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デザインとアートは同じである

デザイナーは「デザインとアートは違う」と主張している。しかし、本当にそうだろうか。問いを立ててみます。




デザインとアートの類似点

こちらの動画が非常に面白かった。そして視聴後「アートは、デザインと同じ部分が多い」という気付きが生まれたのです。

これまでの私見は以下
デザイン:「問題解決」という目的のため、機能・体験・意匠を創る
アート:伝わることは目的ではない内発的自己表現。問題提起

しかし、動画を視聴しアートの在り方に触れたことで、考えが変わりました。村上隆氏の発言とデザインを一つひとつ照らし合わせていきます。


1. 経過

全てが経過である。今我々はその結論を目の当たりにしているだけである。

村上隆氏

デザインも「経過」だと思います。現時点における最適解を創出した結果。故にあらゆる企業でリブランディング・リデザインが実行されています。

ただ企業の寿命は、人の寿命より短い。アートは作者の命が尽きた後の未来を想定された「長い歴史があること」を前提としています。

さらにaccording toという考え方からしても、あるデザインアウトプットは、その時点で関わったクリエイターたちの一つの答えに過ぎない。そのクリエイターによれば、その答えだったわけです。

変わり続ける世の中で、常にアップデートを繰り返していくこと。それはデザインもアートも「経過だ」という共通解になります。


2. 文脈

アートはプロレスと同じだ。付帯するストーリーがある。

村上隆氏

経過が過ぎゆく長い歴史の「一部」だと表現するならば、文脈とはその「一部」の前後左右で起きている事象の意味全てを指す。

アートは文脈を理解しなければならない。その時代、その作家の文脈を理解すると「見え方が変わる」ということです。

例えば日本庭園。「なぜあんなところに大きな岩を置いたのか」と感じるが、「実はその岩は最初から象徴的に佇んでいて、そこを基点に庭園全体が設計された」と聞くと見え方が変わってくるでしょう。

デザインも同様に文脈が重要です。文脈は、デザインを答えに導きます。アートもデザインも、文脈によって生まれているといえます。


3. 顧客

彼らは何を求めているのか。彼らのお眼鏡にかなうものを創るのか、もしくは全く違う世界を創るのか。どちらにしてもその世界があると認識しなければできないことだ。

村上隆氏

これには最も驚きました。アートにとって顧客が存在しないわけではない。購入者が顧客である。コレクターはユーザーである。

作品の生まれた先には市場があり、待ち望む購入者とその世界を想像すること。それは我々デザイナーと全く同じ思考ではないだろうか。

村上氏は「数億円の作品をつくるために、一千万の絵を買ってもらう必要がある」との発言をしている。アートも勿論ビジネスとして成立していなければ、活動を継続することはできないのです。

イレギュラーとはいえ、NewJeansとの案件はミン・ヒジン氏の依頼から発生しているため、クライアントはADORである。デザインと異なる点は寧ろ皆無といえる。


4. 歴史

芸術とは歴史である。現在が、どこの座標軸にあるのか。

村上隆氏

座標軸という言葉と意味は非常に興味深い。デザイン制作においては、社会課題の現状・競合との関係性などを考慮します。

今生み出そうとしているデザインによって、それらとの関係をどのように変容させようとする設計なのか。どのようなストーリーにおける「経過」なのか。どのような意思があるのか。

我々デザイナーがデザインを生み出していくプロセス・思考・試みと似ている部分があると感じました。デザインにしてもアートにしても「現在」を捉える行為です。

現在における事実と文脈を理解し、どのようなストーリーを描くのか。同じである。ますます「違い」を探すことが困難になってきました。


総論

デザインとアートは違う。
この考えは、アートを知らないデザイナー側の一方的な解釈なのか。「アートへの憧憬」が内包された主張なのか。

いずれにしても「デザインとアートが同じである」と言い切ることは不可能です。デザインとは「課題を探索発見しその解決を目指す活動」であり、その点は勿論異なっています。

一方よく耳にする「デザインは客観的であり、アートは主観的だ」という論はあまりに短絡的過ぎるでしょう。デザインこそ主観・主体によって意思を強く持つべき活動なのです。何故ならそこに正解は無く、その瞬間における最適解を常に提示していく責務があるからです。

非常に面白いテーマでした。思考を重ねたのち、また書きたいと思います。




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