプロダクトをも捨ててやり直す大きなピボットを行ったSlack。
セグメントやチャネル、ビジネスモデル(課金モデル等)のピボットは比較的難易度が低く、バリュープロポジションの多くを変えるならその難易度は高くなります。したがって、「出来れば」これまでの事業からの学び、資産を使ってのピボットが「望ましい」とは思います。
特定のカスタマーについてヒアリングや開発を続けてきたなら、そのカスタマーの「別のペインポイント」はきっと確度高く見つかるはずです。あるユーザーのペインポイントと課題を深く理解しているなら、別の「価値と機能」も思いつくでしょう。
同じ価値とコアとなる機能は変えず、同じようなペインポイントだけれど、「顧客」を違う業界に、違うセグメント、違う国へと変更するということもあります。10Xの例は、これまで開発した機能を用いて、同じ(エンドユーザーの)ペインポイントだけれど、顧客をB2CからB2Bへと変更しました。
Slackは、カスタマー、ペインポイント、機能、全てオンラインゲームを捨ててやり直しなのですが、Slackの元になっている機能は、Slackの社内ユーザー向けに使っていた社内ツールでした。そのため、何一つこれまでの学びと資産を使っていないわけではありません。
これまでの事業で培った、カスタマーインサイト、プロダクト等の学びや資産を全く使わない大きなピボット(全く一からのやり直し)は、極めて難易度が高くなります。ただし、とにかく大事なのはバリュープロポジション。ピボットを考えるときには「これまで培った資産」を「無理やり」使おうとはしないでください。学び、資産を使ってのピボットが「望ましい」ですが、カスタマーもペインポイントもそもそも間違っていて、誰も求めていないプロダクトであったなら、全て捨てたほうが得策かもしれません。
また、CEOが変わる、経営陣が変わること、スタートアップにとってはそれもピボットです。僕らVCは事業だけではなく、というかかなりの部分を起業家にかけていおり、それが大切な投資仮説です。CEOが変わるということは、事業の根幹が変わるということと同じくらいの"ピボット"だと個人的には思っています。
マクロトレンドによる事業仮説の変化
事業仮説は、バリュープロポジション以外でもマクロトレンドの変化によって大きく変更を余儀なくされます。マクロトレンドとは、デモグラの変化、ユーザーの行動の大きな変化、技術やプラットフォームの変化、規制の変化などによっても変わります。
特にこれらは、正しいバリュープロポジションを策定し、強いPMFを見つけ、成長を続けていた高成長スタートアップや大企業がピボットを行うべきタイミングです。
モバイルの浸透によってモバイル化を急いだFacebook、クラウド化に成功したMicrosoftとAdobe、DVDからストリーミングへと変貌を遂げたNetflixは技術やプラットフォームの変化にうまく対応しピボットを成功させた好例です。
規制が変わったことで事業仮説が突然大きく変わる例もあります。特に金融分野やヘルスケア分野においては、規制改革によって大きく事業仮説が変わることが多くあります。インボイス制度、給与デジタル払い、仮想通貨、オンライン診療、さまざまな規制改革が事業仮説に大きなインパクトを与えています。
これらの事業仮説に大きな影響を与えるマクロトレンドの変化がまさにスタートアップの"Why Now(なぜ今だから成功するか)"。そのような大きな変化があったときには、既存事業、チャネル、技術に縛られず、機動的にピボットすべきだと思います。
ピボットで起きる行動
ピボットをすると、必ず組織やこれまでのオペレーションが変わります。リード・ホフマンの言葉を借りるならば、「その企業の基礎的な能力を変更せず新たな戦略を遂行したなら、かなりの確率で失敗する」ということです。ここでいう企業の基礎的な能力とは、築き上げたオペレーションであり、営業/マーケ体制であり、開発組織であり、ブランドです。
B2CからB2Bに変わったならマーケティング主体の組織から営業主体の組織に変わります。業界を変えたならこれまでのドメイン特化の営業は転換を迫られます。プロダクトや技術、プラットフォームが変わったなら新たな開発組織が必要になります。B2Cでもセグメントを変えたならブランディングを変えないといけなくなるかもしれません。ピボットをしたけれど、特にこれまでと組織やオペレーションが変わらないなら、それはピボットを遂行できてはいないのです。
また事業仮説において、カスタマーのペインポイントを変えた場合、当然必要となるソリューションも変わるためプロダクトもピボットするケースがほとんどだと思います。そのためピボットを行ったあとに、プロダクトは"全く"そのままでカスタマーだけ大きく変わったというケースのほうが少ないかなと思います。
できるだけ避けたいのは、SISP(Solution in search of a problem)と呼ばれる、「何かに使えそうな機能とプロダクトがあるから、これが使える課題を探そう」というプロダクトアウト型のピボットです。ピボットという概念がソフトウェアと相性がいいのは、まさに課題を見つけたらそこからソリューションを作って短い期間で開発を行うのが可能だからです。だからこそ、クイックに開発を行い、iterationをし、ピボットを細かく行うことができる開発チームを持つ企業が強いのだと思います。
機能のピボットを行う際には、リーンスタートアップにも書かれているzoom-in、zoom-out型の2つの方法が参考になるかもしれません。
Zoom-in型とは、プロダクトの中で特に使われている機能にフォーカスしそこに特化するピボット。オンラインデートサイトの動画アップロード機能に特化したYoutube、何でもストリーミングからゲームストリーミングに特化したTwitchなど、Zoom-in型はB2Cに多いと思います。この場合は、「ヘビーユーザー」に着目して、彼らがなぜ他のユーザーと比べて多く、何を使っているか、見てみるのがいいと思います。
Zoom-out型は、一方で今の機能に加えて、他の機能やプロダクトを加えることで、ホールプロダクト化していくピボット。日本の10Xの例がまさにそうで、最初の消費者向けのプロダクトだけでは、スーパーマーケットチェーンという新たなエンタープライズ顧客の課題は解決しないため、機能をホールプロダクトとして拡張して来ました。このようにZoom-out型はB2Bに多いです。ただ一方、必要となる開発力も工数もzoom-in型よりも多く、ホールプロダクトとは言えその中で機能の取捨選択と優先順位付けが必要で難易度は高いです。
高成長スタートアップ/大企業のピボット
前述したAppleやFacebook、Microsoft、Neftlixだけでなく、AWSを基幹事業にすることに成功したAmazonのように、高成長スタートアップや大企業にもピボット、新規事業が大事になり、大企業として成長、継続しつづけるためにはピボットし続けることが必須となります。それら海外企業だけでなく、ソニーやホンダ、任天堂、富士フイルムこそピボットの世界的な成功例です。
撤退の判断でいうと、高成長スタートアップ/大企業の新規事業のほうがスタートアップよりも正しい判断が行いやすいと思います。事業計画(撤退基準)を事前に決めていることが多く、とくに上場していれば外部の株主の目も厳しく将来かかりうるコスト、投資計画に対しても適切にフィードバックがかかりやすい。 そして何よりスタートアップのピボットは、たいていは「本業」「祖業」を諦めるということですが、大企業の新規事業は会社自体の撤退ではないのでバイアスも少ないように思えます(ただ祖業からの撤退となると、それが出来ず難しい局面を迎える大企業も多いとは思います)。
スタートアップと同様に、ある程度成長している段階でピボット(や新規事業)を行うとしたら、新たに組織とオペレーション、ブランドを変更する必要があり、まさに企業で築き上げたMoatを構築しなおすことになると思います。それまでのMoatの何が優位性を一定失い、何が今後の新たなMoatになっていくのか、深い議論が必要になるはずです。
ピボットの必要性は、技術やプラットフォームのの変化(ガソリンから電気自動車、フィルムからデジカメ、モバイル化、クラウド化)、市場の変化などで突如もたらされます。まさにイノベーションのジレンマが起きたときに、デジカメに対応できた富士フイルムとできなかったコダックを分けたように、適切にピボットできるかが、企業の存続の是非を決めるのかもしれません。
今後変わるピボットの判断
日本ではピボットが米中と比べて多くないという印象を受けます。その理由として、アメリカ、日本、中国で、資金調達環境(次のラウンドの厳しさ)、時間軸の短さ、競争の激しさ、社会的なイメージ、株主からのプレッシャー、買収というオプションの多さ、が異なることが根本にあるのではないかと思います。
日米中で投資をしている中で、シリーズA/Bの資金の調達しやすさは大きく異なり、日本が米中と比べて最もシリーズA/Bが調達しやすいと思っています(なので起業するには最高な市場)。アメリカでは強いPMFがない企業がまともなシリーズAを行えることはかなり稀な一方、日本では比較的PMFが弱くても(またはPMFがなくても)シリーズA/Bも調達できることは珍しくないと思います。なのでPMFがあるかどうかがピボットの一番の理由な中で、PMFの強弱が問われないから、ピボットする必要性も低かったと思います。
また、米中と比べて、日本のスタートアップ経営では競争も比較的激しくなく、時間軸も長い(ゆっくり成長できる)のも起業家にとって利点です。ものすごく盛り上がっている市場でも日本だと5社くらいいるとレッドオーシャンと言われますが、アメリカでは感覚的には10-20社くらいは出てきて(Dropboxが出てきたときには十数社競合がいてGoogleも10番目の検索エンジン)、中国では数百社どころか数千社が競合になったりします(P2Pレンディングは一時期4000社あり、グルーポンモデルは6000社あったと言われています)。なので、強い競合がいないから、ピボットを強いられないのも理由の一つ。
そして、社会的なイメージ、株主からのプレッシャー、買収のオプションがないことも理由の一つです。PMFがどうやっても見つからない時、米国では先のエンジェル投資家のRon Conwayの話のように、次のプロジェクト(つまり新しい会社)に起業家とチームのリソースを向かわせようとすることが多いです。なぜならやはり彼が言うように「人生は短すぎる」からです。それに投資の観点で言っても、可能性が低いことが見えてきた事業への投資を回収しようとするより、もっと新たないい機会に向かわせるほうがいいからではないでしょうか。(それは起業家とそこで働く方の人生という時間という投資についても同じ)。そのような社会的な理解が浸透しているので、最初のプロダクトがダメそうならピボットして、それでもダメそうなら次の会社で仕切り直し、という判断がされやすいです。他方、「なんでもいいから投資回収ができるように粘れよ」、という株主がいるとなかなか意味のあるピボットもしづらくなるのかもしれません。
またこの点については、そういうタイミングでうまくいかなくても、大きい会社がチームをacquihire(採用目的の買収)を行うケースがアメリカでは日本より多いこともあります。何度もチャレンジした起業家、いくつもの事業の酸いも甘いも経験した起業家は、採用面では最高の逸材になります。なのでピボットというチャレンジもしやすいのかもしれません。
今後、ポジティブな面としては、前述したような買収のオプションや社会的なイメージが変われば、もっともっと意味のあるピボットが行いやすく、起業家の時間というリソースが最大限に活用できるようになるかもしれません。
また、あまりうれしくないこととしても、これまでの超好景気に調整がかかり調達が行いづらくなった際、かつ日本のVCの投資の視点が変わった際、株主としての厳しさが増えた際には、PMFの基準に対して厳しくなりピボットが求められるケースが増えるかもしれません。
いずれのケースにせよ、ピボットを検討しないといけない局面が増えてくるのではと思います。ただ、それは悪いことではなく、起業家とスタートアップに関わる方のリソースを最大限効率的に使うことが出来、またそこから日本のスタートアップにイノベーションが増え、Slack、Twitter、Youtube、Netflix、Apple、Microsoft、Adobe、Facebookのような企業が出来てくれたらいいなと思っています。ピボットは撤退ではなく、何が何でも成功するための事業戦略の転換なのです。
本記事はここで終わりです。DCM Venturesでは、できる限りシード期にしっかりとしたバリュープロポジションを作り、後にダメージの大きいピボットを減らすために、起業家むけのシード投資プログラム、DCM Atlasを年に1回のペースで行っています。