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上海ユダヤ難民記念館

こんにちは

今回はユダヤ難民のお話です
上海にはユダヤ難民記念館が存在します

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1933年~41年ので3万人程の難民が
上海に訪れてます

ナチス政権のユダヤ人迫害により
ユダヤ人は世界に
難民として逃れて行きます
日本にも多くの難民がやってきました

そこで活躍した
一人の日本人外交官がいます

杉原 千畝(すぎはら ちうね)
別名 東洋のシンドラーと呼ばれた人物です

彼は国の命令に反して難民に
多量のビザを発行し
多くの命を助ける事になります

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そんな彼もご紹介されてました

僕もあまり詳しくしりませんでしたが
改めて歴史の勉強になりました
彼が助けた難民の多くは
日本を出て上海へやってきたそうです

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当時の上海は自由港で
人種、民族、国籍の区別なく出入りが
できたようです

1930年代後半は日本が占領していた
租界エリアに強制的に居住させ 
ユダヤ人街が形成されます

そして 
その跡地にユダヤ難民記念館が建っています

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歴史を振り返るパネルや映像、写真が沢山あります

意外と普通に人がきていました

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当時の貴重な品、
生活を垣間見るようなモノが多いです

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ローソク立て

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これは食事の配給券です

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ユダヤ人の新聞もあります

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いくつもの部屋に別れ展示されてます

建物は歴史があり今でも綺麗に保存されています

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第二次世界大戦の歴史も大きく取り上げられてます

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上海のシンボルの外灘にある
和平飯店の建設の様子
ユダヤ人との関係があるのかな??

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終戦後 1948年にイスラエル国家が
建国されると上海のユダヤ人も新天地を求め
イスラエルへと行きました

最大3万人もいたとされるユダヤ人は
1957年には100名程に減りました

その中でも上海に残り続けた男性がいて
中国人女性と結婚し
その娘が書いた本が何冊もあり
メディアにも登場するちょっとした有名人です

中国で生まれ育った彼女は
一時期イスラエルへ戻ってましたが

再び中国へ戻り
自分の祖国はやはり中国だ!
として中国の国籍を取得しました

今では数少ないユダヤ難民を伝える一人です

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そして何故か この人の息子と
妻の劉さんは何度か連絡を取り合った事があり
連絡先知ってると!いうのです

記念館の最後の方の部屋で
この本を見て
僕に教えてくれました

えっ!どういう事? と 知り合いなの?

深い友達とかではなく
数年前にイスラエル旅行したい!となり
調べてる時に劉さんが相談してた人

結局色々な事情からイスラエル旅行は
断念する事になりましたが
その時にアドバイスを貰ったり
ビザの件や治安や現地の人の紹介など
相談して
お世話になった人らしいです

意外なところに縁を感じ
僕は全く知らないユダヤの血を引く
この本の女性を眺めてました

それと同時に
人脈つくりの得意な劉さん!恐るべし!
となぜか
そんな事を思いました(笑)

最後の最後でそんな事言うので
それまで見た事が吹っ飛び
どう言う事?とそっちが気になり
なんで?なんで?と聞いていた(笑)

場所は 地下鉄12号線の提籃橋駅

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