見出し画像

クッキー&クリーム

はしがき


もうすぐ夏が終わる。といっても正確にいつから夏が終わるのか、何月何日から秋なのかはわからない。季節の移ろいは、いつも動的で不安定だ。暦の上では7月〜9月が秋だそうだが、猛暑日を記録しまくる7月、8月が秋だなんて信じられない。暦の作成者が定義した四季と僕らが抱く四季のイメージとはやはりちがう。

いずれにせよ、いつかは夏が終わる。
僕はこのひと夏の出来事を美化させ、きれいな思い出としてここに残したいと思っている。
要は、日記をつける要領で、脚色つけまくって、エッセイ風にしてみようと、つまりはそういうことだ。恐らく長くなるだろうから、読むのをやめるなら今のうちだ。





まず、特筆すべきは、英吉利女についてだ。
ロンドン在住の彼女は日本人。建築を学ぶ大学生。すでに卒業して現在は就職先も決まっている。つまり内定をもらったニート。

彼女とは1年ほど前から懇意にしている。
去年、彼女が日本に帰ってきていたタイミングで仲良くなった。
去年の夏、2人で赤坂離宮を見に行ったのが最初のリアル対面だ。
オンラインコミュニティで知り合い、毎週のようにPC画面を通じて色々な話をしていた。
その頃から彼女とは気が合うと感じていた。だからリアルで会っても、あの初対面特有のぎこちなさはなかった。

今年の夏も英吉利女は日本に帰ってきた。帰る前に連絡をもらい、「1ヶ月くらい日本に帰るから予定空けといて!」と言われ、既に埋まっていた予定を除いてなるべく空けた。「じゃあこの1ヶ月はあなたに捧げます。」とだけ返した。

8月上旬。猛暑の続く毎日。僕は、英吉利女と福井男と3人で浅草にいた。

いきなり登場人物が増えてすまない。福井男とは福井県に住む、社会人1年目の好青年だ。
彼も去年まで大学で建築を学んでおり、同じオンラインコミュニティで仲良くなった。彼と会うのは実はこれで3度目だった。

福井男について簡単に紹介すると、建築構造事務所に勤めていながら、建築史についても造詣が深く、特にヨーロッパの古典建築に関しては、ギリシャ語、ラテン語などの言語の問題から建築理論へ鋭く斬り込んでいた。
彼の着眼点の特異さに興味を惹かれたのを覚えている。


話を戻して、浅草だ。
この日と次の日の2日間で、東京と横浜を旅行することになっていた。
英吉利女はこの日、体調を崩して途中参加となった。合流するまで僕と福井男の2人で東京を巡った。

前日、北陸・西日本で記録的な大雨があった。そのため、福井から夜行バスで東京に向かうはずだった彼は、思いもよらぬ足止めをくらった。次の日、彼は福井から金沢を経由して何とか東京まで来てくれた。本当に嬉しかった。

昼は日本橋でうどんを食べ、山種美術館で日本画を見るため渋谷へ向かった。

山種美術館では「水のかたち」展を見て回った。前日の寝不足も手伝ってふわふわした気分で展示を回った。会場内のソファに座って絵を見ながらウトウトした。日本画に囲まれた空間でウトウト。なんて贅沢な時間の過ごし方だろう。
ひと通り見終わって、お互いのいちばん良かったと思う作品を挙げて、確認するため、また見に戻った。

誰かと展示を見に行くときは、ひと通り見終わった後、よかった作品、部屋に欲しい作品などを互いに挙げて、もう一度それらを見に戻る。みたいなことをよくしてしまう。
「これのここが好き!」とか、「これ部屋に飾りたい!」「えー、でも邪魔じゃね?どこに飾るの」とか、こんな会話が楽しかったりもする。


山種美術館を後にして、浅草へ向かった。今晩泊まる宿が浅草なのだ。

今回泊まるのは1棟貸しの宿だった。
荷物を置き、僕と福井男で近くをぶらぶら散策した。

途中に「まんてん」という居酒屋を見つけた。提灯がぶら下がって「アサヒビール」の文字。
なんて魅惑的な文字だろう。この文字を見ると無性に飲みたくなる。なぜだろう。一体どんな魔力が働いているのか、、、、、、気付けば店に向かって歩きだしてしまう。この衝動に僕は逆らえた試しがない。同じく逆らえない奴が隣にもいた。

「まんてん」で飲んでいると途中で英吉利女が合流した。実は福井男と英吉利女はリアルで会うのは初めて。
英吉利女はかなり感動している様子。福井男はそこそこ感動している様子。

客の飼犬が店内をはしゃぎ回っていた。とてもかわいい。誰かの飼犬にもかかわらず、僕は勝手にその犬に「ジョン」と名づけた。ジョンは英吉利女と福井男に近づいた。僕が撫でようとしたら逃げられた。勝手に名づけて嫌われたのかもしれない。後で飼い主に確認したら全然ちがう名前だった。あたりまえだ。なんて名前だったか、思い出せない。しかもメスだった。そりゃ嫌われもする。


「まんてん」を後にして、3人で晩御飯の買い出しにスーパーへ向かった。夏野菜を中心に調味料まで色々なものを買った。もちろんお酒も。
宿に戻り、広いキッチンにみんなで料理をした。と言っても僕はビールばかり飲んでいて、2人が頑張ってくれた。


麻婆茄子を作っている途中で、茄子を買い忘れたことに気づいた。僕のせいなので、僕が買い出しに行くことになった。ついでにアイスも買ってきてほしいと頼まれ、さっき行ったばかりのスーパーまでひとり急いだ。

急いで茄子をカゴにいれ、残るはアイス。僕はアイスは好きだが、雪見だいふくとかジャンボとかガリガリ君とか、どちらかといえばチープ(と言ってよければ)なものが好きだった。

そういえば、ふたりに好きなアイスを聞き忘れた。こういう場合はハーゲンダッツを買っておけば間違いない。そう思いハーゲンダッツのコーナーへ。だが、しまった。ハーゲンダッツには色々な種類の味がある。好みが分かれる。でももう僕の中でハーゲンダッツ以外に選択肢がなかったので、勝負に出た。

そこで、ふと、思い出した。
そういえば英吉利女はクッキー&クリームが好きって言ってたな。いつかの会話を思い出していた。
そこからは即決だった。クッキー&クリームとグリーンティーとマカデミアナッツを買った。あとの2つは僕が好きなやつだった。

スーパーから宿まで走って帰った。アイスが溶けないうちにと急いだ。

「買ってきたよ」と息を弾ませながら宿へ戻った。
早速、ハーゲンダッツを冷凍庫にしまい、買ってきた茄子を調理し麻婆茄子は完成した。その他にも数品おかずやつまみやらを用意した。
どれも美味しかった。お酒がすすんだ。
福井男は福井の土産として日本酒を持ってきていた。英吉利女は先日、大阪に旅行した際の土産として日本酒を持ってきていた。2人とも日本酒を持ってきていた。僕は日本酒が好きなので嬉しかった。結構飲んだと思う。酔いが回った。


福井男が酔いのなかに眠った。
幸せそうな寝顔をしている。日本酒の海にぷかぷか浮いているのだろうか。とにかく気持ちよさそうに寝ている。


僕と英吉利女の2人で残りの日本酒を飲んだ。と言ってもほぼ僕が飲んでいた。
ふと、博多男に電話をかけたくなった。


博多男は、英吉利女、福井男とも共通の友人で、同じオンラインコミュニティで知り合い意気投合した。

彼も僕にとっては特異な人だ。
僕が生きる日常と彼の生きる日常は違うはずなのに、彼の捉える世界が、僕が感じる世界よりもリアルに感じられた。
彼の生きる日常に興味を持った。彼が捉える世界を見たくなった。

博多男は文章を書いてはよくSNSに発信した。彼の書くそれはいわば走り書きのようなもので、整頓された文章ではない。彼の内側の柔らかい部分が柔らかいままに言葉として表現されていた。だから、彼の文章には欺瞞的なところは一切なく、煌びやかな装飾が施されているわけでもなかった。それは裸の言葉だった。彼の感情の源泉に触れた気がした。彼のうちに湧き上がる泉は豊かな色彩を帯びていた。だから彼の書く裸の言葉の連なりは、装飾など必要ないほどに感情の豊かさを反映していた。

この世界の淡白さに対して、博多男は言葉によって色づけしていた。ときには、極彩色に華やいだ世界をモノクロに写し取った。
そうすることで、淡白な世界を彩度の微妙な変化で捉え、逆に華美な世界を明暗のコントラストで捉えていた。
彼が捉える世界のリアルさは、恐らくこのようなことから導き出された。


オンラインコミュニティで知り合った人たちとリアルで会う際、僕はよく博多男に電話をかける。彼も知ってる人たちだし、良かれと思って電話をかける。彼からしたらいい迷惑だろうが、その場の楽しさを共有したくて、ついついかけてしまう。

博多男に電話をかけた。彼はすぐ電話に出た。もしかすると、彼は暇人なのかもしれない。

電話越しの博多男を交えて3人で話していると、「アイス食べよう」と英吉利女がつぶやいた。

冷凍庫からハーゲンダッツを取り出し、いつかの英吉利女との会話を思い出しながら買ったクッキー&クリームを得意げに彼女に渡した。
「これ好きって言ってたよね!買ってきたよ!」
彼女は驚いた顔をしていた。
しめしめ、と思ったのも束の間、
「え、別に好きじゃないよ」と英吉利女。
え?いやいや好きって言ってたじゃん!と心の中で呟いたつもりが、口に出ていた。
「いや、そんなこと言ってない。そもそもクッキー&クリームそこまで好きじゃない」
僕は彼女の言葉を信じられなかった。
そこで、すかさず博多男のひと言が追い討ちをかけた。
「他の女と間違えてんじゃね」

そんなはずはない、、、そんなはずは、、、と思えば思うほど自分の記憶に自信を持てなくなってきた。全身の力が抜け気づけば膝から崩れていた。

それでもこの状況が信じられず、僕は頑なに否定した。
「いや、たしかに言っていた!アイスの話なんて普段話さないし」
そうするとまたしても博多男がひと言。
「神戸女と間違えてんじゃね」




僕らが浅草の宿でやんやしていた2週間前、僕は名古屋男と滋賀男と福井男の4人で伊勢へ向かっていた。福井男は上で紹介した福井男と同一人物である。他の2人も同じオンラインコミュニティで知り合い、仲良くなった。ここでもまたリアルでは初対面にもかかわらず、初対面特有のぎこちなさは全くなかった。


4人が向かう先は伊勢神宮。雨に見舞われながらも内宮外宮をまわった。写真を撮りまくった。僕はカメラを2台持ってきていて、1台を福井男に貸した。彼はこの旅行を通じてカメラにハマった様子だった。そこで僕は師匠と呼ばれた。もちろん師弟関係があるわけではなく、「師匠」とは僕のあだ名みたいなものだった。でも師弟関係って憧れる。僕も誰かの弟子になってみたい。でも師匠にはなりたくない。


伊勢の後は奈良〜京都という行程だった。奈良で滋賀男と交代で神戸女が参加した。神戸女もこの日がリアル初対面だった。神戸女とは何度もオンラインで話してると勝手に思っていたが、実は1回しか話したことがないと後日判明した。なんでそんな勘違いをしたのか自分でも不思議だ。もしかすると旅行当日は馴れ馴れしかったかもしれない、と今更ながら反省している。

さて、僕といえば酒の失敗談。いや、そんな風に思われているのは遺憾というか、でもいろんな人に迷惑をかけているので、弁明する余地もないし、そんな立場でもないのは重々承知している。
京都の夜、酒で失敗?したので、ここに書き示したい。反省の意も込めて。

京都の夜はいろんな人が集まった。オンラインコミュニティのエンカと呼ばれるあれだ。10人前後集まった。
その中のひとりに京都男がいる。この会の主催者だ。
京都男は健康上の問題だったか、何だったか忘れたが、とにかく禁煙中だった。

ちなみに僕はたまに煙草を呑む。このように言うと普段吸ってる人から、大体の確率でバカにされるか、疑問を呈される。それにいちいち応えるのも疲れるが、理解されなくてもひと言だけ言うようにしている。
「酒、煙草、珈琲、お茶は人間の嗜好品だ。だから俺は文字通り嗜む程度にしている。要は格好つけて、楽しんでいるんだよ。」
まぁ、こんな綺麗事を並べても、酒で何度も失敗してるから初対面の人にしか通じないし、そもそも理解されないことも多々ある。


話を戻して、とにかく京都男は禁煙中だった。
僕はこの京都男になにか土産を用意したかった。
伊勢のとある店で煙管を見つけた。かわいい絵柄のマッチもたくさん売っていた。マッチを自分用に、煙管を京都男用に土産として買った。禁煙している人からしたら最悪の土産だろうが、実際、京都男に渡したとき文句を言いつつちょっと嬉しそうだった。その場も盛り上がったしプラマイゼロと勝手に計上した。

京都の店では隣に神戸女、その隣に名古屋男が座っていた。名古屋男の特徴はまずイケメン。顔がイケメン。背も高くすらっとしている。そしてこの男、この日なぜか僕を酒で潰す気なのだ。タチが悪い。タチは悪いがそのタチの悪さを理由に僕は次々と頼まれてくる酒を飲んだ。あとは頼んだぞと言わんばかりに。
そして後々キーマンとなる「神戸女」。僕と彼女との会話が悲劇を生むことになろうとは…。


店で飲んだあとみんなで鴨川へ向かった。酒を用意して夜の鴨川にみんな並んで酒を交わした。
楽しかった。本当に楽しかった。と言いたいところだが実はほとんど記憶がない。鴨川で飲んでいたことは覚えているが、後日聞いた話のほとんどが記憶から抜けていた。楽しかったという感情だけは残っていた。気づけば朝で、ホテルのベッドの上だった。
名古屋男と福井男が鴨川からホテルまで肩を貸してくれたらしい。2人がかりで僕を運んでくれた。本当に迷惑をかけた。すまない。あと、ありがとう。


次の日はもちろん二日酔いだった。あたりまえだ。前日は泥酔してたのだ。鴨川の川沿いで寝てたというのだから。醜態を晒した。
二日酔いは本当につらい。2度とこんな思いはしないと、心だか神だか誰だかに誓うのだが、そんな何に誓ってるかわからない程度なのだから、もちろん効果は薄い、というか無い。




そして、2週間後。場面は浅草の宿に戻る。
「神戸女と間違えてんじゃね」という博多男のひと言に僕は屈しなかった。
「いや、神戸女は違う。彼女だけは絶対に違う。」と僕は断言した。
英吉利女はクッキー&クリームには手をつけず、マカデミアナッツを食べていた。
「これ、おいしい!好きかも!」
クッキー&クリームは外したが、結果オーライだ。マカデミアナッツを気に入ってくれて一安心だ。
その間、博多男はTwitterで、僕に「クッキー&クリームが好きだ」という話をした人物を探していた。

そして、
見つかってしまった。

しかもそれが、

神戸女だった。

博多男の発言は当たっていた。

「さいてーーー」
とその場にいた全員に言われた。福井男もいつの間にか起きていて、状況を理解していた。よく見ると彼はクッキー&クリームを食べていた。

2週間前、京都の旅行中に僕と神戸女でクッキー&クリームの話になったらしい。
泥酔状態で、そのときの記憶をきれいに鴨川へ流してしまった自分を呪った。


とにかく、英吉利女にも神戸女にも大変失礼なことをした。

このことは、その後も度々ネタにされたが、仕方ない。僕が悪い。僕以外は誰も悪くない。


ということで、今回のタイトルは決まった。
『クッキー&クリーム』



あとがき


この夏は、人間関係に拡がりを得た。人との出会いがますます輝かしく思えた。

パンデミックは「切断」を生んだ。僕らはこれを痛烈に味わった。

中世のキリスト教支配の時代からルネサンスへの転換期。その時代の分水嶺には何があったのか。もちろん時代が大きく変化する要因はひとつに限定はできない。様々な問題の数々が有機的に連関しているのが常だ。

その中でも、ここで特筆しておくならば、ペストの流行だ。
イタリアを中心に拡がったペストはヨーロッパ各地で甚大な被害を引き起こした。
そして、やはり「切断」の時代を迎える。
宗教が絶対だった時代に、ペストによって次々と人が死んでいく。宗教とは何だったか。聖書とは何だったか。「救済」はいつ来るのか、神とは……。人々は混乱した。何を信じればいい。何にすがればいい。

そうして迎えた時代は圧倒的なヒューマニズムの時代だった。
レオナルド・ダ・ヴィンチの「ウィトルウィウス的人体図」が最もよく端的にこの時代を象徴している。
中央に両手両足を広げた人物が描かれ、手の先と足の先が触れるように円が描かれる。
図形的に円形は黄道十二星座=宇宙を表す。つまりレオナルドのこの人体図では、人体のプロポーションと宇宙とが図形的に連関していて、宇宙=マクロコスモスと、人体=ミクロコスモスは、同じ世界観で語られ得るものとされた。
これがルネサンスの始まりである。

こんなことを書いて、何が言いたいのか。

コロナによるパンデミックは確かに切断的な状況を生み出した。これは間違いない。人と接する機会も減ったし、国の行き来もままならず国際的にもこれほど「境界(=国境)」が意識されたのは、戦時中を除いて他にないだろう。

しかし、今はその状況も改善されつつある。

この夏は本当に色々な人と出会えた。ヒューマニズムなんて言葉に集約させる気はさらさらないが、人と人との繋がりは大切だと思えた。
こんなクサいことは書きたくないのだが……、夏の暑さでのぼせたのかもしれない。


夏の思い出としてここに書いたことは、ただの日記だ。それもだいぶ脚色している。エッセイといえばそうなのかもしれないが、まぁいつも通り大したことは書けなかった。

他にも書きたいことは確かにあった。
書かない理由はたくさんある。
普通に大変だし、時間かかるし、めんどくさい。

ここに、この文章を残して夏を締めくくりたいと思ったまでだ。
東京はまだ30度を超える日が続いている。朝晩は涼しくなってきた。秋が近づいている。


今日はスーパーで、ナス、ピーマン、パプリカを買った。まだ夏野菜を食べていたかった。

レジを待つ列に並んだ。横にアイス売り場があった。中を覗くとたまたまハーゲンダッツが置いてあった。
僕はクッキー&クリームに手を伸ばした。
でもやめた。そもそも僕はハーゲンダッツをそこまで好まない。もっとチープなものでいい。そう思いながらアイスを買わずに会計を済ませた。

スーパーの帰り、ふと夜空を見上げた。月も星も見えなかった。別にそれでよかった。月も星も見る必要はなかった。



日々、変わらない日常を過ごしていると思っていた。仕事をしていると業務に追われ、気づけばすごいスピードで時間が流れていた。
そういう時間の流れに身を委ねている気がしていた。
振り返ってみるとそうでもなかった。
人との関わりが僕を前へ進めた。手をとって引いてくれる人がいた。その手を離したくないと思った。


僕らはいま、季節の変わり目に立っている。
夏の陽射しは僕らの熱情をより熱した。秋が少しは冷ましてくれるのだろうか。


風が吹いた。ひんやりとした風が吹いた。秋はまだ来ないと僕は確信した。



こんなに長ったらしい文章を最後まで読んでくれてありがとうございました。
これを読んでくれたあなたに、僕の夏を捧げます。いらなかったらその辺に捨ててください。


今度からもう少し面白いものを書きたいです。精進します。


ではまた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?