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8/6~8/25(20日間)タイ・ラオス・ベトナム・カンボジア

  1. バンコク(タイ🇹🇭)6〜8

  2. アユタヤ(タイ)9

  3. チェンマイ(タイ)10.11

  4. チェンライ(タイ)12

  5. 移動 13

  6. ルアンパバン(ラオス🇱🇦)14

  7. ヴィエンチャン(ラオス)15

  8. ハノイ(ベトナム🇻🇳)16.17

  9. ホーチミン(ベトナム)18.19

  10. プノンペン(カンボジア🇰🇭)20.21

  11. シェムリアップ(カンボジア)22.23

  12. バンコク 24.25

8月6日の明け方にマニラ(フィリピン🇵🇭)を出てからはこんな感じで滞在した。後ろの数字は最終的にいた場所の日付。丸1日滞在できていた訳じゃない。例えば15日ヴィエンチャンに着いたのはもう夕方だったし、24日バンコクに着いたのはもう日付が変わる頃だった。

失敗

失敗した。ショートケーキの上に乗ってる苺だけしか食べてないような感じ。浦和から群馬、栃木、茨城をそれぞれ4日ずつくらい旅行する感覚で、タイからラオス、ベトナム、カンボジアに行ってしまった。ラオスに至っては友達1人もできなかった。国を絞ってできるだけ深く浸かるべきだった。

もうひとつ。これは失敗とも言い切れない面もあるのだけれど。実はバンコクの旅行会社を使った。8日の夕方にお願いして、9日から24日までの移動手段と宿泊先の手配を全てやってもらった。9日の早朝に全てのチケットを受け取ってアユタヤに向かった。全て自分でやる方が安いっていう点に於いて、この選択は失敗。でも調べるのに費やす時間のことを考慮したら、これはこれで良かったのかなとも思う。調べるのが面倒っていうのもあるんだけど、20日間という限られた期間。できるだけ散歩したい。そこでの出会いや食事を楽しみたい。移動の疲れからか朝起きれなくなってきてるから、やることがない時はできるだけ寝たい。そもそも無計画過ぎて、次の日どこ行くかをGoogleマップ見ながら決めるだけで精一杯。金銭的に効率良く旅できれば嬉しいけど、それはこの旅のテーマじゃない。損した分は帰ったら稼げばいいじゃん。

そうやって都合良く自由に過ごしてたら悲劇が起きた。最大の失敗。インド入国にビザが必要ということを知らなかった。陰性証明が必要ってことしか頭に無かった。バンコクに戻ってPCR検査をして陽性だったらどうしようか、そもそも検査の結果はちゃんとフライトまでに通知されるのか、そればかりが気になってた。
その陰性証明、実は8月8日の時点で必要無くなっていた。シェムリアップで出会った日本人の大学生に教えてもらって知った。もし世界旅人情弱ランキングがあったら結構上位狙えると思う。

ムンバイ(インド🇮🇳)行きのフライトの約8時間前。
この時点ではまだビザの存在を知らない。

知らないは幸せ。もしもこの時既にインドに行けないことを知っていたら、きっと食事を楽しめていなかったと思う。シェムリアップで陰性証明が必要ないと教えてもらった時にビザの話は出なかったけれど、仮にその時ビザの必要性を知ったとしても、時既に遅し。何も知らずにタイ出国予定時間ギリギリまで楽しく過ごせたことは、不幸中の幸いかな。笑

フィリピンからタイへ入国する時に出国用の航空券が必要だと言われて、25日のバンコク-ムンバイの航空券を買ったけど無駄になった。もちろんキャンセルは不可。帰ったら稼げば良いとは意気込んだものの、痛すぎる出費。

本題

うだうだ言ってても仕方ないから、本題に入ろう。それぞれの国で起きたこと、感じたことをサラッとまとめていく。バンコクに入ったのはもう3週間も前のことで、正直なところ記憶が薄れてきてる。笑

タイ 8/6~13.24.25

ここでなら余裕で暮らしていけるわ。空港からホステルまでの道のりでそう思った。電車は通ってるし、信号もまあまああるし、静かだし。
屋台の食べ物はセブのそれとは違って、どれも美味しそうに感じた。実際美味しかったし、価格はタダみたいなもんだった。セブで痩せた分を取り返そうと思ってあれこれ色んなものを食べた。お腹の調子は相変わらずゆるゆるだったけど。

バンコクとアユタヤでは寺やら遺跡やらを見て回ったけど、あまりよく分からなかったなあ。これについては後述しようと思う。

痩せてる。。。😱

チェンマイでは象のツアーに参加して、象に乗るのかなと思ったらそうじゃなかった。象と触れ合うツアーだった。これもバンコクの旅行会社が手配してくれていた。完全におまかせだったから、何も知らなかった。当日この場に居た人で象に乗るのを楽しみにしていたのは俺だけだったと思う。みんな水着持ってたし。旅行会社のスタッフも水着必要ですよってひとこと言ってくれたらよかったのにね。笑

このツアーで一緒だったイタリア人夫婦が、ローマの近くに住んでるから、近くまで来たら連絡してって言ってくれた。ご飯をご馳走してくれる的なことを言ってた。ような気がする。どうだろう。そう都合良く解釈しちゃってるだけかな。ヨーロッパに入ったら連絡してみよう。甘えられるところは甘えるのだ。笑
もしあと10年遅かったら招いてもらえなかったかもしれない。英語よく分からないから、現時点で招いてもらえてるのかも定かではないのだけれど。

チェンライはラオスに入るために前日泊まっただけで、特に何もしていない。

チェンライで泊まった宿のすぐ側にあった焼肉屋。ひとり焼肉デビュー。タイ人のカップルや家族しかいなくて、外国人観光客どころか、ひとり焼肉してる人もいなかった。英語は誰も話せないし(こっちも話せないんだけど)、周りをチラチラ見ながら食べ方を真似た。笑
ビュッフェになってて、自分でお肉やら野菜やらを取りに行く。この写真では伝わらないけれど、めちゃめちゃ汚かった。これは確実にお腹壊すなって思った。けどもう壊れてるし、なんでもいいやって割り切って色々食べた。当日も次の日も、さらにその次の日も意外と大丈夫だった。念の為食後に正露丸3粒飲んだのが効いたのかな。ちなみにお値段180バーツ。

ラオス 8/13~16

滞在した時間は短かったけど、いや、もしかしたら短かったから、まだ何も知らないからそう感じるのかもしれないけど、とても素敵な場所だった。

ルアンパバン。
ジブリの作品に出てきそうな町で、散歩していて本当に面白かった。

カップルで東南アジア旅行するなら、タイよりもラオスをお勧めする。ラオスは何も無いっていうけれど、それがとても心地よい。のどかな感じ。っていうか、埼玉に比べたらある!!いっぱい!!
次来るときは、もっと色んなところを巡って、ラオス人の友達を作りたい。

ベトナム 8/16~20

ヴィエンチャンからハノイ、ハノイからホーチミンへは飛行機で移動した。それ以外の移動は全てバスや車。ヴィエンチャンの空港、これが首都の空港かってくらいしょぼかったなぁ。

オレンジ色のシャツの子のポーズ、今知った。笑

ハノイからバスで3時間しないくらいのところにあるドゥンラムという村に行った。村自体が国指定の文化財らしくて素敵な村だった。でも観光客はいなかったし、英語は誰も話せなかった。観光客のいないところでカメラ持ってぷらぷらしてると、ちびっ子が寄ってくるのはセブで学習済み。計算してる感じがダサいけれど、建造物の魅力はイマイチ分からないし、マーケットはもう飽きたし、こういうお金のやり取りが無いプチ交流ができる方が面白い。

ホーチミンは東京。バインミーは美味かった。ベトナム発のIPAも美味しかった。以上。笑

ホーチミン2日目は寝坊したのもあって遠出できなくて、ベトナム戦争についての博物館に行った。
50年ほど前に起きたことだからか、結構生々しくて見ていて辛かった。見ていられないところも多かった。第2次世界大戦とかだと何だか昔話のような気がしてしまうのだけれど、これは違った。昔話って感じが全くしなかった。

ベトナム戦争の博物館に「大量のバイクが走っているのは自由と平和の象徴」みたいなフレーズがあった。それまでは、この国は最悪だなって思ってた。セブも酷かったけどそれ以上に酷いと感じた。クラクションはうるさいし、歩道だろうが関係なく走ってくる奴らもたくさんいて、無法地帯だって思った。
ただ、悲惨な過去を踏まえて現状に鑑みると、なんか急にほっこりした。でも、マナーは守って運転して頂きたい。

博物館で展示されているのは、アメリカ批判色が強い内容だった。もしもアメリカが勝っていたら、全然違う内容になっていたのだろうと思った。いや、そもそも今回見た内容も実は誰かにとって都合の良い内容になっているのでは。真相はわからないし、考えたところで陰謀論みたいで気持ち悪いけれど、アメリカ批判が強すぎてそんなことをふと思った。

カンボジア 8/20~24

プノンペンではポル・ポト政権による虐殺についての博物館に行った。日本語の音声ガイドを聴きながら見学した。来たことを少し後悔したくらい気が重くなる場所だった。カンボジアに高齢者が少ない理由を直接的に知らされた感じがして、ベトナム同様にカンボジアの見え方が変わった。

シェムリアップに着いたのは夕方だった。シェムリアップの目的はもちろんアンコールワット。トゥクトゥクのおじさんに明日の分のチケットでも、今日これから入れるって言われて、シェムリアップに着いたその足でアンコールワットに行った。

でも”明日”はアンコールワットには行かなかった。日の出もまあ別にいいやって思った。

興味

俺は建造物を見てもあまり感動しないみたい。アンコールワット然り、タイの寺、遺跡然り。歴史を知らないからだと思うけど。実は世界一周出発前に少しは勉強したほうが良いかと思って、弟の部屋を漁って世界史の資料集を開いた。そして6秒くらいで閉じた。〇〇朝やら〇〇王やらカタカナが多すぎるし、数十年ならまだしも、数百年、数千年前の話だと実感が湧かない。

そういえば高3の時、同じ理由で、世界史から逃げ、日本史もちんぷんかんぷんで、政治経済を選択したんだった。

ホステルで会う人は歴史が好きっていう人が多い。正露丸を飲もうとしたら、匂いキツイなそれっていう話になって、確かこれは日本とロシアが戦争した時に日本兵が持ってったやつらしいよって話をしたら、あぁー〇〇年のやつね(何年と言っていたかは忘れた)って、ドイツ人が。驚いた。笑
そういう人たちにとっては、歴史を感じられる建造物を訪れることはとても楽しいと思う。

俺にとっては、そこが散歩していて居心地の良い場所かどうかが重要。リヴァプール(イギリス🇬🇧)とかエディンバラ(イギリス)も世界遺産になっていて色々な歴史が詰まっているみたいだけど、その歴史にはそこまで興味が無い。それでもその2つの街が大好きなのは、散歩していてすごく気持ちが良いし楽しいからだと思う。

そういう意味でアンコールワットは俺にとっては楽しめる場所では無かった。バンコクもハノイもホーチミンも都市部はあまり変わり映えしないし、正直なところあまり楽しめなかった。逆に、タイやベトナムの田舎の方や、ラオスなんかは歩いていて面白かったし、また来る機会を作りたいと思う。

自分の興味・関心を自分なりに言語化できるとなんだか気持ちが良い。この興味をどんどん深めたい。この旅の間にできるだけ素敵な散歩スポットを見つけたい。そして山口乃々華ちゃんを連れてきて一緒に散歩するのだ。

バンコクのドンムアン空港でインドに入国できないことを知った時、もうこれ以上バンコクに滞在したくないって思った。正直な気持ち。飽きてた。タイの別の街へ行くっていう手段もあった。でも国際線ターミナルに居たからか、これからどこの国へ行こうかを考えてた。割とすぐに気持ちを切り替えられたのは、昼間のシュラスコでのビールが効いていたのかも。

クアラルンプール(マレーシア🇲🇾)乗り換えでジャカルタ(インドネシア🇮🇩)に行くことを決めた。ここには大学生の時のバイトの先輩が仕事で来ていて、当初は世界一周の計画に入れていた。だけど、予算の都合で渡航を断念した場所だった。
予算とかどうでもいいやってなりかけてる今。いくら使ったか、詳細はわからない。見ないようにしてる。贅沢はしていないつもりだけど。死にそうになったら助けてね♡

それでその先輩に連絡して、ジャカルタに到着した日の夜に”超”高級な中華料理レストランに連れて行ってもらった。美味しかった😋
そして次の日、電車でゆらゆらバンドンという街にやって来て、今noteを書いているというわけ。バンドン会議のバンドンって聞けばわかる人にはわかるかもしれない。俺にはわからなかったけど。
それから、バンドンはインドネシアの軽井沢らしい。確かに涼しい。インドネシアはイスラム圏の国ということで、お酒を飲めるところが少ない。コンビニにも置いていない。そのかわりおしゃれなカフェがめっちゃある印象。

カフェ巡り好きな人には素敵な場所だと思う。
ショッピングモールで見つけた。🍺

追加 8/26〜9/1(7日間)インドネシア・マレーシア

というわけで、インドネシアもこの記事にまとめちゃいます。つまらない稚拙な文章を長々とごめんなさい。もう少し続きます🙇🏾

  1. ジャカルタ 26

  2. バンドン 27〜30

  3. ジャカルタ 31

  4. クアラルンプール 9/1

こんな感じになる予定。9/1の明け方の便でジャカルタからコルカタ(インド)にクアラルンプール乗り換えで向かう。ビザはもう申請通ってるから次こそ大丈夫なはず。。
クアラルンプールからコルカタへは夜の便だから、マレーシアに入国してパスポートにスタンプもらってくる。31日は宿を取らないで空港で朝を迎えるつもり。きっと疲れているから、クアラルンプールではショッピングモールで必要なものを買い足したりのんびりして終わりかな。今泊まってるホステルの隣のベッドがちょうどマレーシア人のおじさん。マレーシアには何も無いぞって言ってた。

正直、バンドン会議の実際の場所に行ったくらいしかインドネシアについては書くことがあまりなくて。笑
ここバンドンでは毎日のんびり起きてねりねり歩いて、気になったカフェに入ってnoteを書いての繰り返し。山の方へ行くと温泉があるみたいなんだけど、遠すぎて歩くのはもちろん、Grabでも無理。バスもないし、調べるとタクシーも高いみたいで行くのやめた。
バンコクを出てから、またバンコクに戻ってくるまで移動続きでかなり疲れた。どうせインド行ったらさらに疲れるだろうから、ここではのんびり過ごせば良いやって割り切って、遠出もせず特に何もしてない。笑

過去にイスラム圏を訪れたのはアブダビ(UAE🇦🇪)だけ。でもアブダビは観光客もたくさんいて、イスラム教を1ミリくらいしか感じられない場所だった。だから実質インドネシアが初めてみたいなもん。クアラルンプールからジャカルタに向かう飛行機を待ってる時に、ムスリムの女性が多くて、ん?と思って調べてみた。恥ずかしい話、そこで初めてインドネシアがイスラム圏の国だと知った。ちなみにバリ島はヒンドゥー教らしい。バリならどこでもお酒売ってるのかな。
アブダビでは1匹も見なかった気がするのだけど、ここには猫が大量にいる。逆に犬を1匹も見てない。これもイスラム教が関連しているみたい。セブでは常時犬に吠えられて、時には追われて、狂犬病に怯える日々だった。ここではその心配がなくて良い。ラオス、カンボジアにもやばそうな犬はいたけど、セブほどではなかった。
インドネシアに来てからは特に何もしてないけど、イスラム教がほんのちょっぴり身近に感じられるようになったから、来て良かったと思う。でも中東に比べると、インドネシアのイスラム教はマイルドな方らしい。

いつの間にか、夜に屋台で安いご飯を食べながらご当地ビールを呑むことが習慣化してた。インドネシアに来てから、屋台で出される水やお茶が怖い。それに比べてビールの安心感。失って初めて気づくってこういうことなのかな。笑
どのビールも普通に美味しかったけれど、ラオスのビアラオっていうのが特に美味しかった。

大学1年生の春休みにエディンバラのブリュードッグで呑んだパンクIPAが人生初のビール。イギリスは18歳からお酒が買えるから、違法じゃないはず。違法だったとしても、時効だよね。。?

人生で一番美味しかったお酒は、自慢も含めてその時のビールだってことにしてたんだけど、シェムリアップでそれを超える素敵なお酒を飲むことができた。

シェムリアップ2日目、日の出のアンコールワットとか別にいいやって思って違う場所を散歩した。インスタに投稿したカンボジア編の2枚目の写真を撮ったとある丘。名前は知らん。丘の頂上までに着いた時、角の方になんかヤバそうな奴らいるなぁって思った。遠目に見える彼らが怖く感じたから、写真何枚か撮ったらすぐに引き返すつもりだった。

けど結局、こっちに来いよみたいな声をかけられた。恐る恐る近寄ってみたら同い年くらいの人達。写真じゃわからないけど、足下にはビールの空き缶が大量に転がってて、こいつらは平日の昼間から何をしてんだって思った。

最後の1缶だったビールを渡されて一緒に飲もうぜって輪に入れてくれた。

🇯🇵🇰🇭🇰🇭🇰🇭🇰🇭🍺🚬

英語が全く通じないところを見ると、大学生ではないことも明らかだった。お互いが何を言ってるのかさっぱりわからないまま一緒に過ごした。でも楽しかった。

これは例えばの話だけど、こんなことを思った。自分たちは月収が5万円ほど。目の前に100万円持って、しかも数十万円の借金なら許容できるって言って世界1周してる同世代の人間がいたら、俺はどんな感情を抱くだろう。
仮にそれが言葉の通じない客だったら、少しくらい代金上乗せして請求してもいっかって思うかもしれない。ここまで約1ヶ月間、公正じゃないなって額を提示されて嫌な思いをすることもしばしば。でも状況が状況なら、俺も同じことをしてたかもって考えると、何だか許せるというか、理解できなくもない気がする。
商売が絡んでいなかったとしても、俺なら招き入れるどころか、きっと妬んで終わり。何か汚い商売してるんだろうなとか、親が金持ちなんだろうなとか、都合良く妄想すると思う。現に同世代で高級車に乗ってる人とか見るとそんなことを想像してしまう。

シェムリアップの丘で出会った彼らが普段どんな生活をしているか、収入はどれくらいあるのか等、全く知らないし、彼らは俺が日本人だってこと以外(ホステルのカンボジア人スタッフに手伝ってもらってMessengerでメッセージを送るまでは)何も知らない。ただ彼らは俺の持ってるカメラとiPhoneにかなり驚いた様子だった。

この時にもらった、めちゃめちゃぬるい缶ビールと、本当は苦手なメンソール入りのタバコが、これまでの人生で一番美味しいビールとタバコになった。

最後に

セブでも似たようなことはあった。どういうわけか、びっくりするぐらい優しく受け入れてもらえる時がある。たまにだけど。そのたまにの経験から途上国で慈善活動する、したい人の気持ちが少しわかったような気がした。今まで全く理解できなかったという訳じゃないけれど、現実離れしているというか、自分の中に上手く落とし込めなかった。ただ単純に凄いなぁって思うくらいで。けど今は、活動する人たちの想いに共感できる。短期間の些細な経験で烏滸がまし過ぎるね。笑

きっと過去に学んでいたはずの、ベトナム戦争もポル・ポトもバンドン会議も、なんか聞いたことあるって程度だった。
歴史に関わらず、様々な知識の多くは、人から聞いたり、本や映像を通して知るだけでは限界があるのかもしれない。少なくとも俺は、実際に足を運んで体験したり、感じたりして、初めて0から1になってるように感じている。逆に1になった今なら、本やネット等でもっと深められるような気がする。コスパ悪すぎるんだけど、この1か月間でこれまでに無いくらい、たくさんの1を作り出せたというか、見つけられたというか。

あるきっかけでその国や地域、人々に対する見え方や捉え方がコロッと変わってしまうのは、良い事なのか悪い事なのかどっちなんだろう。その時その時で感じたことに嘘は無いのだけれど、無責任過ぎるというか自分勝手だなぁとも思う。
これについて考えるのは難しすぎて、よくわからないから今はいいや。笑👋🏾


困っていること等

  • 歴史系の博物館に行きがち。
    →自由に散歩するにもある程度目的地が必要で。1人で行っても寂しくならなそうな場所を選ぶとこうなる。

  • ahamoが使えなくなってから、世界87か国で使えるe-simを利用中。
    →ラオスは対象外、ベトナムでは3G、カンボジアはカバーされてるはずなのに接続できずで、ホステルの外ではスマホがほとんど使えない状態だった。インドネシアでは今の所大丈夫だけど今後がちょっと不安。

  • 疲れてきた。
    →冬に超過密日程でヨーロッパ中を飛び回っても尚、高パフォーマンスを出し続けられるリヴァプールの選手達エグすぎる。彼らはLCCにもボロボロのバスにも乗らないだろうけど。

  • 蚊に刺される。
    →インドネシアに来てから蚊に刺される頻度が急激に増した。服の上からでもガツガツ刺してくる。かゆい。病気怖い。

  • コルカタからバラナシ(インド)までの電車のチケットが上手く取れない。
    →意味わからん。教えて。インド入国以降の予定が全然組めない。インドは俺に来てほしくないのかな。

  • インド怖い。
    →調べれば調べるほど色々出てきてビビってる。笑

本当に最後に

もしここまで読んでくれた人、どうもありがとうございます。つまらなくて長ったらしい文章でごめんなさい。色々面倒くさがって後回しにしてたツケが、ここにも回ってきてて。起きたこと、感じたことを忘れないためにも、もう少し短いスパンでnote書くべきでした。気をつけます。っあ、YouTubeしれっと投稿してます。帰ってから編集してVlogにしますが、興味ある人探してみてください。手ブレ酷いです。
今回のnoteでは地名の後ろに国名と国旗を入れてみましたが、読みづらかったらごめんなさい。

11月5日の夕方着のロサンゼルスから羽田への航空券を買ったので、それで帰国する予定です。

Googleマップに自分が訪れたところをマークしてみたので興味ある人は見てみてください。今後もマークしていきます。

では明日ジャカルタに戻り、クアラルンプールで1日過ごしてからインドに突撃したいと思います。


最後まで読んで頂きありがとうございます🙌🏽 頂いたサポートは全て海外で冒険する資金に充てています。何卒宜しく宜しくお願い致します🙇🏾