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シャングリラへゆく⑧ 茶葉古道を訪ねて再び南に進路をとる

理想郷のことを人はシャングリラと呼ぶ

雲南の香りに魅せられて僕は旅をした
冒険家が探し求めたシャングリラに想いをよせ
奥へ奥へ雲南省の秘境を旅した記録

①から読めばより深く楽しめます
シリーズ「チベットへゆく」の第二部
シャングリラへゆく物語

茶葉古道を訪ねて再び南に進路をとる

納帕ナパ海草原で水葬場所を見て
大草原を馬で横切り車の待つ場所まで戻り
香格里拉シャングリラ市内へと向かった

香格里拉古城の横に亀山公園という場所があり
丘の上にチベット ゲルク派の大佛寺がある

亀山公園

山の上に巨大なマニ車があり
遠くからでも見えシンボル的でもある

チベットではマニ車を1回転さすと
お経を1回読んだ事とされる
お経読めない僕は楽したい派
なので必死で回す(笑)

巨大なマニ車

チベットに行けば至る所に回転装置があり
信者は輪廻思想に基づきクルクルと回す

小さなマニ車を手にし歩く信者は多い

チベットマニ車

2014年の火事で半分を失い再興している為
景観や雰囲気に少し物足りなさがあり
近代的な区画整理で昔のような景観は減った

麗江より大きな四方街(中心広場)があり
そこで毎晩少数民族が大勢集まりダンス

一種のパフォーマンスではあるけど
観光客を楽しませてくれる
大きな輪を作り、皆でダンス
昔 麗江の狭い四方街でも同じように
少数民族によるダンスが行われていたが
観光客が増えるにつれ消滅した

少数民族と広場ダンス

夕食はチベット料理系の店に入り食べた

チベット料理
チベット料理

夜の散策は簡単にし早めに旅館へ戻る事にした

翌朝
午前中は海抜3500~4159Mに位置する
観光地化された普達措国家公園へ行き
綺麗な景色をみた

午後に戻り小型のバスで
僕らは進路を南へ向けた

麗江をさらに2時間程南下した位置にある
とある村に向かった

沙渓シャーシ古鎮地図

この村は沙渓シャーシ古鎮といい茶葉古道により
盛んになった古い町の一つ

沙渓シャーシ古鎮地図

規模感が小さい事から急激な発展せず
あまり知られずゆっくり観光地化が
進んできた場所

明代の景観を
ほぼ完全に現在まで 
その姿を変えずにとどめている珍しい町

白族ペーぞく民居が取り囲み綺麗な町

沙渓古鎮の一角風景

観光地化しきった麗江を見てきただけに
この沙渓シャーシ古鎮に着き観光すると
この町の良さが身に染みて感じていく
静かな川の流れと同じく
時間も、さらにゆっくりと流れ
居心地がとてもいい

大理から北へチベットへ抜ける
茶葉古道ちゃばこどうの途中の村

玉津橋

恐らくこの町は、
あまり日本人にも知られていないのだろう

僕はこの町に入り少し散策しただけで
直ぐに気に入ってしまった
それは直ぐに昔の風景が浮かぶほど
この村は不思議な雰囲気を持ち 
迷い込む僕らを
蜃気楼の中に連れてゆく

ユラユラ目眩を覚えながら思い浮かべる

村にたどり着いたキャラバン隊は
玉津橋を渡り狭い東寨門から村に入ってくる

ゆるい坂になった狭く歪んだ路

のらりくらりと体を揺らしながら
進み宿を目指す
キャラバン隊に群がる旅館の客引きと
交渉しながら宿を決めると
運んできた荷物を下ろす
馬やロバは疲れを癒やし
商人は町の中心にある寺登街に
商品を並べ賑わいの市に溶け込む

拉薩への道は険しく遠い
そしてまだ普洱プーアルは熟していない
緑茶の香りが若々しく
一時の休息を経て
キャラバン隊は進路を北にとる

その風景が今でも目を閉じる必要もなく
思い浮かぶような絵にかいた町が
沙渓シャーシ古鎮

東門から入る馬

茶葉を運ぶことが人生だった茶葉商人
そんな人間模様を想像してみる

こんな緩やかに発展を遂げていく町は
麗江古城を経験した後なら、尚更
心に印象を強く残してくれた

茶葉古道を訪ねて再び南に進路をとる

茶葉古道に興味があり調べて行くと
この町の名は出てくるが一般的には知られてない
中国人観光客も、まだまだ少ない

時を超え 明 時代に迷い込む事ができる村

もし自分が 
この時代に生まれ
茶葉商人を出迎える旅館の人だったなら
ここは楽園な気がした

理想郷は 
きっと こんな素朴な暮らしの中に
あったのだろう

黄金に輝き華やかな理想郷は
長くは続かない
人は欲深き生き物なのだから
シャングリラとは
その象徴なのかもしれない

沙渓シャーシ古鎮を更に散策してみる へ続く



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