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革命未だ成らず!孫文先生ってば!②

前回は少し孫文先生の男らしい部分を書いてしまいました。が 僕が知る孫文先生について もう少し触れたいと思います。だって凄い人なんだもん!

近代中国を知るうえで欠かせない人物でもある為です。中国という国がどのような歴史を経て現在のようになってきたのか?何度も言うんだけど

中国近代史は とても面白いんです

歴史に if は ないけれど・・・もし と思える事が中国でも山ほどある。孫文が近代中国へ向けて取り組んでいたのは三民主義です。教科書にも載るほど有名な三民主義という言葉。

民族主義 ・ 民権主義 ・ 民生主義 の3つを指します

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何か難しい言葉に ついていけない・・・のですが           要は民主主義国家を目指したのです。

えーっ!中国に そんな考えもつ人いたのーーー!って思うかもしれませんが  安心してください。 居たんです。若干数名ほど。

長い歴史の中国史3000年の歴史!って中国人に言うと

コラ!小日本人! 中国は5千年の歴史アルよ!2000年足りない!

と怒られます(笑)

まあ かなりアバウトですが 

いえるのは兎に角 長い歴史がありキングダムの世界のようにオラオラ系で支配してきた中国・・・いや中華です。

最後の統一王朝 大清国  1911年の辛亥革命により倒され1912年で幕を閉じます。その後 中華民国として1949年9月末まで現在の中国大陸を支配していた。その後 現政権の中華人民共和国が建国した。

中華民国が南京で成立した時の臨時大総統 臨時という立場でTOPに就いた人が僕らの孫文先生だ。 

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しかし その当時はまだ国内も統一されていなく、北京の紫禁城には ラストエンペラーの愛新覚羅溥儀(ふぎ)が皇帝として在位していた。当時 北京で清の軍事を掌握し北側で勢力を持っていた袁世凱(えんせいがい)という人物に皇帝を退位させるように説得をさせる。条件として中華民国の大総統の座を譲る約束をする。孫文は短い期間だが成立から少しの期間だけ臨時大総統を務めている。

しかし その袁世凱が キングダムのようなヤツでオラオラ系。自分の為に皇帝に退位を説得し孫文との約束を果たす。そして次期 大清国の次の新しい国 中華民国の大総統の座を手にする袁世凱でった。

権力を手にしたら 袁世凱は 自分は皇帝だ!と名乗りだし       しまいには国名も変えてやる!!!!!!と駄々をこねる。そして

中華帝国   と変えてしまった。俺が皇帝だー!って

民主国家を目指してるって言ってるじゃん!話が違うじゃないか!って事だけど うまくいかず反発もあり、その後1年足らずで権威をなくし病気で亡くなる。その後は1916-1928年の間は統一政府がなく軍閥が支配しる時代があり 国内は混乱して その時に外国から中国の植民地化が進んでしまう。日本やフランスやアメリカなどがやってくるんです。

そんな中の1919年に孫文は中国国民党を誕生させてるんです。

孫文先生は1925年に北京で亡くなってますが、彼が生きた時代は日本でいうとまさに 幕末と同じく 幕府を倒し民主的な国を作るぞ!と立ち上がった感覚に似ているのかもしれません。

日本はいち早く文明開化を遂げ近代化を図り近代化する戦争や兵器開発に進みますが中国はまだ その頃 呑気に茶でも飲んでた。いや・・・イギリスからアヘンを吸わされていた時代です。悲しい過去(泣)

日本が近代化に成功し戦争兵器も近代化していきアメリカやイギリス、フランスといった自由と言いながら押さえつけて植民地化を進める彼ら、しかし日本は植民地にならずアジアではいち早く西側諸国と戦いを挑んでいきます。そして国内には大清国の時代錯誤で変われない人達がいる。

孫文の生きた時代は激動の時代です。

色んな事ありすぎて ありずぎて・・・さ 本当に色々あった時代。

癌で58歳という若さで亡くなっている。

その意志を受け継ぐ形で国民党を動かしていくのが蒋介石になる

孫文と蒋介石も色々な縁がある仲であるが孫文的には有能な軍人として蒋介石を見ていたんじゃないかと言われている。

マカオの上に当たる広州に 黄埔軍官学校を建て 近代的な戦いが出来る軍人を育てる学校を作る孫文だった。その学校のTOPに蒋介石を任命し行かせる。蒋介石は そんな遠い場所で現場から一線を外れた軍官学校の先生には興味なかったが 孫文からの強い要望もあり引き受ける事になる。

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この事で蒋介石は 孫文亡き後に 国民党で自分の地位を高め政治を動かすうえで、この時に出会った軍人達のバック背景もあり慕われていた関係もあり国民党内の派閥とも戦いながら政治を動かす権力基盤を得ていく

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孫文は自分の後継者に蒋介石を指名したかは わからないが、自分の死後 蒋介石がここまで力を発揮し戦っていたとは考えてもいなかった事でしょうね。

そんな 孫文先生のお墓って 南京にあり めちゃくちゃデカい中山陵に埋葬されている。兎に角デカい。秦の始皇帝よりデカいんじゃない?

そして台湾でも建国の父として 扱われ めちゃめちゃデカい像もある

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台湾は 今でも中華民国として 孫文の意思を受け継いでいるというスタンスになる。それは蒋介石が台湾に国民党毎引っ越ししてきた関係もあり台湾では中華人民共和国とは違う中国が誕生する歴史背景があり 今日の中国本土と台湾の関係が見えてくる。

なんで台湾と中国って揉めてるの??意外と知らないし 同じ中国人でしょ?とか そもそも違う国でしょ。とか 色々意見がある

どれも正解であり どれも正しいとも言えないのが今の関係かもしれない。

歴史を紐解いてみる中で見えてくる 現代の問題

孫文先生ーーーー!まだ 中華は統一されてません。

南京の大きなお墓で寝ている場合じゃないんですよ!早く出てきて

僕たちを導いてください!

革命未だ未だ成らず!(マジで!生き返ってよ ゾンビでもいいからさ)

中国って面白い!


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