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情報の取り扱いについて(草案ーa)

こんにちわ。都内で研究者をしています。
よろしくおねがいします★


今日は情報学(Infomatics)についての草案を少し書こうと思いました。

本来であれば下書きを入念にしてから…というのが好ましいのですが、


さて、情報学(Infomatics)。情報の取り扱い方について。


・人間が情報を取り扱う時は、「人間の精神状態が大きく関わってくる」


→情報を発信する時も、受信する時も、接触する時も、
どのような時であっても「精神状態が良好である」ことが望ましい。

これは「精神状態の良くない時に情報に触れるのはあまり望ましくない」ともいえるでしょう。


・人間の精神状態と情報、脳における情報の結びつきなどについての特性、注意点

→精神状態の良し悪しの違いだけで、情報に接触した時のリアクション、脳への記憶が全く異なる。
全ての方が、とはいいませんが「精神状態を良好に、脳に良い記憶として保存する」ことはオススメです。

色々な情報が良い状態で脳に保存されるように、会話相手やタイミング、コンディションなどには気を使うと良いと思います。


・言葉に出さなくても、脳内(ココロの中)は「身だしなみ、と言われるようなもの以上に気を使う価値がある」
これは、「人は見た目が~」とか「清潔感が~」という最近の言葉などに触発されてオススメしようと思ったことです。

常日頃から、言葉に出さなくても「脳内(ココロの中)での言葉の取り扱い方を丁寧にする」のはとても有用です。
皆さん一人ひとり、理想とするコンセプトの違いはあれども、日常生活でこれを意識しておくと、言葉が自然に良いものになります。

私は長い間、随分と誹謗中傷や他人を傷つける言葉を沢山見てきてしまいました。今は「脳内(ココロの中)を整理整頓する」ので大変です。
よく皆さんがおっしゃるとおり「言葉は他人を傷つけることも癒やすこともできる」というのは全くそのとおりだと思います。
これは自分の場合ですが「言葉を刃物と同じくらいに繊細に取り扱い事」を日常意識してします。参考になればと思います。

・情報は存在する。人の脳に、書籍に、インターネットに、色々なものに

→情報は自分の頭(ココロの中)にだけ存在するのではなく、常に周りの情報と触発しあって、どこにでも存在しています。
例えば、集団の価値観の事を「常識(Common Sence)」と言ったり、習慣と言ったり、文化と言ったりします。情報の存在の一つの形態です。

自分の価値観というのが、それらと密接な関係にあって、その中で普段、生活をしている事を意識すると、色々と捗るのではないでしょうか。

もっと踏み込んで言うと、科学の世界では、それらと自然現象などを、色々な側面で観察、分析、解析、予測などをしている、というのが現状です。
しかし、今回は各専門領域での情報の取り扱いは今度また別の機会にしたいと思います。(今回は草案、序説なので)


さて、今回は、情報学(Infomatics)をまとめるにあたって、どんな切り口でお話を始めればよいか、文章にしてみました。

情報の取り扱われ方は多岐にわたりますが出発地点として、誰にでもわかりやすいようなところはこんなところでしょうか。

何かご指摘やご意見などありましたら、よろしくおねがいします(次の文章が書ける!

お付き合いくださいまして、ありがとうございます。

情報学(Infomatics)に関しては、また続編を書いていくつもりなのでよろしくおねがいします。

それでは良い一日をお過ごしください★

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