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「竹中平蔵を排除するためにデービッド・アトキンソンと組む」・・・「血も涙もないネオリベモンスター」を倒すためには「血の通ったネオリベ」を味方にする必要があるという話。

この記事はさっきの記事の続きみたいなものなんですが、

上記記事では、今世界中で起きている混乱は、

・「ありとあらゆるローカルな存在をなぎ倒すネオリベ(市場原理主義)モンスターを暴走させることが成功の鍵だった第一波グローバリズム」

の時代が終わり、第一波グローバリズムが世界各国の共同体的紐帯をメチャクチャにしちゃった結果安定的な政治運営すら難しくなってしまったことで、今度は逆に

・ゴリ押しせずにローカルな存在との調和を実現しながらグローバル市場を拒否せずにいられるかどうか・・・が成功の鍵である第二波グローバリズムの時代

がやってくるのだ・・・という話をしました。

そしてそういう時代には、果てしなく両極化して混乱する世界の中で日本が「キャステイング・ボート」的に決定的な影響力を持てる可能性も見えてくるだろうという話でした。

ただその中での、その「グローバル経済への対応と国内の調和の両方が大事ですよね」って当たり前すぎる話すぎて何も言ってないような感じになってしまうわけですが、政府の「成長戦略会議」のメンバーの実名をあげて象徴的に説明すると結構「なるほど!」って反応になるなーと最近感じていて、それが

「デービッド・アトキンソン路線」をうまく活用することで、「竹中平蔵」路線を排除することが重要だ・・・

というスローガン?なんですね。

(ちなみに後日追記なんですが、この記事に対してやたら攻撃的な批判コメントを投げてくる人がいて、そういう人たちはいわゆる「MMT信者(日本国債はもっと発行できるからそれで積極財政やるべきという考え方)」なんですが、でも私個人はMMTに結構肯定的な人間なので、この記事はそれを「否定」しているものではない・・・っていうことを以下の記事に追記したので、この記事が終わったらぜひどうぞ。)

1●「日本の中小企業のリアル」を知らずにイデオロギー的な結論に飛びつくのはやめよう

ただ、SNSで政治談義をするようなインテリの人って個人の生活の中で「日本の中小企業の現状」に触れたことがない人が多いんだと思うんですね。

だから、「デービッド・アトキンソン路線」と「竹中平蔵路線」の間にいかに大きな差があるか・・・がイメージできなくて、一緒くたに「拒否」してしまっている人が多いと感じます。

私は本業(文筆業とどっちが本業でどっちが副業か・・・は微妙なところですが)主に中小企業のクライアントを持つ経営コンサルタントであり、また一方で学卒時はマッキンゼーというアメリカのコンサル企業で欧州企業や日本政府や日本の大企業のクライアントを担当したことがあり、さらに今の仕事ををする前に「あらゆる日本社会の側面を体験しなきゃ」ということで、いわゆる色んな「ブラック企業」に潜入して働いていたこともあります。

だから「どっちの視点」も体感としてわかる。

で、若い頃その「色んなブラック企業に潜入して働いてみる」をやった時に思ったんですが、日本って結構「ヤバい中小企業」が沢山あるんですね。

どう「ヤバい」かっていうと、

1・「労働基準法ギリギリどころか普通に超えてるほどメチャクチャ働かせて給料が手取り月15万円」

2・パワハラ・セクハラ・その他の圧力は当たり前

3・社員のほとんどに昇給の見込みはないが、社長とその一族はそこそこの暮らしをしている

・・・みたいな感じです。

しかも個人的に結構ショックだったのは、こういう会社はスラム的なところにあるんじゃなくて、都会のキレイなビルに入居してて、リクルート社の求人雑誌に普通に出ている感じなんですよ。

そういう会社が温存されていることが、最近話題の「ベトナム人技能実習生」的な悲劇も生んでいるはずです。

たぶん、「中小企業の再編が必要だ」というデービッド・アトキンソン氏の発言に脊髄反射的に「日本の中小企業の貴重な技術が外資に買われるぞ!」みたいなことを言う人は、こういう「中小企業のリアリティ」を体感したことがなくて、ある種の「イデオロギー的思い込み」だけで反対しているんだと思います。

むしろネットで左派寄りの人がよく言っている、

「労働基準法も守れないし最低賃金を上げたら潰れちゃう!とか言ってるのって経営者失格だよね」

みたいな意見はもっと大事にされるべきことだと思います。

そんなことをしていると「雇用」が失われるんじゃないか?って思うかもしれないが、そもそも少子高齢化で労働人口が激減する中移民もあまり入れたくないです・・・って言ってる人が同じ口で何を言ってるんですか?って感じですよね。

後で紹介するアトキンソン氏の著書によれば、2011年に比べて企業数は60万社も減っているけど雇用は370万人も増えているそうで、「中小企業を統合すると雇用が・・・」みたいなのは杞憂だと言えます。

今の日本は「高給を出せる働き口」をいかに作れるか・・・が大事なんであって、「最低賃金をちょっと上げたら潰れちゃいます」みたいな会社がいくらあってもダメなんですよ。

2●「ブラックすぎる」会社でなくても「あまりにも先はなさそう」な会社は多い。

体感で言えば、「パワハラしまくりで死ぬほど働かせて手取り15万円」っていう「最悪ケース」だけじゃなくて、もう少しマシな会社でも「先がなさそうだな・・・」っていうところは日本で結構あります。

そういう会社は私のクライアントにはならないけど、「私のクライアント企業の取引先」的な感じで間接的に見る会社で、「これはちょっとあまりにも先がなさそう」という感じることはよくある。

たとえば製造業とかで、グローバルサプライチェーンの中で「ちゃんと仕事をし続ける」には、ある程度投資し続けることが必要なんですね。

それも、ただ単に製造機械メーカーに言われるがままに高い機械を買えばいいってものじゃなくて、今後の業界の動向をある程度先読みして、必要になる加工技術を特定して、最低限の投資で最大の成果が出るように差配し続ける必要がある。

といっても別に世界を制覇する革新的なベンチャー企業を作る!みたいな能力が必要なわけじゃなくて、「普通に必要なことをやり続ける」必要があるんですよ。

でも、実際にはマラソンの集団から脱落していく人が出るような感じで、

「ああ、この会社ついていけなくなってきてんな」って「同業者集団から丸わかり」な会社

って結構あるんですね。

で、

ちゃんと投資を続けている自社でやればX円でできる仕事だけど、その会社に下請けになってもらってもX円ではとてもできないだろう。恩情でX+アルファ円で色を付けて受けてもらっても、その会社の技術では赤字覚悟で必死に社員をコキ使ってもなんとか潰れないようにするのがせいぜいだろうな・・・

みたいなことが結構あるわけですが、これがほんの5年前とかなら恩情的になんとかお互い支え合って無理やり仕事をまわして、その「会社」を潰れないようにしよう・・・ってなっていたんですが、最近は「会社」を無理に存続させる必要はないし、少子高齢化で人手不足なんだから潰して人員を吐き出してくれたほうがいい・・・という考え方になってきつつあります。

3●「普通に優秀な経営者」に統合していくべき

別にグーグルやフェイスブックをゼロから作るような超人的な経営者が必要なわけじゃないんですね。

ただ、

「普通に優秀な経営者」

が力を振るえるようになるべきで。

このあたりのことを、あまり「中小企業の現状」を知らないインテリの人にイメージしやすい例になおすと、

「普通に優秀な経営者」っていうのは、

センター試験で7−8割ぐらい取るとか、スマホゲームで毎月新しくなる設定を読み解いて最適な配分を考えられるぐらいの優秀さ

が大事なんですよ!イメージできます?

スマホゲームって私は昔結構バカにしてたんですが、今はむしろ「社会の中でそれを一緒にやりながら、ネットで色んな情報共有なんかをしながらみんなでワイワイ工夫していく共同作業の全体像」が凄い面白いなと思っているんですけど。

パチンコもちょっとそんなとこありますが、運営さんが作った「新しい設定」をちゃんと読んで理解して、最適な対応策を自力で考えられる人と、そうじゃない人いますよね?

人口の何割ぐらいが「できる」のかわかりませんが、「その程度」のことを社会の隅々で行えるリーダーシップにいかに力を与えていくか・・・が大事なんですよ。

別に3年先、5年先、10年先を完璧に見通す超人的な洞察力とかなくてもいいけど、日経新聞読んでてそれなりに見えてくる世の中の変化を先取りして、ちゃんと変化に対応して適切な投資をし、時代に合った仕組みを作って、社員を育てて、あまり安売りしすぎなくてもやっていけるようにする。

こういう「普通の優秀さ↑」を、「日本全国の”カイシャ”をやっているリーダー」が持っている必要はある。

スマホゲームについてユーチューブで情報を得てそこで教えてもらった通りにやって楽しんでいるプレイヤーたちのように、「リーダー」がちゃんと導けば優秀さを発揮できる人は日本に沢山いるからですね。

もちろん「もっと優秀」な人ならチャレンジングな大きな課題を作って次々と拡大していくこともできるでしょうが、少なくともこの「普通の優秀さ」をいかに平均値高く維持できるかが重要なんですよ。

私のクライアントの経営者で、「ここ10年間で平均給与を150万円ぐらい上げることができた」っていうのが自慢だ・・・っていう例もあるんですけど。

それは「メチャクチャ凄い」ことじゃなくて「普通に優秀」なことを一貫してやり続けることによって生まれるんですね。

そしてそういう人がいないと、「パワハラやセクハラはやめましょう」とか「有給休暇や育児休暇などの制度を整えましょう」みたいなことをちゃんと津々浦々に普及させることもできないんですよ。義務付けられてる社会保険も無視してる会社が結構多いとか言うぐらいなんで。

4●日本の会社は「政策的」に非常に「小さい」まま放置されている。

で、アトキンソン氏のメッセージのポイントは、日本の中小企業が「あまりにも小さいサイズ」のまま放置されているのは、「人工的な政策の結果」だって事なんですね。

以下の図↓はアトキンソン氏の著書のものですが、

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日本における「一社あたりの平均従業員数」は、1964年を境に”劇的”に減っています。つまり「企業のサイズ」が急激に小さくなっているんですね。

1964年に何があったかというと、OECDに加盟するにあたってその前年に「中小企業基本法」が制定され、「会社を大きくするよりも小さいままにしておいたほうがトク」な制度をアレコレ導入したからだ・・・というのがアトキンソン氏の主張なわけです。

アトキンソン氏のこの本には、各国の経済分析から、それぞれの国の「企業規模の構成比率」と「労働生産性」はかなり比例関係があるという研究が紹介されています。

ざっくり言えば

・「中小企業を増やすと雇用数が増えるけど平均賃金が下がる」

・「中小企業を統合すると雇用数は減るかもしれないが平均賃金を上げられる」

・・・効果がそれぞれあるため、高度成長期には「中小企業を増やす」政策にも意味があったけど、今のように少子高齢化で労働人口の激減が大問題である時には、「統合」していくことの意味が大きいわけです。

普通にしていれば企業は大きく成長し、伸び悩む会社を統合して大きくなっていくわけですが、文化的・制度的にそうならない国も多いわけですね。

アメリカなんかはイマイチな中小企業を野心的な会社がバンバン買収して大きくしていくので、規模が大きい会社が多くなる。結果として平均賃金も大きくなる。

この本で「企業規模が小さいまま放置されている」国の例として「スペイン(S)」「イタリア(I)」「韓国(K)」「イギリス(I)」「ニュージーランド(N)」「ギリシャ(G)」をあわせた「SINKING(沈みゆく国家)」っていう分類が提案されてるんですけど(笑)

財閥で有名な韓国も含まれるのに違和感あるかもしれませんが、韓国も非常に限られた「財閥」以外の会社はむしろ日本以上に小さいまま放置されていて(韓国ドラマでよくある”もうチキン屋をやるしかない”的な感じ?)、最近は生産性向上の頭打ちが課題になってきているそうです。

で、それら「SINKING」国家にはそれぞれ「企業規模を小さく保った方がトク」になる色んな制度があることが分析で明らかになっているそうです。

だから「中小企業を統合する」とか言うと「ついていけないやつは死ね」的な「血も涙もないネオリベ」政策に見えるんですが、しかしそれは実際には

・「ブラック企業」を温存してその下で働く人に死ぬ思いをさせ続ける

のをやめて

・ある程度拡大余地のある経営主体に統合していくことで、できるだけ多くの人に”マトモな労働環境”を用意できるようにする

という

・非常に「共助」的な発想

なのだということがわかると思います。

「会社を守って個人を虐げる」のをやめて「会社を無理に守るのをやめて個人を助ける」政策なんですね。

5●アトキンソン氏的な人物を孤立無援にすると、「血も涙もないネオリベモンスター」と合流してしまう

とはいえ、なぜアトキンソン氏が、竹中平蔵氏ほどでなくても結構ネットで嫌っている人が多いように見えるのかというと、彼の「言動」が結構”ネオリベっぽい”からなんですよね。

アトキンソン氏に限らず、色々と日本経済の「現場」レベルの体感をもとに具体的な提言をしている人って結構いると思うんですが、

そういう存在を孤立無援に放っておくと、そういう人たちはネオリベモンスターと結託するしかなくなる

のが大問題だなあ・・・と私は感じています。だってマトモに話を聞いてくれるの竹中平蔵さんたちだけなんだもん・・・みたいになってしまう。

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これは安宅和人氏の「シンニホン」を読んでいても思うことなんですが、こういう「現場も知ってるし知的に考える力もある」人が日本社会に提言をしようとする時、パッと理解してもらえないと

「必死になって自説を補強して”論破しよう”とする」

不幸があるなあ・・・と感じます。

結果として、内容が「良い提案を作る」ことよりも「反対者を論破する」ことに集中していくことで、単純に言って

・言い方がネオリベ的に感じ悪くなって反感を買う

だけじゃなくて、

・総論で言えば日本社会の多くの人が賛成だったのに、一部の疑問の表明を完全に論破するためにやっきになり、単純化しすぎて疑問符が付くような論点までズラズラと並べてしまう

ことになる。

まあこれはアトキンソン氏や安宅氏の方が悪いというよりは、日本社会の方がイデオロギーを超えて「彼らの提言」をちゃんと聞いて、「日本社会の細部」に合うようにちゃんとアジャストするのは日本社会側がやらなくちゃいけない課題だ・・・ということになると思うわけですが。

6●アトキンソン氏の提案を日本社会側から補強することは絶対に必要

「知的な提言」が古い共同体に受け入れられない時、コンサルタントとして思うことは、

・「もっと自説を補強して論破」する

よりも、

・実行段階での懸念点についての先回りした安心感を与えるディテールについて、「解決策」や「問題分析」の10倍ぐらい話すことが必要

だと思います。

アトキンソン氏みたいな人の意見に「違和感」がある時、その「社会側の違和感」って結構重要なヒントになってるはずなんですよね。

「具現化に向かう時の細部の調整」のための重要な情報であることが多い。

でもアトキンソン氏のようなタイプの人は

「なんか愚にもつかない理由で反対しているな・・・私のロジックが理解できなかったのかな?もっと補強したデータを持ってキチンと主張しなくては!」

と思ってしまって、余計に対話が成立しなくなることがよくあります。

アトキンソン氏の議論を見ていて、日本社会が抵抗感を感じるだろうな・・・という部分を「日本社会側」がちゃんと補強してうまく活用できれば、イデオロギー的に不毛な罵り合いを超えて意味のある変化につながることができると思います。

なかでも読んでいて非常に違和感があるのが、

A・小さい企業が温存されていた方が良い分野もある

B・単なる大企業化でなく、「小規模事業体をソフトウェアで連動させる解決」が見えてきている

の2つなんですね。

7●「小さい企業」に意味がある分野もあるし、今後もっと重要になってくる。

さっきの「SINKING」国家を見ていると、美食で有名な国(イギリスを除く!)が多いなあ・・・って思うんですよね。

要するに「システム化」されたチェーンストアに親和感がある国民性と、「一国一城の主」的なロマンが好きな国民性と・・・みたいなのがあるんじゃないかと思うわけですよ。

いやもちろん、「具体的な中小企業保護政策の結果」として「企業規模の小ささが温存されているのだ」という分析があるのはわかるけれども、じゃあなぜその国で「中小企業であるほうがトクな政策」が採用されるのか?という「原因の原因」まで遡ればそれは一種の「文化的」なものだったりするわけですよね。

アメリカの会社はすぐにチェーン化されるから労働生産性が高い・・・のだとして、じゃあアメリカみたいに外食がチェーンストアばっかりになっていいのか?マックとケンタッキーしかない世界みたいなのになっていいのか?

・・・みたいな違和感を、直感的に日本人が感じてしまう部分になっている。

「企業規模が大きくなる」ってことは、「一国一城の主的に好きにやりたい」という個々の”気持ち”は制限されるってことなんですよね。

でもそうやって「システム化される前の俺・アタシの感覚」をキッチリ持ちたいタイプの国民性の方が「美食国家」になっていたりする、そういう国民性の問題はやっぱりあるわけです。

結果として世界でミシュランの星が一番多い都市は東京!みたいな構造になっていたりする。

こういう「違和感」を日本社会の側がもつ時、アトキンソン氏のような人は「もっと強固に主張して論破せねば!」ってなりがちなんだけど、むしろそこで必要なコミュニケーションは、

あなたが懸念しているような「文化」レベルの美点は現状でもいくら小さな会社でも経済的に成立しているので、私が主張しているような政策変更があっても必ず残ります。だから安心してください。むしろ生産性が上がったセクターの人がどんどんお金を落とすようになってより繁栄しますよ。

というようなものであるべきなんですよね。

これがさっき書いた

・実行段階での懸念点についての先回りした安心感を与えるディテールについて、「解決策」や「問題分析」の10倍ぐらい話すことが必要

っていう話です。

で、今の時代、「規模の経済」が効く産業と、全然そんなことない産業がどんどん分離していってるじゃないですか。

今後ほとんどの産業の半分ぐらいは、「ユーチューバー」的な芸能人ビジネスに近い要素が増えるというか、外食にしろ観光にしろ何らかのモノを売るにしろ体験サービスを売るにしろ、

SNS的にファンが増えて爆発的に成功するか、全然閑古鳥が鳴いているかの二極化

みたいな世界になる分野は多い。

だからこそ、「零細企業」どころか「個人ビジネス」レベルで個人が好き勝手感性のままにアレコレやるチャレンジが大量に必要な業態が今後結構出てくるはずなんですよね。

アトキンソン氏は「ひとりビジネス」的な「ライフスタイル起業」に否定的な見解を何度も本の中で述べているんですが、「そういうの」が凄い重要な分野って今後どんどん増えてくるはずなんですよ。

つまり、

・「芸能人ビジネス」的な要素が全然ない固い商売・・・は、アトキンソン氏のビジョンのようにどんどん大きく統合されていく流れを妨げないようにする

一方で、

・「ライフスタイル起業」的な小規模な無数のチャレンジは、今後どんどん増えていくのを妨げないようにする

ことが重要なのだと思います。

8●単なる企業規模の大規模化でなく、小規模事業をソフトウェアが束ねる解決策もある

「ライフスタイル」的な個人のチャレンジが、ソフトウェアの向上のおかげで物凄い小規模のままできる時代になっているんですよね。

私みたいな個人のコンサルティング会社は、昔なら事務員数人雇ってバックオフィスを作ってやっている・・・みたいな感じだったと思うんですが、今やあらゆる経費精算がほとんど自動のクラウドサービスで一瞬で完結するので、年一回税理士さんに決算と申告だけお願いすればなんとかなったりする。

「農業」も、大規模企業化するべき・・・と言われ続けているけどなかなかそうならないのは、千差万別の地域事情や台風なんかの気候リスクを「企業」組織が引き受けるのが結構難しいからで、最近はむしろ農協とかを敵視しすぎず、耕作能力のある主体に畑を貸し出しで集約することで実質的な大規模化とリスクの分散を両立させていく方向が見えてきている。

アパレルも、ユニクロぐらいの超巨大「工業製品」的なサイズの企業以外は、結構「芸能人ビジネス」的な世界が増えてきているわけですよね。

「インフルエンサーが自分ブランドの服をデザインする」レベルではもう本当に「一人でやってる」ぐらいの単位で無数の「ライフスタイル起業」のチャレンジをし続けていて、一方でそういうのを何十と引き受けて採算ラインに乗せる縫製工場の方は、古いタイプの「安定した組織」になっている。

一個一個の「個」ビジネスに以前は小さい単位でそれぞれくっついていたものを切り出して一箇所に束ねることで、「規模が必要な部分は規模を大きく」と「個の自由さが大事な部分はトコトン自由に」を両立する最適連携を模索する形なんですね。

「個」であることが必要なビジネスはどんどん「個」の自由さを追求していき、逆に「集団」であることに意味があるビジネスは一箇所に集まって「沢山の個のビジネス」の特定部分だけを束ねて規模を出す構造になっていっている。

もっと「最先端」的な話でいうと、「キャディ株式会社」っていうところがあるんですが、ここは日本の中小製造業の受発注プラットフォームをAIで自動化しているベンチャーなんですけどね。

色んな「中小製造業」のそれぞれの会社ごとの得意不得意をちゃんと理解しておいて、大企業側が発注するにあたってそれを「登録している企業群」に人工知能で最適に振り分けるシステムを運営している。

要するに「スイミー」の話みたいに、「無数の中小企業」を「革新的なソフトウェア」で結びつけることで、「擬似的に大きな会社のように運営」できるモデルが生まれてきているんですよね。

「大企業化」するってことは意思決定が官僚的になって動きが遅くなるし、細部の個別的事情にフィットさせることもできづらくなるので。

「単純な規模の経済」が効く分野でアトキンソン氏の言うようにどんどん統合が進むべき・・・というのはメッチャ重要なことだと思いますが、一方で、

「無数の独立小規模事業体をソフトウェアで擬似的に結びつけて効率化する」

タイプの解決策は、今後非常に重要になってくると思います。

いわゆる「事務員さん」的な仕事は今後かなり統合されて一箇所にまとめられていって、そこの部分では「安定して9時5時の仕事をしたい人にそこそこの安定した職場を提供」していきつつ、高付加価値を生む技術開発分野には資本を、ライフスタイル的模索分野には完全な自由を、それぞれ与えられるようになることが今後の「全体最適」なビジョンになっていくでしょう。

9●日本が第一波グローバリズムをスルーしてきたからこそ

さっき書いた「キャディ株式会社」以外でも、僕のクライアント(私はいろんな個人と文通をする仕事もしてるんですが、そのウチの一人が非常に野心的なコンセプトのベンチャーの3人目の社員になったりしている)でも何らかそういう「製造×ソフトウェア」的なチャレンジをしている人がちらほらいるんですが・・・

彼らを見ていて思うのは、さっきの記事で書いた「第一波グローバリズム」をスルーしてきたことのアドバンテージは案外大きそうだ・・・ってことです。

「第一波グローバリズム」の頃のIT技術って柔軟性に乏しかったので、「第一波」の時代に「血も涙もないネオリベ」に力を与えまくって経済発展した国ぐにでは、経済発展したはいいけど副作用としてその社会の働き手の共同体をメチャクチャに破壊してしまって、「無数の怒れる低賃金労働者」と「超絶ハイソなエリート技術者」の分断が社会の運営を麻痺させるところまで行ってしまっていることが多い。

でも「第二波」の今のIT技術はものすごく高度化していて、「共同体を破壊するのでなくエンパワーする」ような流れが結構ある。

なにしろ「オールドエコノミー」の側もちゃんと体験してきた人が「ニューエコノミー」に参入して、両者のいいところを活かす新しいチャレンジを模索していたりする。

要するに「小泉・竹中時代」の最後に一回日本は強烈なブレーキを踏んだわけですよね。

その結果として社会が「昭和の遺産」の中でなんとか食いつなぐ停滞の中で賃金も伸びず苦しんできたわけですけど、そこで「第一波グローバリズム」をやり過ごして温存してきたものの意味は大きいとやはり私は思います。

大事なのは、これからちゃんと「アトキンソン氏的な存在と、竹中平蔵氏的な存在を区別」して、「血の通ったネオリベ」との協力関係によって「血も涙もないネオリベ」を排除していくムーブメントに仕上げていくことです。

10●イデオロギー的分断を超えて、一度冷静に考えてほしい

アトキンソン氏の路線は、「見た感じ」が凄いネオリベ的なので、右にも左にも印象凄い悪いです。

が、ここまで書いた文章を読むと、「お、案外いいじゃん」と思った人も多いと思います。

左派の人の、「最低賃金も払えず、パワハラ放置で居座っている経営者など失格だ!」というエネルギーも、ちゃんとアトキンソン路線をうまく活用すれば昇華できます。

右派の人の、「日本の中小企業の優秀な技術が中国に買われてしまうのを防げ!」みたいな懸念も、アトキンソン路線ならうまく昇華できます。

一個前の記事で書いたように、

以下上記記事より引用

・ちゃんと投資し続ける体力がなくなったら時代についていけなくなるし、実際多くの中小企業で「昭和の遺産」だけでやっていくのもそろそろ限界になりつつある。
・もしそういう「貴重な技術」がある会社が苦境にあったとして、近所の同業者がうまく救済合併できれば外資に買われないで済むが、今はギリギリで回っている小企業群ばかりのまま放置されているので、結局「それ」をやる(買収してしまう)のが中国の企業ということになってしまっている
・あまりに寸断されている日本の会社をまとめて、「徐々に引き上げていく最低賃金のバー」を超えられない会社を統合していくことは、今後少子高齢化で労働人口がどんどん減っていく日本においては利益の方が大きい

(引用終わり)

という状況があるからですね。

たぶん、「右の論客」さんも「左の論客」さんも、なんとなくのイメージで竹中平蔵氏とアトキンソン氏を似たようなものとして扱って批判してしまっているところがあると思うんですけど。

そこで、実は「その2つの間の違い」をちゃんと見分けることが、左右どちらの気持ちをも日本社会で実現していくために大事なことなんだ・・・ということを、一度考えてみていただければと思います。

アトキンソン氏の言ってることの細部に「日本社会的に譲れない点」は色々あったりするので、そのまま10割受け入れるべき、という話ではないわけですが、「適切な対話の中で育てていく」ことで、日本社会を確実に良い方向に向かわせることができるでしょう。

そのプロセスの中で、「イデオロギーでイッちゃってる空論」を超える「リアルな議論」を社会で共有していくこともできるようになるでしょう。

個人的な思い出話をすると、私はマッキンゼーという会社にいた頃に日本政府(正確に言うとその外郭団体?ちょっと詳しいことは忘れました)とアメリカの大学が協力してやった「日本経済研究プロジェクト」で、アトキンソン氏の議論とかなり似た結論を2000年代初頭ぐらいに出したプロジェクトに末端も末端で参加していました。

ただね、これがもう本当にやってて違和感があって、とにかくチェーン化比率を上げさえすれば日本経済は良くなるのだ・・・というメッセージを出すためにアレコレの経済統計から数字をひねり出して延々とエクセル作業をするので精神が病んでしまったんですよね。

これ書いてて今思い出したんですが、病院行かなかったんで病名はついてないんですけど(パニック障害?)ある日出社してパソコン開いたら脳が本当にフリーズしたみたいになっちゃって、本当に簡単なPC作業なのにどうしていいかわからない!みたいになった記憶があります。

で、この仕事はもう続けられないな・・・ってなったのは、ほんと結構な挫折っちゃ挫折だったんですが、当時の自分は異様にポジティブだったんで、

「そうなっちゃっただけの使命みたいなもんが自分にはあるってことだろう」

とか思って(笑)、その「問題のプロジェクト」のメッセージは本当に正しいのかを知るために、その後の「色んなブラック企業に潜入して働いてみる」ことも含めた私のライフワークがはじまった・・・というわけなんですね。

で!その結果!

ブラック企業でも働いてみたり、中小企業相手のコンサルティングをしてみたり、日本社会のあちこちの個人と「文通」をする仕事をやってみたり・・・

そうやって「体当たり」でそのマッキンゼー時代の日本経済研究プロジェクトを補強してきて得た結論は、

「総論は正しいけど、”場合わけ”が大事です」

ってことなんですよね。

「グローバル視点」のインテリだけの意見で物事をすすめると、たとえばコロナ対策でも、アメリカCDCみたいな「アカデミックな専門家のインテリに全権を渡すべき」みたいな話になりがちなんですけど、そうすると「全国津々浦々の保健所のみなさん」みたいなのを軽視しすぎるような案になりがちなんですね。

「アメリカのCDCって凄いらしいよ!」と思ってたら、圧倒的世界ナンバー1の感染者数を出してる大失態な一方、政府が無策だ・・・とか言われまくってる日本が、全国の保健所さんの奮闘でまあまあ優秀な成績を収めていたりする。

逆に言えば、「保健所さんの重要性を理解しながら、補強する案としてのCDC」という提案ならスルスル誰の文句もなく実現するのに、「保険所のような時代遅れの制度はなくすべき」みたいなことを言うから、あらゆる変化に抵抗して何も起こせない日本・・・になってしまうんですよ。

この辺の「場合分け」をちゃんとやれるようになることが、「一歩踏み出す」ために重要なんですよね。

大きな会社でも、半導体みたいに兆円単位の投資をしまくらないといけない分野では日本の「大企業」でもサイズが小さすぎて、ここ10年ぐらい台湾や韓国の巨大財閥企業にボコボコにされてしまっているので、そういうところはやっぱり統合していかないとどうしようもない。

一方で、「半導体の製造工程」の機器を作っている会社とか、スマホの小さな部品を作っている会社とかは日本企業がシェア9割みたいなことも珍しくなく、「ウサギと亀の亀作戦」が有効な分野だってある。

ここで「場合分け」をせずに「もう日本企業みたいな年功序列の保守的なのじゃダメだよ!」とか一緒くたのアホな議論をするから話が進まないんであって、「統合が必要な分野」「古い日本企業の着実性が必要な分野」ってちゃんと分類して議論すればそれぞれの結論は誰が見ても明らかなぐらいの合理的な結論が出るはず。

大事なのは「イデオロギーでイッちゃってる一緒くたの議論をする」ことをいかにやめられるか・・・なんですよね。

「イデオロギーの死」の時代に、「リアルな議論」をしましょう。右と左のイデオロギーを黙殺できるようになることで、右の人の気持ちも左の人も気持ちも結果として昇華できる社会になる。

一個前の記事

で書いたように、

「イデオロギーの死」の時代にリアルな議論を社会で共有する技術

を日本が作り上げられれば、それは今の日本の国会における「公明党」的なポジションを作り出すことで、

「果てしなく両極に分断されていく人類社会の中で決定的なキャスティング・ボートを握るパワー」

となって、国際社会の中で実際の人口・経済規模を大きく超える力を日本に与えてくれるでしょう。

「そのポジション」さえ確保すれば、そういう国が経済的に繁栄しないことなどありえないとすら言えます。

それは東洋と西洋の間にたってこの150年ほどを強烈な矛盾を抱え込みつつなんとか生き抜いてきた私たち日本人にとって、本当の意味で「私たちならではのオリジナリティ」に基づいたものであり、そして分断に苦しむ人類社会に大きな貢献となりえるものにもなるでしょう。

私の著書などで最近毎回引用している小林秀雄の言葉

美しい花がある、花の美しさというようなものはない

が我々のスローガンです。あらゆる「イデオロギー」に本来懐疑的な私たちの「禅」的感性こそが、欧米文明の独善性を掣肘し、東洋と西洋の文明の間に新しい調和の基準点を生み出していく時代となります。

私たちならできますよ!(Yes, we can!)

今回記事の無料部分はここまでです。

以下の部分では、「氷河期世代」の話をします。

ってまたいきなり・・・って感じなんですが・・・

ちょっと今見つけられなかったんですが(もしリンクを知っていたら私のツイッターに教えてくれたらと思います)、一週間ぐらい前に、

自分の会社の社長は氷河期世代なんだが、コロナ禍で採用控えますか?と聞いたらその社長さんが・・・

「俺たちのような不幸は味わわせられないだろ?いくら地方の中小企業と言ってもやらなきゃいけない責任ってのはあるんだよ」

と言っていて惚れた・・・っていうツイートだったか、はてなの匿名記事だったかが流れていたんですよね。

(後日追記・・・読者の人が教えてくれました。このツイート↓です・・・この人も銀英伝マニアか 笑)

で、かなり前に、「欧米的社会の論調」と「日本社会の現実」の間をちゃんと適切に繋いで交通整理するインテリが日本社会には必要なんだ・・・という記事

を書いたのですが、その記事の中で使ったこの図のように・・・

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「イデオロギーを超えたリアルな議論」をするには、「両者をつなぐ調整役」というか、「マクロに見た時の中間管理職的存在」が重要なんですよね。

で!

まあ自分が氷河期世代だから言うのもなんですが、我々の!使命は大きいと思うわけです。

色々と大変な思いをして生き延びて来たので危機感はちゃんとあって、ちょっと上の世代だと「オールウェイズ三丁目の夕日」みたいな昭和のノスタルジーのまま今後も行けそうだと思っている人も結構いるけど、氷河期世代にはそういう幻想はほとんどない。

だから「このままではいけない」と感じている下の世代の気持ちがわかるしなんとかしようと思っている。もっと上の世代の「20世紀型オールド左翼」の空疎なスローガンがいかにバカバカしいかもちゃんと理解している人が多い。

一方で、「昭和の時代の良さ」も体感として理解できる育ちの世代ではある。ある種の「自分の身の回りの狭い範囲の仲間以外興味がない」という感じではないような志向を持っている人も多い。

なにしろ、そろそろアラフォーになってきて、社会の中でそれなりに重要なポジションについていて、結構な発言権を持っていたりする。

日本社会を「イデオロギーでイッちゃってる空論」から救い出すための「具体的な議論」を積んでいくためには、我々氷河期世代がアチコチの立場を繋いで行くことが必要なのでは?

みたいなことを最近思っているので、そういう「アラフォー同窓会」的な個人的メッセージを以下では書きます(笑)

人生40近くなると、ほんといろいろ大変だけどがんばっていこーぜ!

2022年7月から、記事単位の有料部分の「バラ売り」はできなくなりましたが、一方で入会していただくと、既に百個近くある過去記事の有料部分をすべて読めるようになりました。結構人気がある「幻の原稿」一冊分もマガジン購読者は読めるようになりました。これを機会に購読を考えていただければと思います。

普段なかなか掘り起こす機会はありませんが、数年前のものも含めて今でも面白い記事は多いので、ぜひ遡って読んでいってみていただければと。

また、倉本圭造の最新刊「日本人のための議論と対話の教科書」もよろしくお願いします。以下のページで試し読みできます。


ここまでの無料部分だけでも、感想などいただければと思います。私のツイッターに話しかけるか、こちらのメールフォームからどうぞ。不定期に色んな媒体に書いている私の文章の更新情報はツイッターをフォローいただければと思います。

「色んな個人と文通しながら人生について考える」サービスもやってます。あんまり数が増えても困るサービスなんで宣伝してなかったんですが、最近やっぱり今の時代を共有して生きている老若男女色んな人との「あたらしい出会い」が凄い楽しいなと思うようになったので、もうちょっと増やせればと思っています。私の文章にピンと来たあなた、友達になりましょう(笑)こちらからどうぞ。

また、この連載の趣旨に興味を持たれた方は、コロナ以前に書いた本ではありますが、単なる極論同士の罵り合いに陥らず、「みんなで豊かになる」という大目標に向かって適切な社会運営・経済運営を行っていくにはどういうことを考える必要があるのか?という視点から書いた、「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」をお読みいただければと思います(Kindleアンリミテッド登録者は無料で読めます)。「経営コンサルタント」的な視点と、「思想家」的な大きな捉え返しを往復することで、無内容な「日本ダメ」VS「日本スゴイ」論的な罵り合いを超えるあたらしい視点を提示する本となっています。

また、記事冒頭にも追記しましたが、この記事が「MMT」を否定していると考える読者からやたら攻撃的な批判がSNSで飛んでくるんですが、私はMMT批判派じゃないけど、「無限に発行できる」という前提でいると永久に発行できないということなんだ・・・というような話を書きましたので良かったらどうぞ。

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ウェブ連載や著作になる前の段階で、私(倉本圭造)は日々の生活や仕事の中で色んなことを考えて生きているわけですが、一握りの”文通”の中で形に…

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