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リーダーはメンバーの声は進むべき方向の鏡と思い、耳を傾けるべき

6月11日(火)に『リーダーは日本史に学べ』(ダイヤモンド社)を出版いたしますが、出版までに本書で取り上げている歴史上の人物について、なぜ取り上げたのかを簡単にご紹介していきます。

第7回目は、松平容保(かたもり、1835年~1893年)です。幕末の会津藩の藩主であり、幕府の求めに応じて京都の治安を維持する京都守護職を務めました。長州藩から京都を守った時は、当時の孝明天皇からも感謝されます。しかし、時を経て長州・薩摩藩により幕府が倒れると会津藩はスケープゴートとされ、会津戦争という悲惨な戦いのなかで多くの家臣やその家族を失うこととなりました。

私が本書で松平容保を取り上げた理由は、容保を通して、自分の正義に固執し過ぎず、メンバーの意見に耳を傾けることの大事さを伝えたかったからです。

実は、容保が京都守護職を引き受けたとき、筆頭家老はそのリスクの大きさから猛反対したのです。そのリスクとは、京都守護職就任により莫大なコストがかかるのに加え、反幕府勢力から反発を受けることを懸念したからです。しかし、先祖からの徳川家第一の教えを守る容保は、筆頭家老の声に耳を傾けませんでした。
また、京都守護職就任後も、費用負担や反幕府勢力との対立から、早期の退任を求める声は会津藩のなかにありました。しかし、長州藩を京都から追い出し、幕府や朝廷から頼られていた容保は、その求めには応じませんでした。
その結果として、筆頭家老達がまさに心配していたように、幕末の最終局面で会津藩は大変な苦しみを味わうことになったのです。

私は、松平容保という人は、大変真面目で、誠実な人だったと考えています。それであるが故に、幕府や天皇に対してひたすら忠誠を貫いたのです。その生き方は、まさに会津藩が大事にした「義に死すとも不義に生きず」を体現したような人生でした。
しかし、筆頭家老などの意見に耳を傾けていたら、会津戦争での悲劇も免れていたかもしれません。
リーダーとして、信義を通すべきだったのか、または自分が率いる組織を守るための家臣の意見をとるべきだったのか、深く考えさせられます。

現代に生きる私たちも、リーダーという立場で自分が信じる道を進もうとした時、それに反対するメンバーの声に直面することがあります。そのどちらを取るべきか、ということについて正解があるわけではありません。リーダーの第一の役割が進むべき方向を示し、その全責任は全てリーダーにあるなら、最後はリーダーが決めるしかありません。
しかし、最後はリーダー自身が決めるにしても、反対するメンバーの声も耳を傾けてほしいのです。なぜなら、その声は、リーダーが進むべき方向の鏡でもあるからです。そこには、仮に反対を押し切って進んだとしても、その方向をよりよくする、またはリスクを抑えることがあるのです。鏡を見て我が身を正すように、メンバーの声を鏡として、リーダーは進むべき方向を正していくのです。

そんなことを伝えたくて、本書では松平容保を取り上げてみました。

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松平容保


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