無名の人々_01_幾何学者
2010年1月のある日、私は上智大学の構内にいた。今は行なっているか分からないのだが、カトリック系のこの大学は、当時炊き出しを行っており、誰でも無料で一食頂けるということで、ホームレスの方々がずらり並ぶ日があった。
神父の話を聞き、皆で祈り、100人以上が食堂でカレーライスとみかんを食べる。
長身で薄汚いイエローのウィンドブレーカーを着ている男性が気になった。どんよりと黙って食べている人が多い中で、この男性は他の人とは違い、なんだか生気を放っている。さらに熱心に手元の本を読んでいる。タイトルを見ると、「一般相対性理論」と書いてある。薄い新書などの平易なものではなく、学術書の本気の相対性理論だった。
「ずいぶん難しい本読んでいますね。」と私が話しかけると、「宇宙とか興味あります?」と聞いてきた。私は文系なのでそういう類はあいにく詳しくないと言うと、「文系・理系と分けるのはそれ自体ナンセンスなんですよ。社会のシステムに従属しやすい専門家を育てる教育の方針で悪習でして、ゼネラリストが生まれないわけなんですよ。昔は哲学と科学は一緒で…。」と矢継ぎ早に喋ってきた。
食事が終わると、別室で衣服の配布がある。彼は、「僕はジャンボサイズですからねぇ、靴なんか28cmですから…。」と言いながら熱心に自分に合うものを探している。そのうち茶色のコーデュロイのジャケットを手に入れた。腹を満たし、服も、カイロまで貰い、彼はゴキゲンで外に出た。寒さ対策でズボンは3枚はいており、全ての荷物が入ったパンパンのドラムバッグを2つ肩にかけている。
Oさん、58歳、神奈川県の湘南出身、フランスのストラスブール大学院で幾何学をやっていた。大学や予備校講師、家庭教師、コンピュータ関係の仕事に携わり、55歳で全てを捨ててホームレスになった。大学で一生かけて自分の研究をやり素晴らしい定理を発見する道を選ばず、お金は稼げたがバカな医大生に数学を教えることにも疲れ、受験産業に嫌気がさしたと言っていた。
昔から出家や、不可触賎民に憧れていた。文学者の自殺にも憧れたが、自殺する勇気はなく、ホームレスの道を選んだ。
読みたい本は区の図書館にないので困っていると言う。本屋の店員も全然知識がないと。昔は映画など見たい洋画は手に入らないから大使館に連絡して取り寄せたというから驚きだ。皇居を左手に見ながら、我々は銀座方面に歩いていく。歩きながら彼はそれに見合ったウンチク、都内の地形や、昔の後藤新平の都市計画の事を語ってくる。今思えば、さながらNHKのブラタ◯リのように案内してくる。排ガスが多い大通りから少し離れ、高度が上がった路地を好む。高低差が少し違うだけで空気が全然違うらしい。
人間は体温の恒常性に一番エネルギーを使うので、寒い地域のイヌイット、エスキモーなどは老化が早い、ホームレスも常に寒さと隣り合わせなので老化が早いと言う。現にOさんは一気に老け込んだらしい。ただ100kgあった体重が50kg台になって健康にもなったと言っていた。どちらが良いのやら。
銀座のブックファーストに入った。今はもう銀座にないこの本屋は、店内の一角に座り読みができるカウンターがあり、そこでOさんはよく本を読んでいるということだった。この日はThe New Yorkerなどの洋雑誌や、宇宙論の類の専門書を読んでいた。たまにふと思い出したように、窓から見える銀座和光の時計台に目をやり、ゆったりとした時を過ごす。全てが自分の時間だ。
「科学的根拠のある妄想を65歳までやる。」
と彼は言った。
私が写真や芸術をやっているからか、そのような話題もOさんは振ってくる。写真集は濱谷浩の「裏日本」が良いと言う。なんとも渋い良いところを突いてくる。また店からバルテュスの画集を持ってきてしきりに私に薦めてきた。
日が暮れて、有楽町の国際フォーラムにあるソファーベンチに我々は移った。そこでウイスキーとポーク缶でちびちびやった。ここは路上生活者の溜まり場のようだ。Oさんはウイスキーにもかなり詳しかったが、高いウイスキーを選ばれても困るので、ビック酒販で1000円台のものにしてもらった。そのうち、競馬で負けたというおっちゃんが1人加わった。彼は秋葉原の石丸電気の横で寝起きし、翌日はガードマンの仕事に行くらしい。
Oさんの寝場所は東京駅の京葉線連絡口(コンコース)だった。地下でそれなりに暖かい。すでに何人も寝ている人がいた。その横を忙しく足早に通過するスーツ姿の方々。Oさんはごろり横になった。酔って顔が弛緩したからだろうか、実に幸せそうな顔をしているので、私は笑いそうになった。
「ここでぼんやり自分の定理を考えますよぉー。」と彼は言った。
東京都千代田区 2010 ©Kengo Noguchi