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コロナ対策を軌道に乗せるのは陰謀論との戦いそのものである。

またまた月末に記事更新ラッシュ(しかも一個ずつ分量超多い)になってしまってスイマセン。

今回アップされる記事は三本で、まず明日月曜日朝7時にアップされるファインダーズというウェブメディアの記事↓。(一応の後日追記ですが、既にアップされています)

そしてその記事↑にリンクしたnoteがこの記事で、あともうひとつ、日本の学術予算は実は簡単に増やせる余地があるというテーマの記事↓があります(結構興味ある人は興味ある話だと思うのでそちらもぜひどうぞ)。

諸事情で公開時期に時間差ができてしまってすいませんが、ファインダーズの方の記事は、「社会における陰謀論の蔓延と私達はどうやって戦っていけばいいのか」みたいな大テーマについて書いてあります。

この記事はその記事とリンクしているので、まずはちょっとファインダーズの方の記事の要約的な話からはじめて、その後特に日本の「コロナ対策」をどうしていけばいいのか?という話を書きます。

「はじめまして」の方にちょっと自己紹介をすると、私は外資系コンサルティング会社からキャリアを始めたあと、「そういう手法」と「日本社会」とのギャップを埋める独自の方策が必要だ・・・と思ってブラック企業でわざわざ働いたりカルト宗教団体に潜入したりなどして「日本社会のアレコレのリアル」を知る体験をしたあと、中小企業のコンサルティングをしている人間です。

つまり、「感染症対策」みたいな枠組みを「都会の知的な小さいインナーサークル」の中だけでなく「日本社会の津々浦々」まで行き渡らせるにはどういうことを考えるべきか・・・について色々と模索してきた人間なので、

・なぜ日本のコロナ対策はここまで混乱してしまうのか?

・どうすればいいのか?

についてその知見から語ろう・・・というのがこの記事の趣旨です。

1●コロナとの対決は、陰謀論との対決でもある

昨今の日本は、アメリカ大統領選挙が終わってからも「勝ったのはトランプ」と信じ続けている人が日本のインターネットにも沢山いて、

「世界緊急放送」「トランプ氏が日本人全員に6億円支給」「25万人の中国人民解放軍がアメリカ国境付近に突如出現」

といった荒唐無稽なパワーワードが頻繁にTwitterの「トレンド」に上がってきたりして頭を抱える思いになっていた人も多かったと思います。

で、コロナ対策が混乱するのも、有形無形の陰謀論が社会を混乱させるから・・・ってところがあるわけですよね。

専門家がアレコレの知見と最新情報を加味して決定した対策に対して、(もちろん異論を言うべきでないというわけでは全然ないにしても)もう一年間の間に何百回と同じ議論が繰り返されたことを蒸し返して混乱させる「ネット上のなんだか知的っぽい論客さんたち」がたくさんいて、それが「コロナなんてただの風邪じゃないの?大袈裟にメディアが言ってるだけじゃないの?」という社会の気分を加速させてしまう。

アメリカ大統領選挙の陰謀論も、コロナ関係の無数の陰謀論も、どちらも最初のうちは笑って「こういう人たちがいることも自由主義社会であることのコストのひとつだろう」とか言っている人も多かったですし私もそう思っていたんですけど!

しかし、コロナ対策がここまで混乱を繰り返したり、単に知る人ぞ知るネットの奇人変人だけがハマってるだけじゃなくて、日本の保守系独立メディアの大半がアメリカ大統領選挙の陰謀論を真剣に論じていた状態には、ちょっとさすがになんとかしないと…という気持ちになってきました。

で、「陰謀論にどう立ち向かったらいいのか?」についてそもそも論的に深く考えてみる・・・というのが、今回のファインダーズ記事なんですが。

ぜひファインダーズ記事の方も読んでほしいわけですが、とりあえずこのnoteを読んでいただくために趣旨を要約すると・・・

その「陰謀論に打ち勝つ方針」は、社会の対決軸を、

「左vs右」から「現実派vs妄想派」へとシフトさせていくこと

・・・なんですよね。

2●毒を持って毒を制す!

「陰謀論がなぜ生まれるのか」っていうと、要するに世界を「敵と味方」に分けて見て、

「敵側に属する人間が言っているマトモな意見より、味方が言っているアホすぎる意見の方を徹底的に褒めたい」

みたいな気持ちが溢れかえっているからなんですよね。そうすると、シェアされる意見が

「現実性」よりも「いかにもっとカッコよく敵を攻撃できるか」の基準で選別されるように

なってきて、結果として現実性が遥か彼方に吹き飛んで行って陰謀論を信じる人が社会内部でどんどん増殖してしまう。

じゃあどうしたらいいのか?

「毒を持って毒を制する」とはどういうことか?

「右や左といった党派性」が力を持つのは、簡単に「正しい俺たちvs邪悪なアイツら」的な構図に持ち込めてしまうからだ・・・という分析がよくされますよね?

だから私は、

社会を陰謀論の蔓延から救うには、毒を持って毒を制するというか、私たちも積極的に「俺たちvsアイツら論法」で対抗していくしかない

と思っています。

それが、さっき書いた

「右vs左」から、「現実派vs妄想派」へと社会の対決軸をシフトしていく

っていう話なんですよね。

連動のファインダーズ記事から引用すると、

>>>
俺は根っからの保守派だ!リベラルなんて大嫌いだね!しかしいまだにトランプが勝ったと思っているような人たちとはちょっと一緒にやっていけねえぜ・・・

・・・となった時に、隣を見るとふと、

私はリベラルな人間です。人類の良識と普遍的精神を信じています。しかし、当局がやることなすことすべてに反対することが自己目的化しちゃって、普通に考えてマトモな政策ですら「この御用学者!」「あなたはあの悪魔の自民党政権の政策を支持するのか!」とか糾弾しはじめる人たちとは最近非常に心理的距離を感じるようになってきました・・・・

みたいな人がいて、

「あれ?実は俺たち話が合うんじゃ・・・??」

ってなればいいわけですね。

<<<<(ファインダーズ記事引用終わり)

実際、「保守派」な人でも、延々と2021年になってまでアメリカ大統領選挙の陰謀論を弄んでいる人たちと一緒にされたくないぜ・・・って言うとまどいを感じている人が結構いましたよね。

一方「左」の世界でも、まあこっちはいつでも内ゲバやってると言っても過言ではないけれども、たとえば感染症対策について専門家会議が言っていることについて、「自民党政府と関係している奴ら」だから全員「御用学者だ!」みたいに吠える人たちにはついていけないよ・・・って言う戸惑いを感じている人が結構いますよね。

私が7年前から著書で使っているこの図で言えば・・・(この図の見方はファインダーズ記事でどうぞ)

210129_M字コメ

このM字の2つの凸にいる人達が、「ちょっとアイツラとは一緒にされたくないぜ」という感覚を持ち始めることで分裂してきて・・・

210129_凸字コメ

こうやって「真ん中に集まってくる」ように持っていければいいんですよね。

こうやって「凸」の部分が安定的になってくれば、具体的に細かい改善ブラッシュアップをいろんな衆知を集めてやっていくことが可能になる。

M字に分断されたままだと、ありとあらゆる具体的な検討が「党派争い」に巻き込まれて混乱して、結局「大混乱になるよりは最も保守的な見積もりで無理やり我慢する」みたいなことになっちゃうわけですよ。

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3●「フクシマ」の二の舞にはならない情勢に「覚醒」しつつある

さっき貼った「医療リソースの振り分けの問題」についての詳細はファインダーズ記事の方に書いたんですが、最初は「民間病院にもっとコロナ診させろよバカ!医師会と厚労省の利権が問題なんだ!」みたいな陰謀論ばっかりが溢れていたけど、最近徐々に「具体的な中身の話」ができるようになってきましたよね。

「政府が頼りにならない」と思ったからなのか、主流メディアの中の人が結構頑張り始めていろんな具体的な話を聞けるようになった。例えば今ちょっと検索しただけでTBSのニュース動画がありました。

だから、以下の「対話」みたいなので、「Cさん」の居場所がだんだんなくなっていくようにできればいいんですよね。

以下ファイダーズ記事から引用

>>>

A「民間病院じゃコロナ診てないからむしろ暇になってるとこもあるらしいじゃない。それで医療崩壊とかっておかしいよね。なんとかもうちょっと連携できないの?」

B「医者もその他スタッフも専門っていうのがあって、皮膚科のお医者さんが明日から重症の肺炎患者を診ろと言われても無理があるんだよね。だから病床があればいいってわけじゃなくて・・・」

C「そうだ!私たちは団結してスガをやめさせなければならない!これは人災だ!自民党政権のような人間の尊厳を尊重するというマトモな文明人としての精神が根底的にないこの不幸な国では私たちは見捨てられて死ぬしかないんだ!」

A「なるほどねえ・・・とはいっても重症の患者ばっかりが病床埋めてるわけでもないんでしょう?この非常時なんだからもうちょっとなんとか融通効かせる方法ないもんかね?」

B「たしかに最近現場でよく言われているのは、すでに回復期に入って安定してきた患者さんも検査が陰性にならないから退院させられなくて貴重な病床を埋め続けてるのが問題になってるんだよね。そこの基準を緩和してもらえれば、回復期の安定した患者なら診れる能力があるスタッフの数は重傷者をケアできる人数よりもっと多くなるはずだから、民間病院の協力も得やすくなるかもしれない」

A「なるほど!それいいじゃない。そういうニュースも最近は流れるようになってきたし、そしたら病院間連携の話も進めやすくなるよね。でも実際にそれをやるとしたら病院経営的にも難しい点があるとかいう話あるじゃない?政府がそのへん補填する事が必要だとしたら、どういう観点で仕組みを作る必要があるんだろうか?」

C「ドイツ首相メルケルの演説を聞いたか?ニューヨーク市長クオモのプレゼンテーションを見たか?あれぞ文明国のあるべき姿だ!それに比べて我が国と来たら・・・洗練された文明人の言葉を語ることができない戦犯国家の子孫である土人どもに支配されたこの地獄のような国で生きていく不幸は本当に・・・」

A・B「ちょっとあんたしばらく黙っててくれないかな!」

C「・・・・」

<<<記事引用終わり

また、ファイダーズ記事にこれも書いたので詳細はそっち読んでほしいんですが、最近「過剰に非科学的に反ワクチン感情を煽る記事」みたいなのに対して、右とか左とかそういう党派性を超えて、スクラムを組んで「止めよう」とする動きが結構顕在化してますよね。

自民党政権を支持する支持しない・・・は色々ある。が、非科学的な反ワクチンに対してはスクラム組んで対決するぞ!という気運が育ってきている。

こういうのも、

210129_M字コメ

こういう↑M字分断が・・・こういう凸型↓に移行していくキッカケにできる”端緒”ぐらいではあると思います。

210129_凸字コメ

こうやって「凸型」になってくると、「マトモな対話」ができるようになるんですよね。

最初は「民間病院がコロナ診てないのは医師会のエゴで・・・」みたいな話から始まってもいいんですよ。素人ならではの視点ってのがあるからね。

でもちゃんと「凸型」になっていれば、「いやそういう事情があって」「なるほど、じゃあこうすれば?」みたいな対話が進んでいくんですよね。

だから何ヶ月もたって延々と同じ批判を言い続けてるようだとそれこそ「陰謀論」なんですよね。

大事なのは、脊髄反射的に「邪悪なアイツラのせい」にする前に、

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こういう↑「リアルな魔法の質問」をするようにしていくことで。

日本社会っていうのは「縦割りを超える連携」が必要なことはこうやって「気運」を育てないとできないんですよ。トップがいくら優秀でも無理なんですよね。

これもファインダーズ記事に書いたので簡単にしますけど、野党政治家だって、こういう「気運」がちゃんと盛り上がってきてこそちゃんと「意味ある仕事」ができるんですよ。

「M字で分断された場」になっていると、野党政治家もどんどんバカバカしい空騒ぎをしてないと注目を集められなくて落選する・・・みたいになっちゃうんで、「リベラルがもう一度日本で政権取る」ためにも、まさに「こういう対話」が必要なんですよね。

「医療リソースの振り分け」問題は、メディアの中の人が随分「覚醒」してきたし、医療関係者とそれ以外との対話も結構進んでかなりマトモな「対話」になってきていると思います。

いい感じです。「それ」をもっと育てていって、日本全体にもっと「知的な仕切り」の通用性を取り戻していって、コロナ関連に関わらず「あらゆる諸問題を常に現実に即応させて迅速に対応できる国」になっていきましょう。

4●「検査戦略」に関する延々続くバカバカしい議論はなぜ起きるのか?

で、ここからはもっとコロナ関連の細かい話題に入っていきたいんですが。特に一年間たっても延々と蒸し返され続けている検査戦略の問題について。(ちなみになんかこの記事をアップしてからチラホラと検査拡大派の人がかなり攻撃的なコメントをSNSで投げてくるんですが、最後まで読んだら分かる通り私は”検査拡大するには言いっぱなしでない現場との対話が必要だ”っていう話をしてるんですよ!)

以下の絵のように、検査関係でも、議論が「党派争い」に巻き込まれると、「大混乱に陥らないように、当局は一番保守的な見積もりで動くしかなくなる」不幸があるんですよね。

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専門家会議の人たちだって増やせるものなら積極検査戦略を取りたいとか常々言ってるわけで、「シーヤ派」とか「スンナ派」とか延々罵り合ってる場合じゃないんですが、これはほんとSNSで見てると凄い頭良さそうな理系の研究者の人とかでもかなりムチャなことを言っていて、難しいなあ・・・という気持ちになります。

ある種の理論系の研究者の人って、社会の中で人間を動かすってことを凄い軽く考えてる感じがするんですよね。

手元のペトリ皿でパパッと条件を理想状態にそろえて実験する・・・みたいな感覚とか、あるいは設備の揃った病院に患者が来た段階から(その患者さんは検査を受けたい気持ちが既に当然ある状態)、あれこれ検査をオーダーして受けてもらって判断する・・・ぐらいの感じと「同じ態度」で1億人を超える社会全体と向き合えると思っている人がかなりいる。

でも、専門家会議の人があちこちで言っているのを見ると、

一時期の新宿歌舞伎町界隈のように「今明らかにこの街のこのクラスタがめっちゃヤバくなっている」みたいな明確な現象が見えているときでも、その人達に検査を受けてもらうのにメッチャ苦労している

ことがわかります。

実際その「対象者に検査を受けてもらう」ために、保健所とホストクラブの経営者が物凄い膝詰めで人間関係を築いていってやっと検査が実現したりしている話があった。

この一年間果てしなく繰り返されてきた議論なんであまり深入りしませんが、「検査と隔離」はタコ焼きのタネ(液体部分)とタコの関係みたいなもので、タネの部分だけ無闇に増やしてもあまり意味がなくて、タネとタコがちゃんと連携して動けるようにしないといけないわけですよね。(それにそもそも”ちゃんと検査受けてもらう”ことだけでも相当な”強制力”がないとできないことだったりもします)

ここで「2つの分かれ道」があって、

A・欧米のようにとにかく検査数を増やす(タコがあろうとなかろうとタネだけとにかく増やす)

・・・結果として「タコが入ってないタコ焼き」みたいなのが溢れかえる・・・感染症制御にはあまり有効でなかったことは欧米との感染者数の違いを見ればわかるはず。

B・中国・台湾・韓国その他のように、「強制力」を政府に与えて検査と隔離をセットで強烈にやる

・・・これは確かに有効だったようだが・・・

で!

話がここまで来たら、次に考えるべきは、日本でそれをどうやったらやれるのか考えないとね!って話ですよね?

なんか、ネット見てると・・・

中国は強権的だけど、民主主義国の台湾や韓国でもできているんだから、それを日本でできないのは、自民党がクズでアホでどうしようもない野蛮人だからで、オードリー・タンのような意識高い系のスターがいる台湾なんかは民主主義と自由を守ったまま感染症制御に成功している!

みたいな話に物凄い数の「いいね」がついてるの見るんですが。

確かにIT担当大臣がスーパーハッカーとか超カッコいいなと思うけど、でも一方で台湾って隔離違反者への物凄い厳しい罰金とかで有名ですよね。隔離中に8秒外出したのが原因で36万円罰金!とかになっていて。

別に「オードリー・タンのような先見的な人を登用できる国だから人々がその政府の御威光に服して自発的に言うことを聞いている」みたいな話では全然ないわけですよ。

「強制力の行使」のレベルで言えば中国がダントツ一位でしょうけど、台湾や韓国も両方かなりヤバい強制力を政府が持っている。それに反対してムチャなことをやる人たちも、特に韓国では結構いて問題になっています。

コロナ関係の議論で一番バカバカしい場面だな、と思うのは、

ついさっき

・台湾や韓国の防疫は素晴らしい!日本はもう先進国ではなくなってしまった!アジアを蔑視する自民党政権だからこんな簡単なことさえできないんだ!

って言った口でその直後に

・日本政府の罰則化反対!政府の横暴を許すな!

みたいなことを言いまくってる人が大量にいることなんですよね。

いやいや、自分が何言ってるかわかってるんですか?こういうダブルスタンダードぶりへの反感が、社会の逆側に排外主義的な気分を育ててしまうという因果関係に私達はもっと自覚的になるべきだと思います。

私は罰則化に反対な人間ですけど、昨日まで「台湾みたいにできないのは自民党が無能だから」って言ってた人が今日は日本の罰則化反対!って言っているのを見るとちょっと何を考えているのか心底謎になってしまいます。(欧米でも日本からするとビックリするような厳しい罰則がある国が大半ですよね)

私達は民主主義社会の「主権者」なんだから、お客さんじゃないわけで、「どうやったら日本でもできるのか」を考える役割は「みんな」が持っているはずですよね。

脊髄反射的に「自民党がクズでカスで野蛮で無能だから」って飛びつく前に、↓「リアルな魔法の質問」について考えるべきです。

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5●検査戦略に関する「一歩踏み込んだ議論」とは?

で、この問題に関して、

・日本政府にも中国なみとは言わずとも、台湾韓国ぐらいの強制力をもたせるべきだ

っていうのは「一つの意見」だとは思います(私は反対ですが)。

SNSで見る、他の話題では凄い知的な人だなと思って信頼しているアカウントでも、検査戦略で言えば突然物凄いナイーブな感じになる人がいるのは、彼らが言っているような大量検査戦略を”有効に機能するようにちゃんと”やろうとするならば、

今の日本政府が持っているレベルとは桁違いの強制力を政府に与える必要がある

ということがあまりわかっていないんだと思うんですね。「対象者に検査を受けてもらう」のにいかに日本の当局が苦労していることか。

そういう強制力を与えないで検査数だけを無駄に増やすと、欧米のように「タコの入ってないタコ焼き」だけが増えるだけで、日本全国の優秀な保健所さんの奮闘でギリギリのところで踏みとどまっていた日本の対策が根底から崩壊することになってしまうわけですよ。(少なくとも、物凄く慎重にアレコレと現場の問題を一個ずつ解決していかないと、結局無意味どころか有害な混乱を撒き散らすだけになってしまうことが懸念されているわけですね。)

でもね、罰則化反対なんでしょう?今のほんのちょっと踏み込んだレベルの罰則化の議論ですら大反対な人が大半なわけじゃないですか。

(余談ですがほんとこういう点に関しては、広義の中華文化圏(韓国含む)と日本じゃあ、「お上」に対する意識が全然違うな・・・ってこの一年私は凄い思っています。日本人が「お上に従順」っていうのは歴史的にもかなり嘘なんですよね。日本人は「平等性を持った横の義理の連鎖」には果てしなく真剣だけど、「お上」は心の底から大嫌いなんですよ。)

日本において「検査拡大すれば医療崩壊する」という説がまことしやかに共有されていたのは、その「説」だけ見るとバカバカしいように見えるかもしれないけど実際には物凄く切実な事情があるわけですね。

それは「無責任な言論の暴走が悲劇を起こさないようにするフタ」として意味がある言説なんですよ。

「日本の保健所を接点として直接のタッチポイントを作って制御していく」方法は、中韓のような強制力を政府に与えずに、欧米のように検査数の数字だけ追って結局ザルな対策になることも避けるギリギリの対処・・・なわけで、「それを崩壊させないでくれ」と切実な声を現場が上げているなら、それを検査拡大派はまず「聞く」ことからはじめないと。

「拡大するにはこういう問題がある」って言っている人たちが現場まわりに沢山いるんだから、まずはそれを「聞いて」、それでも検査拡大したいなら、どうやったらできるのか一緒になって考えないと。

そこを無理やり引きちぎるようなことをしようとすれば、危機感ゆえに反発を受けるのは当然ですよね。

再掲する以下の絵のように、ここにあるのは「無責任な言論の暴走で大崩壊を避けるために、最も保守的な見積もりに引きこもってしまう」問題なんですね。

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6●日本において検査拡充戦略のあるべき方向性

今後の日本の対策を考えていく上では、緊急事態宣言を乗り切ったあとも、チラホラとぶり返す感染者を、積極的に捕まえにいく検査戦略は物凄く重要だと思います。

それをやっていくには、さっき「医療リソースの振り向け」問題が徐々にリアルな議論に転換していったようなことを、この課題でも同じように起こしていく必要がある。

特に検査拡大派の人は、日本政府(あるいは日本社会)にやたらルサンチマンを持っている人が多くて、とにかく日本人は野蛮で非文明的なクズだから検査拡大できないんだ・・・みたいなことを必死に仲間内でシェアしあってキャッキャしている感じの人たちがいるんですが、”そういうのの暴走”を防ぐために「検査拡大=医療崩壊」みたいな意見も必要とされている混乱が起きているわけですよね。

だからこそ繰り返すようですが・・・コレ↓が・・・

210129_M字コメ

こうなる↓

210129_凸字コメ

ように誘導していかないといけないんですよね。

具体的には、

・検査拡大フローの中であまり保健所の負担を増やさないようにする方法を考える

ってことと、

・専門家会議が分析して「今ここがヤバい」となったところにちゃんと検査力を振り向けられる保健所の余力と”それが受け入れられやすい風潮”をみんなで作る

ってあたりが重要な検討課題だと思います。

7●リアルタイムに迅速な対策を実は打っている専門家会議を信頼して、「武器」をちゃんと与えよう

日本の専門家会議ってほんと優秀だな・・・って私は去年からずっと思っていて、というのは、世界最弱ぐらいの強制力しか政府が持っていない中で、なんとか拡大を食い止めるために、「今感染の広がりがどのあたりにあるのか」をかなり的確に少ないデータから再現して捉えている感じなんですよね。

中国みたいに「無理やり街全体に検査受けさせて強制隔離」とかできないし、欧米みたいに無駄打ちの検査を数だけ増やして感染拡大防止に役に立たない・・・みたいにもならない「ギリギリのライン」で神業的な奮闘を続けている。

たとえば昨年末に出た資料を読んでいるだけでも・・・

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こんな感じ↑で少ないデータから逆算して、「今どこの地域のどのクラスタからどこのクラスタに伝播していっているのか」をリアルタイムで凄い解像度で把握している。(検査数が少ないんだからわかっているはずがない・・・とかいう批判をしている人たちの想像を絶するレベルで”凄い解像度”で理解していると思います。むしろ欧米の当局はかなり”漫然と”検査数だけ増やしている印象がある)

今「飲食店」を狙い撃ちにしたように休業要請したりしているのは、上記資料のように感染が飲食店をハブにして広がり、その後家庭内感染や医療関係の感染で「行き止まり」になっている構造があるからなんですね。

だから「数としては少ない」ように見える飲食店を「狙いうち」にすることで「経路」を遮断しようとしている。

逆に言うとそうやって「対策のコア」をかなり限定できているので、少なくとも中小規模の飲食店には「普段の売上を余りある」レベルの補償を出すこともできているわけですよ。

こういうのは資料を読めば普通に書いてあるんですけど、結構有名な「知的っぽい論客さん」とかが、「細かく現象を捉える前の丸まった数字」だけを見て

「感染者数における飲食店のシェアは少ないじゃないか!これは政治的忖度があって飲食店をワルモノにしている政策に違いない!」

みたいなことを吠えまくっているのはもうほんとなんとかしていただきたい。

こういう風に「機動的にピンポイント対処」している無数の配慮が日本を感染の瀬戸際から守ってきたはずなんですが、こういうのって、物凄く「純粋に理論的な科学的」立場から見てもちょっと人為的すぎるように見えて評判が悪いし、一方で「不安だからとにかく私も検査してほしい」的な人々の気持ち的にもなかなかフィットしないので、

日本は何もやってないじゃないか!

っていう気持ちになるんですが、いやいや、

何もやってないように見えるぐらい鮮やかにいろんなことをやってる

んですよ!ということを一応ここで代弁しておきたいんですよね。

でも、これ「今ここのあたりがヤバい」ってなっている認識を専門家会議と保健所が持っていても、「そこに検査を受けてもらう」のはめっっっっっっっっっちゃ難しいっぽいんですよね。

ほんと一週間とか、下手したら3日とかいうレベルで「ホットスポット」は揺れ動いていくのに、そこで機動的に捕まえることができない。

専門家会議が単純に伝播経路として今ここがヤバいですよ・・・みたいな話でポッと「歓楽街」とか「夜の街」とか言っただけで「蔑視感情があるに違いない!」みたいなことをワイワイ言う人が物凄い数いたりしたしね・・・

確かに「名指しされる業界」からすると死活問題なのだ・・・っていう事情はあるわけなので、ちゃんと「狙ったところを検査」するには凄い「地道な気運づくり」が必要なんですよね。

さっきもリンクしましたが、新宿歌舞伎町で検査拡大するには、保健所とホストクラブ経営者有志の間の自発的な信頼関係の醸成が凄い大事だったっていう話があるんで。

こういうころで、メディアや、いろんな「論客さん」たちやSNS有志がよってたかって「援護射撃」をしてあげられるようにできれば・・・

できれば「対象クラスタへの政治的配慮」みたいなことまで感染症専門家にやらせるみたいなことにはならないように、ある程度メディア側から「協力」してあげられるようになるといいですね。

そしてこういう事をちゃんとやるためにも、保健所に何でもかんでも手間をかけさせるシステムをできる限り軽減しないといけないんですが・・・

これも細かい配慮が必要なことが大量にあると思うんで、「みんなで対話」しながら潰していけるといいですね。

8●ほんとうの「大量検査戦略」を取るには・・・

上記のような「積極的対策」をとにかくちゃんとやれるように、保健所の負担を減らして専門家会議に武器をちゃんと与える、「気運や風潮」で援護射撃をする・・・っていうことが、まず日本のコロナ対策において一番大事なことだと私は思っていますが、「もっと野心的な大量検査」をしたいっていう人もいると思うんですよね。

マンパワーには限りがある中で、重要な最終兵器であるワクチン接種スケジュールが遅れたりすると元も子もないので、そのあたり負担少なくできるのであれば・・・という話ではあるんですが。

昨年中頃ぐらいから世界的に話題の「頻回抗原検査」ができればいいんじゃないか・・・とはずっと思っています。

と思ったら国民民主党の玉木雄一郎代表のブログで取り上げられていて、国民民主党の政策として提言していくみたいなんで、詳しい話は玉木氏のブログを読んでいただければと。

抗原検査は精度に多少難があるとされてるんですが、結局無症状者が拡散するリスクを確率で減らせさえすればいいのだから、「多少ザツでもとにかく安い・はやい」検査を保健所とかの負担なしに大量にばらまく戦略が有効なんじゃないか・・・みたいな話ですね。

玉木氏のブログから画像引用すると・・・

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こんな感じで、「精度は低かろうと感染力が高いタイミングを捕まえるには好都合で、しかも安くて勝手に自宅でできちゃうから保健所とかの公的機関の負担が少ない」みたいな話です。

1億数千万人もいる日本人の”海”に対してPCR検査を大量にやるのってめっっっっっっっっっちゃ大変なことなんですよね。行政の労働量的にも大変なことで、しかも時間かかるから必ずしも無症状者からの伝播をピンポイントで捉えるのには適してなかったりする。

この「頻回抗原検査」アイデアは、昨年半ばぐらいに海外で話題だった頃にツイッターで読んで「世の中スゲー頭いい人いるんだなあ」と感心しました。

ファインダーズ記事でも書いたんですが最近玉木雄一郎氏も「覚醒」してきてる感じがしていて(医療リソース振り分けの問題に関する記事も超良かったです)、「罵り合いじゃない提案」を野党側からも出せるようになってきたのはとても良いことですよね。

メディアが「医療リソース振り向けの具体論」に踏み込めるようになってきたように、野党もこういうレベルまで踏み込んで提案できるようになっていけば、その先にこそもし必要なら「リベラル派による再度の政権交代」だってやっと現実味を帯びてくるわけですよね。

なんかちゃんとこういう話を共有できる国になっていけばいいなとは思っています。(でもこういうことでワークフローが増えすぎてワクチンが延期になったら最悪なんで、そのあたりを回避しながらってことですね)

9●経済両立派と対立しすぎないことも重要

西浦博教授がGOTOトラベルの感染拡大効果について研究した論文について自身で解説した記事と、その文中で紹介されていた飯田泰之さんという経済学者による西浦論文への批判記事を読んでいて思ったんですが、

たまに医療関係者でいる「経済重視派」を人でなしのように罵る路線は非常に良くない

・・・です。

というのはなぜかというと、飯田泰之さんみたいな人は、

「感染症対策の重要性は理解した上で、できることならGOTOは重要だからやりたい」

という人なんで、こういう人を仲間にしておかないで「敵」扱いすると、「経済を重視したいエネルギー」がまるごと「敵」になっていって

「コロナなんてただの風邪!日本はノーガードで大丈夫なのだ!

みたいな人たちと合流して止められなくなるんですよ(笑)

飯田泰之さんの記事でも書いてありましたが、GOTOに感染拡大効果があるなんてことは誰だってわかっているわけです。重要なのはそれが「許容範囲なのかどうか」っていうところの問題なわけで。

医療関係者は簡単に政府が補償すればいい・・・とか言うけど、裾野の広い観光業全体を、関連業者への連動効果全体も含めて公費だけで支えるなんてことは世界中のどこの国の政府にだってできません。

昨年の「それほど拡大してない」時期にとりあえずGOTOを強行しておいたことで、やっと「今なんとか耐えられている」観光業者だって日本中にたくさんいるはずで、その点では私個人はGOTOには反対じゃないんですよね。

そこで「絶対ダメ」ってやると、「経済重視派がまるごと敵になっちゃう」ので、余計に「コロナなんてただの風邪!」っていうエネルギーを止められなくなる可能性を私は非常に感じています。

だからこそ、GOTOの再開を目指す動きは、感染動向をにらみつつも完全排除はせずに(緊急事態宣言を延長してまずはある程度”ハンマー”して下げきるのは妥協しないことも重要だと思っています)、

「やるなとは言わないがこういうやり方を考えてくれ」

という方向性で付き合いながらワクチン接種の普及まで繋ぐことが重要だと思います。

その「やるなとは言わないが」的な交換条件が発生する時に、さっきの「頻回抗原検査」とか「積極的検査への協力」を広い範囲に飲んでもらう・・・ことができれば理想ですね。

何度も同じ図を掲げて恐縮ですが・・・

210129_M字コメ

こういう↑分断が、

210129_凸字コメ

こうなる↑ように持っていって、「現実へのグリップ」を常に日本社会が持ち続けられるようにできればいいですね。

10●この混乱を、「知的な配慮がスムーズに通る国」になるチャンスにしよう・・・

この記事に書いてきたような

「あまりにも非妥協的に理想主義な意見が現場の大混乱を招かないために、最も保守的な選択を取ってみんなで我慢せざるを得ない」

っていうのは、まさに「ここ10年20年日本全体で起きてきた」ことなんで、できればこれをキッカケに、「知的な配慮がスムーズに国全体に行き渡る」国にできればいいなと思っています。

「日本の現状を理解せずに検査の数だけ増やせという暴論」と「検査拡大は必ず医療崩壊を招くという暴論」みたいな罵り合いって、ほんと無意味ですからね。

この「検査拡大は必ず医療崩壊」ていう説がまかり通ってしまうのは、それ自体が「もっと悲惨な悲劇に陥らないためのフタ」としての機能があるんで、それは結局ここ10年結構「国粋主義的な気分」が日本社会に広まっていることと同じ現象なはずなんですよ。

「改革派」がちゃんと「事情」を吸い上げていけるようになれば・・・

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今日アップするもう一つのnote記事↓

では、こういう「対話の気運」さえ盛り上げていければ、最近大問題になっている「学術予算問題」とかですら十分解決できる余力が日本にはあるのだ・・・という話をしています。上記記事は思いの外かなり深い話まで広がっていって気に入っているのでぜひどうぞ。

さて、この記事の無料部分はここまでです。

以下の部分では、「コロナ禍の乗り越え方」がその社会に今後及ぼしていく影響について考えてみたいと思っています。

世界的ベストセラー「サピエンス全史」が有名なイスラエルの歴史学者「ユヴァル・ノア・ハラリ」が、新型コロナが世界的に大問題になりはじめた2020年の最初の頃に何度かインタビューに答えて、

各国政府は市民の監視能力を増強しようとするだろうけど、危機の乗り越え方は危機を乗り越えた後も残り続ける。そのことも考えて対処しなくてはいけない

みたいなことを言っていたんですよね。

で、その時は「これだけ大きな危機の時期になにナイーブなこと言ってんの」みたいな反応が多かったんですけど、そろそろワクチンが世界中に行き渡る見通しも見えてきた今、「どこまで政府に与えるのか」を真剣に考えておくべき時期に来ているかもな、と思っています。

そういう意味で、ほんと無邪気に「中国みたいにできないのは自民党がアジアに蔑視感情を持っていて真似したくない子供だから」みたいなアホなことを言う人達が大量に湧いていたのは怒りを通り越して呆れていたんですけど・・・

繰り返すようですが、中国本土レベルとは言わずたとえ「台湾」のレベルの対策でも、今の日本のゆるゆる管理から見たら「相当な権限強化が必要」なんだってことなんですよね。

少なくとも大陸中国人は、今回の件でかなり確信的に「もう民主主義は終わった。次は俺たちの時代だ」みたいなことを思っている人がめっちゃ増えたですよね。

そしてこれは世界中の、たとえば日本でも「検査拡大できないのは自民党が無能だから」みたいなことだけを言ってる凄い賢そうな理系の研究者の人たちも、潜在意識的な本音では「もういっそ中国みたいになっちゃえばいいんじゃないか」と思っているということを意味するんじゃないかと思います。

「民主主義を守る戦い」というと徹頭徹尾「政府を批判しまくること」だったわけですけど、もっと重要なのは

「政府の権限を強化しなくてもちゃんと社会が運営できるように必死に当事者意識を持って立ち回る人たち」

がたくさんいるようにならないと、民主主義社会なんて維持できない、中国モデルに敗北して歴史の藻屑になっちゃう瀬戸際・・・まで来ている時代だな、と思います。

で、私は中国や台湾・韓国のような「強権性」を政府に認めずにやっていく・・・ことをなんとか日本は選んでほしいと思っているわけですけど。

ファインダーズ記事に書いたように、

210129_凸字コメ

この図のような状況を「保とうとみんなが努力する」ことは、例えば異端者を弾圧する・・・みたいなことじゃないんですよね。

「シグナルとしての異端者」みたいな人たちとの感情的共感は維持しつつも、現実問題は現実的な責任感のある人達の間で寄り集まってグリップできるようにしていくことが大事なんだって話なので。

中国モデルはたしかに短期的には効率的なんですが、結局「強烈に誰かを抑圧し続けないと維持できない」モデルであることは確かなので、アリババグループのジャック・マーが長いこと行方不明になって「粛清されたんじゃないか」とか噂されてましたけど、そのレベルのことは今後もずっと「やり続ける必要」が生まれてしまっている・・・という恐ろしい状況なんですよ。

今回、メディアや知識人が日本でちょっとずつ「覚醒して新しい連携を見出しつつある」ようなことをぜひとも育てていって、「M字から凸字」のグラフの変化を安定的に形成できるようにしたいんですが。

「どうすればそれが安定するのか?」について、最近合気道の先生に言われたいろんな言葉・・・が気になるという話を以下ではします。

私は経営コンサルタント業の傍ら、いろんな個人と「文通」しながら一緒に人生について考えるという仕事もしているんですが、そのクライアントにカナダに住んでいる合気道の先生がいるんですよね。

で、その人が、以下のようなことを言っていて・・・

合気道は力比べに持ち込むのではなくて、相手の力と拮抗する状態を作り出すことが必要なんじゃないかと思うんですよ。たとえば腕をつかんで引っ張られたら、こちらは引っ張られたのと同じだけの力をその腕にかけて、そこを拮抗させます。で、その拮抗状態を崩さないようにしながら動くと、自分の動きが相手に伝わらないので、自分が技をかけやすい位置と角度まで持っていけるわけです。拮抗状態を崩してしまうと、自分の力が相手より弱ければ引っ張り込まれてアウトですし、自分の力の方が強ければ何をどうしたいのかが相手にバレて封じられてしまうんですね。

「相手にやりたいことをやらせてあげる」というのは、流派を問わず合気道でよく聞く教えですが、力学的に逆ベクトルをかけるとか、相手の攻撃をまともに受けずにすり抜けるとか、そういう小手先の物理的な技術以上の何かがないと、相手に満足感を起こさせるところまではいかないんだろうと思います。それでは達人の域に達しないとそういうことはできないのかというと、そうでもないらしくて、ちょっと飛躍しますけど「あの人に投げられると気持ちがいい」ということが結構あったりするんですね。投げられる側が技の過程のどこかで、何らかの満足感を得ているんだと思います。達人といっても単に上手下手によるものではないらしく、「相手をやっつけてやる」的な合気道をする人の技は気持ちよくありません。でも、「相手が気持ちのいいように技をかける」のが合気道の極意じゃないかと思うんですね。

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今、欧米社会は「果てしなく非妥協的に意見をぶつけ合い続ける」結果として相互理解不可能な2つの派閥が社会の中にできてしまう問題を抱えていますよね。

なんか、社会の中で上記のような「合気道的」な配慮をお互いにやりあうことが、これからの日本にとって重要なんじゃないか・・・って凄い思うんですよね。

この記事で書いた話でいえば、「経済重視派」を「敵」に切り出してしまうと「感染症対策とか全無視のエネルギー」となって復讐されてしまう・・・そこで「相手のエネルギー」といかに「合気をかけて」いくことが大事なのだ・・・みたいな話でしょうか。

このことについて最近考えていることを以下の部分では書きます。

2022年7月から、記事単位の有料部分の「バラ売り」はできなくなりましたが、一方で入会していただくと、既に百個近くある過去記事の有料部分をすべて読めるようになりました。結構人気がある「幻の原稿」一冊分もマガジン購読者は読めるようになりました。これを機会に購読を考えていただければと思います。

普段なかなか掘り起こす機会はありませんが、数年前のものも含めて今でも面白い記事は多いので、ぜひ遡って読んでいってみていただければと。

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また、この連載の趣旨に興味を持たれた方は、コロナ以前に書いた本ではありますが、単なる極論同士の罵り合いに陥らず、「みんなで豊かになる」という大目標に向かって適切な社会運営・経済運営を行っていくにはどういうことを考える必要があるのか?という視点から書いた、「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」をお読みいただければと思います(Kindleアンリミテッド登録者は無料で読めます)。「経営コンサルタント」的な視点と、「思想家」的な大きな捉え返しを往復することで、無内容な「日本ダメ」VS「日本スゴイ」論的な罵り合いを超えるあたらしい視点を提示する本となっています。

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