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私にはADHD(不注意優勢型)の 気質があります①

これまでの人生を振り返って、
コミュニケーションが上手くとれないことに
誤解が生じ色々と苦労してきました。

自分の不甲斐なさを責めていたので、
いつもイライラして心が休まる時が
なかったです。

吉濱ツトムさんの本を読んでから、
自分がADHDの気質があることを知り
生まれ持ったものなので仕方ないことだと
割り切ることができるようになりました。

活発な子どもでした

子どもの頃は、とにかく目立つことが好きで、
授業でも率先して手を挙げるなど活発でした。

まず、じっとしていることができなくて、
落ち着きがないと注意をされてきました。

よく思われたいとか褒められたいとか
いうよりも、思ったことを話さないと
いけないという衝動からです。

元気があってよいと褒める先生もいれば、
授業の妨害をして邪魔をしていると
捉える先生もいました。

まともな回答よりもピントがずれた回答が
多かったのが理由です。

先生からすれば、扱いづらく
面倒くさい生徒です。

そのため、その先生は私の親を呼んで、
困っているので何とかしてほしいと
苦言をしてきました。

親から「お前が授業中に手を挙げて
発言するのが迷惑なので、これからは
一切やらずに大人しくしていろ」と言われ、
迷惑という言葉が、子供ながらにショックを
受けます。

これまで自分のしてきた振る舞いが急に
恥ずかしくなりました。

自分の行動に自信がもてなくなり、
内向的な性格になってしまいました。

これがキッカケで、相手に刺激を与えない
ように身構えるようになり、いつも人の顔色
ばかり気にするようになってしまいました。

周りからも驚くぐらいに変わりました。

いつもはしゃいでいて落ち着きがないと
注意をされていたのが口数も減り、
目立たない子どもとなりました。

あがり症になってしまった

私は集団で行動することが、
子どもの頃からとにかく苦手でした。

当然態度にも現れ、先生は反抗していると
思い耐え難い仕打ちをしました。

それは、小学校の卒業式の
練習によるものです。

卒業式は1人ずつ台の上に立ち、大きな声で
自分の名前を言うことになっていました。

ちょうど同姓同名の同級生がいて、
本人がいる前で自分の名前を言う
恥ずかしさと、彼に対する劣等感を
持っていました。

彼はサッカーが上手く、
クラスのリーダー的存在。

自分は何の取り柄がないことから、
同じ名前を名乗ることが嫌で早く
立ち去りたいという思いでいました。

声が小さかったことから、
10回もやり直しをさせられ、
さらし者にされた状態でした。

それ以降、何度もやり直したことを
バカにされた経験から
トラウマとなってしまいます。

人前に出て話すとなると声が震え、
頭が真っ白になってしまいます。

よく見せようと構えてしまい、
何が何だか分からなくなってしまいます。

また、私は声が低く、活舌も悪いことから、
余計に話すことがプレッシャーとなって、
身構えてしまいます。
              (つづく)


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