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映画のなかで一瞬だけ出てくる靴の意味を 語りつづけることについて

あるときパリに行く機会を頂きマレ地区をフラフラしていた際に、道ゆくおしゃれな方々の足下に共通して履かれている靴があることに気づきました。

そのときは当然その靴がなんであるのかはわかりませんでしたが、その後Citadiumというお店に行った際にその靴を見つけました。

それはBensimonというブランドの靴でした。

なんでこんなに街ゆくひとみんなが履いているのですか?とつたない言葉で店員さんに聞いてみると、「安くてかわいいし、シンプルで合わせやすいから若い子に流行ってるのよ」とのこと。

たしかに高校生から大学生くらいの女の子たちが主に履いていました。

そのときはそうか若い子に流行ってるのかくらいにしかおもっていなかったのですが、帰国後すこし経ってからサラ・ポーリー監督作品 テイク・ディス・ワルツという映画を観ました。

するとなんということでしょう。 ミシェル・ウィリアムズ演じる主人公がそのBensimonを履いているではありませんか!

お!っと反応すると同時に、パリで若い子に流行っているという現実の状態とその映画のなかの設定に違和感を覚えました。

ミシェル・ウィリアムズは人妻役だったのです。

しかしその映画を観進めていくと、どうやらその役は思春期の不安定な感じを抱えたまま大人になってしまったというような役どころで、あるシーンでは明らかに彼女の精神の幼稚性みたいなものを映し出した表現が入ってきました。

そして最後には、色々な季節を経て時間は経過していっているのに、彼女自身はなにもかわっていないことを表現するシークエンスがはいります。

そこでも彼女は変わらずBensimonを履いていたのです。

つまりBensimonという靴が彼女の幼稚性を表現すると共に、履いている靴が変化しなかったことによりその幼稚性も変化しなかった、ということをも作中で表現していたのです。

そのときから「映画のなかに出てくる靴がキャラクターを補足していたり、心情などをも表現していたりするのではないか」という仮説が生まれました。

以降どんな映画を観ていても靴のカットが気になる、もっと言うと、その靴に「意味」や「意図」があったのか知りたくなるという病は収まらず、ある機会を得てnoteで公開をはじめ、このたびその内の10本をZINEにまとめる運びとなりました。

「映画のなかの足下」は「映画をより楽しむための仮説」です。

映画にはとても多面的な見方をすることができる余地があり、それぞれの視点からさまざまな考えかたや受け取りかたが出来る表現であり、その視点のひとつとして登場人物の足下から考察を行う視点があってもいいのではないか?とおもい、スタートいたしました。

映画のなかの足下がそれぞれの映画体験において、よりよい、より異なる視点からの解釈や楽しみかたのひとつのアイディアとなれば幸いです。

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