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【042】ブッダの生涯-【18】(仏教哲学の世界観第2シリーズ)

4つの聖なる真理「四諦」

中道といっても三つの中道があり、初転法輪で説かれた中道は修行の姿勢について、厳しすぎず・緩すぎずといった考え方でした。
中道は初転法輪以外で説かれたものもあり、その一つが常見と断見から離れるというものでした。
これは「私」という存在が不滅と考えるのかどうかというもので、輪廻の考え方にも密接に関わります。
仏教ではそのどちらでもない中間の立場を取れと説かれています。
前回はその解説をもとに仏教における「輪廻」の捉え方についての解説でした。

今回からお話を初転法輪に戻します。
中道に続いて5人の比丘達に説いた教え「四諦」についての解説です。


このシリーズでは僕が仏教について学んだことを記しています。
主な教材は仏教学者で花園大学の教授をなさっている佐々木閑先生のYouTubeでの講座の内容をまとめています。
もちろん僕の主観によるまとめなので色々と解釈の違いや間違った理解があるかと思います。
それはX(Twitter)などでご指摘いただけると幸いです。

あくまでも大学生の受講ノートみたいなものだと考えていただけると幸いです。


ブッダの生涯17

https://youtu.be/n9kPJotkFxI?si=koYPdQ_IFB1TJnLn

AIによる要約

このスクリプトは、仏教の教えを現代人に伝える試みを通じて、人生の苦しみとその克服について語ります。スクリプトでは、仏教の基本教義である四諦(苦しみ、苦しみの原因、苦しみの克服、克服の道)を紹介し、それらが私たちの日常生活にどのように関連しているかを説明します。また、生きることの本質的な苦しみと、人々が幸福を追求する欲望が苦しみの根源になる理由についても触れています。さらに、八苦(生、老い、病気、死、愛別離、怨憎会、求不得、五陰盛)という概念も紹介され、これらが私たちが経験する様々な苦しみの形態を表していると説明しています。最終的に、スクリプトは、仏教の教えを通じて苦しみから解放される道を探求する重要性を強調しています。

学習した事

四諦(四聖諦)とはなにか

初転法輪において最初は中道であった。
つづいてお釈迦様は5人の比丘達に次の教えを説いた。
これが
四諦(したい)、または四聖諦(ししょうたい)
と呼ばれる四つの真理である。
「四」はそのまま四つのという意味で「聖」は悟りへの道仏教の本道であるという意味となる。
漢字の表記上、「諦」というと「あきらめる」という意味にとられてしまいがちだが、これはインドの言葉で「諦(サティア)」は真理という意味である。
以上の事から、四諦はインドの言葉で「チャトゥル・アーリヤ・サティヤ」と読み、意味は「仏教の道の上に立つ4つの真理」となる。

四諦は以下の四つで構成されている。

四諦の「苦」(苦諦:くたい)

「苦」とは人間が誰でも避けて通ることのできない苦しみについての真理。
具体的には「四苦八苦」として苦しみを定義している。

  1. 愛別離苦(あいべつりく)

  2. 怨憎会苦(おんぞうえく)

  3. 求不得苦(ぐふとっく)

  4. 五蘊盛苦(ごうんじょうく)

生とは
生とは生きることそのものである。
生まれてしまった事から人は生きるために食べなければならないし、仕事もしなければならない。生きるために何かをしなければならない状態がそもそも苦しみであるという意味である。
(出産の苦しみという意味ではない)

愛別離苦とは
愛別離苦(あいべつりく)とは人には愛する人や物との別れが必ずあり、それは避けることができないという苦しみである。

怨憎会苦とは
怨憎会苦(おんぞうえく)とは人は誰でも嫌いな人に出会ってしまうという苦しみである。

求不得苦とは
求不得苦(ぐふとっく)とは人は誰でも欲しいものが手に入らない事があるという苦しみである。

五蘊盛苦とは
五蘊盛苦(ごうんじょうく)とは「私」という存在が永遠であって欲しいと思ってもそれが叶わないという苦しみ、自分が望むままの世界はどこにも存在しないし実現できないという苦しみである。

なお、人間の実存に関連することから「五蘊盛苦」は「生」の苦しみと重複する部分がある。

(老・病・死に関してはそのままの意味なので説明は渇愛)

四諦の「集」(集諦:じったい)

「集」というと日本語では「集める」という意味になるが、
インドの言葉では「サムダヤ」という。これも集めるという意味だが原因という意味も持っている。
したがって、仏教の四諦における「集」とは集めるという意味ではなく、「原因」という意味である。

集は先にあげた「苦」の根本原因についての真理である。
苦しみの原因は渇愛であり、執着である。
生きたいという執着、もっと良い生活を送りたいという執着、もっと手に入れたいという執着。このような欲求・欲望によって成り立つ自意識。
これが煩悩の最大の要素であり、「苦」を生み出す最大の要因となっている。

四諦の「滅」(滅諦:めったい)

滅は仏教の道を志した結果についての真理。
これは「集」で言及された渇愛を消滅することは可能である、という概念。
仏道を実践することによってそれらの苦しみの原因を私たちは消し去る事ができるという宣言である。

四諦の「道」(道諦:どうたい)

道は実際に滅を達成する方法についての真理である。
苦しみの消滅に至る道の真理。

四諦の前半二つと後半二つの違い

四諦のうち前二つ「苦」と「集」は人の苦しみにおける真理についてであり、どのような人間においてもこの原因と結果から逃れられない。
したがって、仏道を歩まない人にとっては前二つだけで終わる真理である。
しかし、三つ目の「滅」と四つ目の「道」に関しては仏道を歩んだ人に起こる現象である。


感想

漢字の字面から言って「諦」というのが「なにかしらの欲求を諦める」という意味だと思っていた。
1の「苦」で人間の苦しみの分析で、2の「集」がその分析結果。
そして3の「滅」が原因の消滅で、4の「道」がその具体的な方法。
なるほど。
名前や字面からもっと難しい概念なのかと思ったが、割とシンプルだ。

初転法輪で最初に中道を説いたのはなぜだろう?
最初っから四諦の説法でも良かった気がするが。
おそらく5人の比丘達が無意味な苦行に励んでいたことをお釈迦さまは知っているわけだから、まずは「その無意味な修行を止めよ」という事から始めるしかなかったのかな。

トーク技術としてのツカミで
「君らのやってることは間違ってる」と言ってから
「じゃあどうするんだ?」と聞かれるから現状の確認と原因の分析(苦しみとその原因)を語り、そこでコンセンサスを得てからゴールの形(滅)と具体的な方法を示唆(道)したわけだ。

今回はお釈迦さまによる仏教のローンチに関わる初めてのプレゼン、初転法輪の続きである四諦についてだったわけだけど、まだ重要な3と4の「滅」と「道」の解説がまだなので楽しみだ。



次回は「ブッダの生涯19」 (仏教哲学の世界観 第2シリーズ)
初転法輪における四聖諦に説かれている「苦」をどのように分析しているかの解説となります。


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