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小金井公園

疲れている
頭でも体でもなく
心が疲れている

心が疲れていると
人のいない、緑の多い
自然の中に身を置きたくなる
これは人間の本能なのかもしれない

東京都小金井市にある
小金井公園へ
東京にもこんなに大きな公園がある

✳︎

豊かな暮らしって、どんな生活なんだろう
ここが自分にとって最善の場所なのだろうか
最近はそんな事ばかりを考えている
穏やかに生きたいという想いと
刺激を求め成長したいという想いが
自分の中で交互にぶつかり合っている
無鉄砲で想像力のない思春期の頃に比べたら
今の方が人間関係が円滑になってきている
その理由は自分に嘘をつくのが
上手くなってきたからだと思ってる
その嘘に後ろめたい気持ちも薄れてきている
無理に話を合わせたり
面白くもないのに笑ったり
行きたくもない飲み会に行ったりしている
これが大人になるということなのだろうか
人付き合いを円滑にすればする程
より孤独を感じ虚無感に襲われてしまう
今のこの姿を昔の自分が見たら
おそらく嘲笑し軽蔑するだろう
本当の繋がりって何なんだろう
本当の交流って何なんだろう
できれば100%本音で生きていきたい
嘘や偽りのない等身大の自分でいたい
それが可能になる瞬間は独りでいる時だけだ
本音で、ありのままの姿で成り立つ
そんな関係性なんてあるのだろうか
たぶん皆、偽って人間関係を構築してるんだ
そんな卑屈で信憑性のない事を思ってしまう
自分では普通だと思ってることが
社会では異常だったりする
自分では苦手なことが
社会では常識だったりする
自分が狂ってるのか、他人が狂ってるのか
誰とでもすぐに仲良くなってしまう
コミュニケーション能力が高い人がいる
とても羨ましいと思う反面
そんな人間が薄っぺらく見えてしまう
あんな人間にはなりたくないと思ってしまう
「会話なんて考え過ぎず、適当で大丈夫だよ」
コミュニケーション能力が高い人は
そんなような事を言ってる人が多い
「適当に会話をする」
こんなに難しい行為はないと思う
なるべく実直に、なるべく的確に
なるべく粋な会話をしたいと考えてしまう
そうなると相手も自分も疲れてしまう
「適当」に対して真剣に考えてしまう
そんな事を思ってる時点で「適当」からは
遠く離れてしまう不条理のループに堕ち入る
心の底からフィーリングが合う
もし、そんな人がこの世の中にいるのなら
絶対に見逃さず丁寧に寄り添える
そんな感性の人間でいたいなと漠然と思う



そんな不毛な事を考えながら
のんびり散歩をしました
小金井公園は平和に溢れてました
地球全体がこんな公園になればいいのになと
炎天下の帰り道で思いました

今年のゴールデンウィークは
のんびりしたので、心が整えられました


【後記】

公園のベンチで、うとうとしてたら
母親から電話があった
妙にテンションが高かった
6月に一緒に旅行へ行くことになった

それではまたCiao!

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