所有と放棄について
”ミニマリスト“
どんなイメージがありますか?
・自制心がありそう
・計画性がありそう
・几帳面そう
・神経質そう
・口うるさそう
・頑固そう
プラスやマイナスのイメージがあります
また現代の人というイメージもあります
先日、羽田圭介さんの小説
「滅私」を読んでミニマリストについて
色々と考える良い機会になった
自分も意識はしてませんが
年々、ミニマリストという
方向へ進んでいる気がする
必要のないものは、なるべく買わない
必要性がなければ、なるべく捨てる
買わない、持たないを心掛けて
できるだけ最小限の物で
シンプルに生活をしたい
そんな欲求が強く芽生えてきている
逆説的になるかもしれませんが
物を大切にしたいからこそ
物を持たないようにしてる所もあります
本当に必要な物や
本当に気に入った物だけを
大切にして生活をしていきたい
そう思うようになってます
✳︎
生活に合理性を追求していくと
”無駄を省く“
という行為に自然と向かっていく
極限まで生活の無駄を省いてみる
その先には何があるのだろうか?
羽田圭介さんの小説には
その先の無駄を省いた
人間の心情が描かれていた
結局は個人の価値観によって
必要と無駄、所有と放棄が選別され
そこに正解はないんだと解釈をした
✳︎
所有している物には
その人間の人となりが出ると思う
物の種類、物の数、物の扱い方には
その人間の性格や心の中が可視化される
物に溢れ、物を捨てられない人間と
物を削り、物を持たない人間とでは
どちらが”物“に支配されてるのだろうか
どちらの人間も”物“という
ただの物質に支配されてるように感じる
自分的には物質に支配されるような
そんな息苦しい生活は送りたくない
小説を読んでみて
今の自分の考えとしては
なるべく無駄を省いた上で
多少の無駄は必要なのではないか
そう思うようになってます
無駄を省き、無駄を無駄にしない
矛盾してますが、それが腑に落ちます
シンプルな生活を土台にして
ある程度の”無駄“のようなものが
あった方が生活の幅が広がり
人生は豊かになるのだろうと思う
無駄を受け入れたり
無駄を楽しめるような
柔軟な精神を持ってる方が
人生は豊かになるような気がしてます
所有という執着を捨てて
放棄という価値観に縛られず
自然の流れに身を任せて
自由に生きていたいなと思ってます
【後記】
”人間関係における無駄“
これを柔軟に楽しめるようになったら
人生は最強なんだろうと思います
しかし、今の自分には無理難題です
ほとんどのストレスが人間関係の上に
存在していると思ってるからです
「人間関係に無駄なんてない」
そう言われるかもしれませんが
やはり無駄な人付き合いはあると思う
”人間関係における無駄を楽しむ“
そんな最強の日が来るのは
いつになるのでしょうか
あと数十年はかかるのか?
永遠にやっては来ないのか?
何か特別な能力を所有するのか?
何か無駄な精神を放棄するのか?
今後の自分の心の中の
所有と放棄の変化が楽しみです。
それではまたCiao!