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【007】仏教学習note【仏教哲学の世界観1-7】

こんにちは。
このシリーズでは僕が仏教について学んだことを記しています。
なお、僕は仏教について何にも知りません。

仏教学者で花園大学の教授をなさっている佐々木閑先生のYouTubeでの講座を見て、その内容をまとめています。

もちろん僕の主観によるまとめなので色々と解釈の違いや間違った理解があるかと思います。
それはXなどでご指摘いただけると幸いです。

あくまでも大学生の受講ノートみたいなものだと考えていただけると幸いです。

前回は仏教がどのようにそれまでのバラモン教を否定したのか?
梵天など神の再解釈と仏教自身の再解釈指向のお話でした。

今回は地理的な解説から始まります。


仏教哲学の世界観1-7

https://youtu.be/ma-KRdCrFWY?si=089AFlmK6WSvyyMd

AIによる要約

  1. バラモン文化の権力逆転と仏教の起源

  2. お釈迦様の活動領域と悟りを開いた場所

  3. お釈迦様の言葉とバラモン文化への挑戦

  4. バラモンの新しい概念と行為によるバラモン

  5. バラモンの真の価値と行為による判断

  6. お釈迦様の固有名詞と呼び名の変遷

  7. お釈迦様の本名と呼び名の謎

学習したこと

バラモン主義の影響する範囲と権力の逆転現象

バラモン教の影響範囲は進入口の西側が強い

「神との絆を強く持つ」とされるバラモン階級のほとんどがアーリア人であり、彼らのインド進出口であったインド北西部はよりその影響力が強かった。
しかし、彼らの影響力がそれほど強くない地域では貴族階級であるクシャトリアはバラモン教世界に対する疑問を持つ者が発生してきていた。
特に東側のクシャトリアではガンジス側流域による肥沃な環境があり、農耕が盛んであった。
これはこの地域では神の恩恵を求めなくても世俗の富で満たされていた事を意味する。

そのため、信仰においては最上位であるバラモンよりも現世において地位や権力を持つクシャトリアの方が優位であるという逆転現象が起こる。

お釈迦さまの活動領域

このような環境を念頭にお釈迦さまの活動領域(仏跡)を確認すると以下のようになる。

赤い点の部分が主な仏跡
  1. ルンビニ

    • お釈迦さまの生誕の地

  2. カピラヴァストゥ

    • 釈迦族の都、お釈迦さまの故郷

  3. ブッダガヤ

    • お釈迦さまが悟りを開いた場所

  4. サールナート(鹿野苑)

    • 悟りを開き、初めて説法を行った場所(初転法輪)

  5. クシナガラ

    • お釈迦さまの入滅(死去)した場所

これにバラモン教の影響範囲を適用すると
以下のようになる。

東側の黄色い部分がお釈迦さまの主な活動領域

つまり、お釈迦さまも生まれてから死ぬまでの活動はバラモン教の影響範囲の比較的弱い場所を拠点としていたことがわかる。

ところで仏教とは別の沙門である「ジャイナ教」の創始者、マハーヴィーラ(仏典ではニガンダ・ナーダプッタと呼ばれる)も、ほとんどお釈迦さまと同じ時代、同じ場所で活動していた。

このことからもこの地域が反バラモン主義になりやすい土壌があったといえる。

お釈迦さまによるバラモンの再解釈

ところでお釈迦さまが話したとされるお経のうち、最も古い部類として以下の言葉がある。

生まれによって、
いやしい人となるのではない。
生まれによって、
バラモンとなるのではない。
行為によっていやしい人となり、
行為によってバラモンともなる。

スッタニパータ

ここで注目すべき点は「バラモン」という単語が登場していること。
バラモンを否定したはずなのに「バラモン」という単語を使い、さらに内容的にもバラモンになることに価値があるかのような言い回しをしている。
これは前回の解説でもあった通り、
言葉は同じものを使いつつ、その意味は別のものに変えるという方法。

しかし、前段の「生まれによってバラモンとなるのではない」というエクスキューズを入れている事によって、逆説的にそれまでのバラモン像を否定している。

ここで「バラモン」という言葉の意味の変容が加わっており、これまで考えられていた生まれという条件ではなく、日々の努力や善い行いをすることによって

真のバラモン

という意味づけをしている。
同時に生まれがバラモンであっても卑しい行為によってバラモンではなくなるという意味も示唆している。

以上のように、お釈迦さまによる反バラモンとしての挑戦はこのような形で見出すことができる。

お釈迦さまの固有名詞と呼び名の変遷

お釈迦さまの名前についてはいろいろな呼び方がある。

  • お釈迦さま=ゴータマブッダ

    • 「ブッダ」は「目覚めた人」の意味であってお釈迦さま本人を指すわけではない。

    • 「目覚めた人」=ブッダであり、悟りを開いた人を指す

    • 「目覚めた人」でありお釈迦さま個人を指す場合「ゴータマブッダ」と呼ぶ。単なる「ブッダ」ではない。

  • 釈迦牟尼

    • お釈迦さまの別名

    • 釈迦族の聖人という意味

    • 悟りを開いた後から呼ばれた尊称

  • 世尊

    • 世間、人々がお釈迦さまを尊敬して呼ぶ時の尊称

    • インドの言葉では「バガバーン」と呼ぶ

  • ゴータマ・シッダッタ

    • お釈迦さまの本名でパーリ語での読み

    • サンスクリット語では「ガウタマ・シッダールタ」と読む

    • ただし、本当に本名だったのかは確証がない。古い文献では出てこないので後で作られた可能性もある。

    • ゴータマという単語自体はライバルや信者以外からの呼び方として登場しているので、こちらは本名の可能性が高い。

ブッダ(仏陀、仏)とは「目覚めた人」という意味。
寝ていたかのような人が目を覚ましたと例え、この世の真実に気がついた、真実を発見したという人物に対して称された名前。
この「ブッダ」という概念もその後、お釈迦さまだけでなく様々なブッダがいる。という風に解釈されることになった。

感想

お釈迦さまの活動領域とバラモン主義エリアの関係性がわかる内容だった。
この時代の同じ場所で他にも反バラモン主義の人々がいたわけだが、その後どのようになっていったのか興味がある。
一つはジャイナ教で、現在でも少数だが残っている。
では他の人々はどうしたのだろうか?

お釈迦さまと合流し、仏教徒となっていったのか。
あるいは反バラモン思想を掲げつつ後世に伝わらず消滅していったのか。

多分方向性としては

  1. カーストなど社会制度に対する反抗心(いわば現在のリベラル)

  2. バラモンでは解決できない様々な苦しみの解決策の模索

こういう風に分かれていたか、あるいは両方とも内包した反バラモンだったんじゃないかと思う。

お釈迦さまはどうだったのだろうか?
差別に対する人権意識が出発点だったのか。あるいはもっと身近で普遍的な苦しみの解決策の模索が出発点だったのか。
いまのところその真意は学習していないのでわからない。

とはいえ、「やっぱ真のバラモンって正しい行動するよね」といった反論しにくい言い方はちょっと性格悪くない?
なんか京都人っぽいイケズさを感じる。

後半はお釈迦さまの呼称に関して。
このシリーズでの呼び方も統一したいのだけど悩ましい。
(これは梵とアートマンとバラモンでも悩ませた)
普通に仏教徒なら釈尊とかお釈迦さまで良いと思うのだけど、僕は仏教徒ではないし、かといってゴータマ・シッダッタではお堅いし、なにより読みづらい。
「世尊」もなんだか内輪的な感じがするし、釈迦牟尼だと学術的のような、そうでもないような、よく分からない距離感がある。

とりあえず僕は仏教を学んでいるという立場上「お釈迦さま」という呼び方に統一しておこうと思う。
その方が疑問点が湧いた時のツッコミとして「釈迦さま」が効いてくる気がするから。

我ながら性格が悪い。


次回は「仏教哲学の世界観 1-8
その後のインドの仏教とカースト制度について。
カーストを否定したお釈迦さまの思いはその後どうなったのか?


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