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おれなりの common scenery 川について考える

noteにたまに日記みたいなものを書くのがルーティンになっていたのに、首が痛くなってからどうも書く気が起きなくなっていた。最近少しずつよくなってきたので、また何か書こうかな…と思っていた頃に、大学の先輩が出しているZINEを読んだ。おお、こんなふうに川についてなら書けるかも、と思った。

生まれ育った兵庫県西宮市と尼崎市との間を流れる、武庫川というまあまあデカい川がある。その武庫川の河川敷が、私にとっていちばん思い出深い川の風景だ。中学、高校と陸上競技部で長距離ランナーだったので、武庫川といえばランニングのコースだった。

西宮人独特の「沿線トーク」、つまり「阪神」「JR」「阪急」どの鉄道の沿線がどうみたいな話は、だいたい阪急がリッチで阪神はおっちゃん、みたいな地域性の象徴としてよく話題に上がる。でも、おれにとってはそうではなかった。阪急の高架下までは北に往復約3km、阪神なら南に往復5km。「その日どれだけがんばったか」という指標こそ、自分にとってよっぽどリアルだった。

南へ向かって海が近くなると、においも変わる。いつも横にある大きな水の塊からのにおいは、その日がんばった分だけしょっぱくなるのだ。一番がんばる日は北へ向かって宝塚まで行くので、また違うのだけれど。

はじめて襷を肩にかけてレースをしたのも武庫川。スター選手たちにビビりながら、学校に帰って「さかちゃん駅伝の成績よかったらしいで」と囁かれたいがために、一生懸命走った。普段リラックスしてゆっくり走る武庫川の風景と、レースのときのそれとは、まるで違った。いつもはふわっと淡い水色が、ぐんぐんとキレよく迫ってくる、あの感じ。中学でも高校でも、ずっとレースでの力加減がわからなくて、あまりうまく走れなかった。飛ばしすぎたり、抑えすぎたり。


電車に乗って武庫川を渡るのが好きだった。いつも走っている武庫川を見下ろしているというだけで、不思議な感じがした。就活の面接を受けにスーツを着て電車に乗ったとき、武庫川を渡りながら、中身はからっぽなのに歳だけ大人になっちゃったよクソ、と思った。その面接では「あなたの色を教えてください。アドバイスですが、暗いイメージの色は避けて」と言われて、「私はグレーです」と言って落ちた。

今住んでいる福島県の葛尾村には、武庫川みたいな大きな川はない。夜、誰もいない村を歩くと、水の流れる音がする。水はとても澄んでいて、テントサウナをやったときは天然の水風呂が最高に気持ちよかった。思えば、じぶんにとって新しい川の風景だ。原子力災害の被災地だからと心配する人もいるかもしれないけれど、一旦そういうのは横に置いておいて、とにかく澄んでいて美しくて、そして、「水が流れている」ということがよくわかる。

大きな塊ではなく、流動する澄んだもの。いまの気分によく合っていて、悪くないと思う。色なんてなくてもいいし、カラッポで構わない。これから、源流を辿ろうか、流れるままに進むか、迷う。

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