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欲望の追いかけっこ

追えば逃げていき
逃げれば追われる

探せば見つからず
忘れた頃に見つかる

奪いにいくと失ってしまい
失ってから得るものがある

”人生は表裏一体"

くっついたり、離れたり
磁石のような追いかけっこ
そんな構造で世の中は成り立ってる気がする

欲を出し過ぎると
離れていってしまう
そんな事は分かっていても
冷静になれないのが人間だ

それでいいし、それがいい。

✳︎

自分がやりたい事と
自分に向いてる事が
必ずしも同じとは限らない

心からやりたい事に才能がなかったり
どうでもいい事が得意だったりする

だからって、それが不幸だとも思わない
むしろ才能に左右されない方が
幸せだったりするのかもしれない

才能と向き不向きの、追いかけっこ。

✳︎

自分が好きな人と
自分と相性が良い人は
必ずしも同じとは限らない

好きな人でもフィーリングが合わなかったり
空気のような人でも感覚がマッチしたりする

好みのタイプの人と付き合うのと
相性が良いタイプの人と付き合うのでは
どっちの方が幸せなのだろうか

目の前に居るだけでドキドキするような
憧れに近い好きな人と付き合ったら
なぜか心が疲弊してしまう事がある

心から望んでいた事なのに
好きが大きく膨らんでしまうと
恋愛の歯車は上手く回らない

相手に幻想を抱いてしまい
ずっと背伸びしてる感覚が
疲れの原因なのかもしれない

もしかすると性欲という強い欲望が
様々な判断力を鈍らせているのかもしれない

愛と性欲の、追いかけっこ。

✳︎

最近は自分が自然体でいられる相手が
本当の愛なのではないかと思う

また相手にも自然体でいられるように
安心感を与え距離感を工夫することが
本当の愛なのではないかと思うことがある

”本当の愛”

昔の自分だったら
「そんなモノねーよ!」
と馬鹿にしてたのかもしれない

昔の自分と、今の自分の価値観が
くっついたり、離れたり
磁石のように引っ張り合っている

どっちの自分も本当の自分で
価値観や考え方が変化してるだけだ

最近はどんなに歪んだ愛であろうと
すべての愛を肯定したいと思える

"本当ではない愛"

「そんなモノねーよ!」
と心から思えてしまうのだ

過去と現在の、追いかけっこ。

✳︎

最近は豊かな暮らしを追い求め
なるべく自然体でいられる人や場所を
探し求めるようになってきている

人生は思い通りにならない事だらけだ
無理に風穴を開け、抗うことよりも
自然の摂理に身を任せながら

全てを受け入れて、流れるように
人生を好転させたいと思うようになっている

しかし、自然体を意識すればするほど
自然体からは大きく掛け離れてしまう

意識と無意識の、追いかけっこ。

先日公開された映画
「墓泥棒と失われた女神」を観て
そんな曖昧なことを思いました
(注)映画の内容はそんな感じではありません。

絶望と希望が同時にやってくる
ラストシーンめっちゃ良かったな〜
今年のベスト オブ ラストシーンです!


それではまたCiao!

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