【認知的不協和理論】「ネトウヨ」と「リベラル」を分けるもの【脳の構造】/「歴史否認」「陰謀論」はどこから生まれるのか?――⑤『防衛機制』と「ウイグル話法」「沖縄話法」「LGBT話法」
『防衛機制』とは何か?
管理競争社会の中で、体罰・虐待・過干渉などのストレスに晒され続けると脳の抑制機能の成長が抑えられ、「自立」することが困難になる。1つの価値観〔比較・競争・優劣⋯〕に凝り固まり、生きる選択肢が狭まり、融通が効かなくなる。
その植え付けられた『ピラミッド支配構造』のプレッシャーの中で、「良い(褒められる)自分」と「悪い(怒られる)自分」、あるいは「こうなりたい」という(欲求)と、「思うようにならない」という(現実)との不協和が拡大していくと、そこから生じる不安や苦痛や劣等感を解消しようとる圧力が強まっていく。
そして、その不安や苦痛や劣等感を軽減しようとする無意識的な『心理的メカニズム』を【防衛機制】という。
では具体的にどんな防衛機制が働くだろうか?
【分裂】→善悪二元論
物事にはすべて「良い側面」と「悪い側面」があるが、管理競争社会の中でストレスが増大するに伴って脳の抑制機能が低下し、分裂が起こると、多角的に物事を見ることができなくなる。そこでは“善か悪か”、“敵か味方か”の二分割思考(善悪二元論・白黒思考・0か100思考)になる。「自分の行動こそ正義=善」と思い込み、それ以外はすべて「間違い=悪」となる。
それは「親や皆から認められたい。否定されたくない」という思いの中で、『良い(褒められる・認められる)自分』と『悪い(怒られる・否定される)自分』に分裂させ、自分の『良い側面(善)』しか見えなくすることによって、『悪い側面(悪)』によって自分が否定される不安や恐怖を払拭しようとする『心理的メカニズム』から来ている。
「勝たなければならない。負けたら生きる価値がない。いい学校に行かなければならない。レールから外れたら負け。親や教師の命令は絶対で、反抗してはならない。逃げてはいけない。規則は守らなければならない。皆と同じでなければならない⋯」という思い込み(妄想)の中で、脳が依存状態になり、1つの価値観(依存先)に凝り固まっでしまい、世界が『善』と『悪』に分裂してしまう。
そこでは、自分の行動・価値観(=依存先、上下関係)こそ『善』であり、それを否定するものは『悪』となる。
そうなると、「(規則命令を守る)自分こそ善、優れている」と思い込み、「(規則命令を破る)反対者は悪、劣っている」となる。「自分の行動・価値観は正義・優秀」、「反対者は不義・劣等」=「存在価値がない(無価値的存在)」となる。そうして自分の存在を正当化しようとする。
そして、権力者・教祖・強者・多数派と同一化し、「自分こそ正義」と思い込み、反対者・弱者・少数者・子供を攻撃・支配することで、自分の中の不安や劣等感を払拭し、優越感・万能感を得ようとする。
例えば学歴社会の中で、いい学校に入る為にひたすら受験競争に打ち込んできた人にとって、学歴社会や受験競争を否定することは、自分がやってきた行動=自分の存在そのものを否定することになる。そうなると『学歴社会・受験競争』=『善』であり、それを否定する「ゆとり教育・個性・自主性尊重」や「フリースクール、人権教育、性教育など」は『悪』となる。
そして、その自分の行動・価値観を正当化しようとするあまり、それを批判する人たちに対して激しく攻撃する。それは自分の中の不安や劣等感の裏返しで、自分に自信が無いから⋯尊厳・自己肯定感が無いからに他ならない。
そこでは、競争の中で「1番でなければ意味がない。差別や格差は当たり前。自分は正しい、優れている」と思い込み、「それ以外の“考え方”や“生き方”もある。罪や誤りを認める」というような「1番でなくても良い。個性が大切」「差別反対。格差是正。弱者救済。ジェンダーフリー」という意見・運動に対して、自分の存在が否定されたように感じ、激しく攻撃する。
その思い込み・被害妄想から、御用学者が生まれ、ネトウヨが生まれる。自分を正当化しようとする余り、「被害者は嘘を言っている」「反対者はカネのためにやっている」「批判者は在日だ」「在日特権がある」「日本を貶めようとしている」という妄想に取り憑かれ、客観的・科学的思考が失われる。
同じように、“オリンピック”や“甲子園”などを目指して必死にやっている人にとって、それは絶対的なものとなり、それを否定する意見に対して攻撃的になる。
また、神・教祖(カルト宗教)に自分の存在意義や安心感を見つけ、布教活動や多額のお布施を熱心にやってきた人にとって、その宗教が否定されることは自分が今までやって来たことを否定されることと同義あり、そのために必死にその宗教を守ろうとする。
カルト宗教に服従依存している人は、その行動を正当化するために「自分は優秀・正義・選ばれた人間」と思いこむと同時に、「批判者は劣っている。悪魔・共産主義に操られている。自分達を陥れようとしている」ように見える(妄想・幻覚)。
それは官僚組織でも、独裁国家でも、ブラック企業でも同じ、そのピラミッド支配構造の中で権力者に認められようと必死にやっているうちに、その行動を正当化するために、否定的な意見に対して、「自分を陥れようとしている。外国に操られている。スパイだ。共産主義者だ」というような被害妄想に取り憑かれ、防衛本能から口汚く相手を攻撃しようとする。
それらは、自分の行動を正当化し、不安や劣等感を軽減しようとする『防衛機制』から来ている。「国の為、子供達の為にやっている。自分こそ正義・愛国者。反対者は悪・反日」と主張することによって、自分の既得権益・支配構造を守ろうとしているのである。
そして、その他の関連する『防衛機制』として
【抑圧】
【否認】
【同一視・同一化】
【投影性同一視】
『防衛機制』とは「不安・劣等感」を解消しようとする『心理的メカニズム』
競争社会の不安・恐怖・劣等感が増大する中で、権力者・強者と同一化し、規則ルール・礼儀・慣習を絶対化し、弱者・少数者に『悪い自分』を投影し、相手を攻撃・いじめ・パワハラすることで不安や劣等感を解消し『優越感・万能感』を得ようとする。
そこでは「自分は正しい。優れている」、そして「相手が間違っている。劣っている。嘘ついている」と思い込み、「自分が間違っているのではないか?」という葛藤や、相手への尊重や共感能力が失われ、簡単に感情に流されてしまい、デマ・陰謀論に騙され安くなる。
【投影性同一視】と「ウイグル話法」「LGBT話法」「沖縄話法」
『防衛機制』と『歴史否認』
社会的ストレスが強まる中で、『理想の(褒められる・成功する)自分』と『現実の(叱られる・失敗する)自分』との不協和が拡大すると、自我が『良い(美しい)自分』と『悪い(醜い)自分』に【分裂】してしまう。そして、どうしても受け入れ難い『悪い(醜い)自分』を【否認】すると同時に、潜在意識に【抑圧】した『悪い(醜い)自分』を他者に投影し、攻撃することで、あたかも相手に“欠点・落ち度”があるように誘導し、責任転嫁しようとする。
そうすることで、自分(顕在意識)は『良い(美しい)自分』のままでいられる。そうすることで優越感や万能感を得ることができる。
それは、鏡に映った本当の自分の姿
つまり【投影性同一視】は、自分の無意識(潜在意識)の中に抑圧した『悪』(=本能・醜い行動・醜い感情・不安・後ろめたさ・劣等感)を映す鏡と言える。つまり、相手が「そう見える」ということは、実は「自分がそういう行動をしている」ということでもある。
相手を激しく攻撃・誹謗中傷している人を見て、「それは自分自身のことだろう」と言うことがよくある。例えば「あいつは嫉妬しているだけだ」と思うのは、自分が普段から嫉妬しているからそう感じるのであり、普段から「人に勝ちたい、金持ちに成りたい」と思っていない人にとっては何のことかわからない。
同じように、「人をバカにしている、見下している、上に媚びている」と見えるのは、自分が普段からそういう行動をしている、上下関係に拘っているからに他ならない。
教祖に洗脳され、“服従・隷属”しているカルト信者は、「批判者は悪魔に洗脳され、悪魔に“服従・隷属”している」ように見える。
頭がおかしい人(依存症患者)は、「自分は正常だ。周りの人の方が頭がおかしい」と言う。虚言癖の人は、「自分は嘘はついていない。周りの人が嘘つきだ。捏造だ!」と言う。それは『否認の病』で、本当にそう思い込んでいる。それも自分の行動を正当化するための【投影性同一視】と言える。
権力やカルトに“服従・隷属”しているネトウヨは 、なぜか「ネトウヨ」と言われると怒り出し、「自分は正しい。中立。普通の日本人」と言うとともに、「マスコミは偏向している。批判者は在日だ、共産主義者だ、外国に操られている。外国に服従し、忠誠を誓っている」と攻撃する。⋯それは鏡に映った自分の姿
それは、心の中の不安や劣等感の表れに他ならない。自分に自信がないから、唯一の拠り所の『日本人』というものに異常に拘り、国家と同一化し、権力に依存・服従・隷属し、「国家・教祖のために死ぬ」ことに存在意義を見い出し、それを美化しようとする。そうすることで「万能感」を得ようとしているのである。
そこでは、「日本は正義。日本は神の国。日本スゴイ。日本人は優れている。日本人は選ばれた民族」と思い込み、「日本は絶対に悪いことはしない。虐殺はなかった。侵略ではなかった。被害者は嘘をついている。日本を弱体化するための捏造だ」と『悪い日本』を否認する。
そこでは
権力に服従・忠誠=権威主義=大日本帝国=特攻=【善】であり、
権力に反抗・批判=民主主義=日本国憲法=第9条=【悪】となる。
その善悪二元論に囚われ、客観的視点が失われ、日本の過去を反省し戦争責任を認めたり、権力の不正を追求する者達は、「自虐だ。日本を貶めようとしている。在日・中国のスパイ工作員である。他国に忠誠を誓っている」ように見え、誹謗中傷し、「日本人ヘイトだ!」と怒りだす。
【ウイグル話法】と【沖縄話法】【LGBT話法】
【ウイグル話法】というものがある。
それは日本政府や米軍等による人権侵害を批判する左翼やフェミなどに対して「じゃあウイグルはどうなんだ」と、「ウイグル問題を批判せず日本政府や米軍の人権問題だけ批判するのはダブルスタンダード」と威圧恫喝する詭弁術のことであるが、その言葉の後には大抵、「批判者は中共のスパイ工作員に違いない」「在日に違いない」「日本を貶したいだけ」「嫌なら日本から出ていけ」と誹謗中傷する言葉が続く。
これも【投影性同一視】と見ることができる。
自分の中の「不安・恐怖・劣等感」を解消するために、国家・権力者・強者・多数派に同一化し、服従・隷属している「自分の行動こそ正しい、愛国者、優れている」と思い込むと同時に、批判者は外国に同一化し、服従・隷属して「日本を貶めようとしている、反日、在日、劣っている」と思い込む。
そしてその自分の行動・依存を正当化するために、「日本は正しい。悪いことはしない」と認知を改変し、否認した『悪い日本』を批判する外国や批判者に投影し批判する。
それは過去の“戦争責任”について、「侵略ではない。植民地ではない。虐殺はなかった。強制連行・強制労働はなかった。慰安婦はただの売春婦」というような、戦前の『悪い日本』を否認する“歴史修正主義者”や、「日本スゴイ。日本人は優秀な民族。日本は特別な国」という“自民族中心主義者・国粋主義者”ほど、ウイグルの人権弾圧を強調することで、自分の行動の正当性を主張しようとする。
その根底には、「自分は正義、優れている」「反対者は悪、劣っている」、そして、「悪は殺してしまえ、排除してしまえ。劣った者は差別されて当然」という優生思想・選民思想がある。
つまり、それは自分の心の中の不安や劣等感の裏返し。
不安・劣等感の中で、自分の行動・価値観・依存を正当化しようとする余り、全体を俯瞰的に見ることができず、論理的に思考することができなくなる。相手(弱者・少数者・反対者・犯罪者・敵国)の立場に立って考えることができなくなる。自分の責任や誤りを認めることができなくなる。負けを認めて撤退することができなくなる。
「自分は正義」「悪は許さない。悪は叩き潰す」「批判者は反日で、日本を陥れようとしている」「反対者は敵国に操られている。スパイ」「日本を侵略しようとしている」「被害者は嘘を言っている。ズルしている」という被害妄想に取り憑かれ、脳が『依存状態』になり、行動を抑制できなく、リスク管理ができなく、問題を解決することができなくなる。
それは、「厳罰化(死刑制度)」「スパイ防止法」、あるいは「北朝鮮日本人拉致、ミサイル発射」や「統一教会解散命令」、また「パレスチナ問題」などに対する態度になって表れる。そこから戦争・侵略・虐殺が起こる。
“全体主義者”や“独裁者”や“差別主義者”は、「批判者は、多様な意見を封殺する差別主義者で、全体主義者だ。ナチスやスターリンやポルポトと同じだ」と言う。そして、「自分は愛国者で、反対者は敵国のスパイだ」「批判者は自分達を陥れようとしている」と言うことで弾圧・戦争・侵略・虐殺を正当化しようとする。
それは不安・恐怖・劣等感の中で、自我が分裂し、被害妄想が増大する中で、自分の行動を正当化しようとする防衛機制から来ている。そこでは冷静な想像力や判断力や共感能力が失われている。
【沖縄話法】
それと同じようなことで、沖縄の辺野古埋立や軍事基地拡大に対して、沖縄の自然や文化生活を守ろうとする反対運動に対して、「反対者は中国や韓国のスパイだ」「本土から来ている反日活動家だ」「お金を貰ってやっている」と誹謗中傷し、「野党が勝つと、外国が攻めてくる。中国に占領され、虐殺される」と不安・恐怖・憎悪を煽ることで、自分の行動(統一教会・縁故主義・既得権益)を正当化しようとする。
それは『カルト宗教』や『ファシズム』の手口と一緒で、その人の心の中の「不安・恐怖」を煽ることで、その人を支配・コントロールしようとする。人々から財産を吸い上げ、富を得ようとする。
戦時中は軍国主義の中で「愛国心」「八紘一宇」の名の元に、「アメリカに占領されたら虐殺・強姦されるぞ」と不安・恐怖・憎悪を煽り、「鬼畜米英」を叫び、反対者を弾圧・虐殺し、沖縄や日本を破壊していった人たちが、戦後は米国に隷属し、「反共プロパガンダ」の中で反対者を弾圧し、沖縄の自然を破壊していく、日本を貪り尽くしていく。
【LGBT話法】
それと同じようなことで、最近、保守派を中心に「“LGBT法案”が通ると、女性トイレや女性風呂に男が入ってくる」というような言説が盛んに拡散され、人の不安・恐怖を煽ることで、自分の(少数者)差別を正当化しようとする動きが見られる。
それも、1つの『投影性同一視』だと言える。つまり、自分が普段からやっていることを他者に投影し、批判・攻撃することで、自分の中の不安・劣等感を解消しようとしているのてある。自分の行動を正当化しようとしているのである。