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軍事技術と平和利用などについて

技術の世界では「軍事技術の研究や、軍用化可能な技術に対してのスタンス」がわかれている。
戦争行為に加担しない事を企業や研究所などが宣言しているケースがある。
それは、戦争の抑止力の可能性や、戦争の性質の解釈などが少し安易だと考えられる。

軍事技術に対して、企業や国家はどのようにあるべきだろうか。

長い間、軍隊(戦争行為)は国家間の政治活動の究極の一つの手段として存在してきた。
軍隊が時に、政治活動を「クーデター」という形で掌握するような事も幾度とあった。
「争いごとのフレームワーク」に我々は長い間囚われてきた。今も打開策を模索しているところである。

これから先の戦争や平和の維持に対して、我々はどのような戦略、戦術を採用するべきであろうか。
まず「戦争状態のフレームワークで意思決定を強いられる状態」を出来る限り回避する必要がある。
このフレームワークは、人間の命だけでなく、経済や、様々なリソースを消耗する、最悪の状態だ。

争いのフレームワークを内包する新しい世代の戦略、戦術を模索して採用しなくてはならない。
私が考えるところ、現実世界のフレームワークは友好的で非戦的なものが支持されると考えている。
関係各位の思惑や、リソースの分配、持続性などを鑑みると現実世界に適用可能で持続性のあるフレームワークは友好的で非戦的なものが好まれ、浸透していくだろう。

戦争の抑止力の為に「軍事用途の研究をしない」という態度は消極的平和志向であり、
「平和という状態は、戦争という状態を退け続けている期間であり、状態である。」と考えるべきだ。
軍事技術の研究にコミットしない、というのは「自分たちの享受する平和について、責任ある行動とはあまり言い難い」となる。

力を制御するためにより強い力を抑止力と使う方法は存在する。「核兵器などの兵器開発」などがそれだ。
また、各国政府同士の軍事同盟なども抑止力として存在するが「非常に妥協的で、戦争以外の要素に裏打ちされた不安定な条約」だらけである。
それは「争いのフレームワークでの意思決定状態を阻む」要素にはなる。

まず、核兵器などの兵器開発などの抑止力は「攻撃力が強くなりすぎて、最早、強力すぎて現実に運用できないレベル」に達している。
そして、軍事同盟や条約などは「主義、思想など、戦争の抑止以外の要素が邪魔して、妥協的な合意が氾濫している」という状態だ。

今、現実世界で行われている外交や交渉作業は「争いのフレームワーク」の中での意思決定が殆どで、好ましい状態ではない。
「争いのフレームワークに陥らないように我々ができること」というのはもっと沢山の選択肢やアプローチがあるのだ。
たとえば国家でも企業でも「軍事技術への関与をしない」という姿勢については「平和であることを維持するために出来ること」により積極的であるべきだ。
積極的戦争排他志向。

国家間のつまらない軍事シュミレーションに人材やリソースを消費するやり方はもう古い。ゲームで楽しむくらいで留めておかなくてはならない。
昨今の通信技術の発展により「攻撃の意思が無い事を相手に伝え続ける」という戦略は非常に安定していて強い。
そして、このコンセプトは国内外の軍事バランスが過剰になるのを防ぎ、内政やその他の事物にリソースを割くことができる。
軍事的緊張はまた、人々の精神を攻撃的にし、不安定なものにする。このコンセプトはそのような精神状態に陥ることを防ぐこともできる。

現状、あらゆる情報を集め、国家ぐるみで情報戦や、つまらぬ駆け引きをしている。
現実世界に適用するべきシュミレーションのエンジンや、採用するアイデアが今日の惨状の大きな要因の一つだ。
暴走する力に対しての調和のための原理は別のトピックで論じているので参考にしてもらいたい。

今は古き良き(良くない)「陣取りゲーム」のような稚拙な戦略、戦術論が現実世界に適用されている。
全く時代遅れであり、リソースの運用を誤っている。航海接続水域や領空などの侵犯行為のニュースを見るたびにがっかりする。
国家の諜報合戦は国際協力の妨げとなり、各国政府の判断を複雑で困難なものにしている。
コロナウイルスに対しての各国の対応や、連携状態、軍事兵器の無力さ、通信技術の愚かな仕様方法。どれも新世代戦略へシフトしなくてはならない。

我々は「平和というのは戦争と戦争の間に存在する猶予期間である」という命題を退けなくてはならない。
誰が言ったのかわからないこの命題は、人類が自分の行動を妥協する時に、国家レベルから個人レベルでよく使われる言葉だ。
「争いのフレームワーク」で生きていく事を続けるというのは人類の苦しみと妥協を大量に生み出し、それは誰にとっても理想的な現実世界だとは言い難い。

技術の発展や普及により「現実世界における政府や集団の意思決定メカニズムを過剰に争いあうフレームワーク」から脱出しなくてはならない。
そのためには、積極的平和志向を世界中が採用するのが好ましいし、それは真剣に考えられるべきだ。
平和な状態というのは「戦争を退け続けている状態」であり、誰もがそれを維持するためにその事をよく認識するべきだと思う。

積極的平和志向は、軍産複合体に携わる企業や人間の生活や事業体質や社会的な存在を担保し、より快適な経済成長を模索する。
国家間同士の衝突や見解の相違にも、消耗し続け暴走する力の管理、統制を普及させ、現実世界での意思決定を改めなくてはならない。
今、一時的に暴走する力と力の衝突も、その行動原理を改善することにより、収束し、調和を模索しはじめるだろう。

コントロール不能に陥った力は、暴走し、沢山の苦しみやリソースを消費し、持続性も無く亡くなってしまう。歴史が証明している。
今、コントロール不能に陥っているのは、例えば政府であり、例えば特定の思想の下に集まった集団であり、デジタル世界であったりする。

さて、このようにして我々は今、岐路に立っているというわけである。
私は、関係各位の賢明な判断と関係各位誰もが納得可能な将来を模索し続けている。
このような記事を書かないといけなくなったしまった事を恥じている。
自分は今日までの技術の発展にある程度の貢献をし、人々をはじめ関係各位を苦しめてしまったのだから。
しかし、改めて思う。貴方達ほどの能力があって、一体何故、このような事態を招いてしまっているのか、と。
私は、関係各位の素質や可能性、素晴らしさがそこにあるのを知っている。それは信じるものではなく、事実である。

読んでくださってありがとうございます。

良い一日をお過ごしください。

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