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西浦教授によるGoTo論文の解説と批判

 京都大学の西浦教授と北海道大学大学院の安齋麻美さんによる論文,「“Go To Travel” Campaign and Travel-Associated Coronavirus Disease 2019 Cases: A Descriptive Analysis, July–August 2020 」が公開され,大きなニュースになっています.

 メディアなどの報道では,「「GoToトラベル」の開始後に、旅行に関連する新型コロナウイルス感染者が最大6~7倍増加した」「旅行関連の新型コロナ発症率は約1.5倍に」といったセンセーショナルな取り上げ方になっていますが,この理解は正しくありません.
 何が書いてあるのか,そしてどのような意味を持つのかについて少し整理してお話ししましょう.

昨日の一連のツイートでは,どうもわからないところが多く,混乱している部分もあったためここにまとめておきます(実際提供データの一部に誤植があったため想像で補うしかなかった).

使用データ

 使用されるのは,コロナウィルスの確定感染者について,「感染時期と考えられる時点に旅行をした/旅行をした人と接触した経験があるか」についての情報が得られる24都道府県についてのデータです.ここでの「旅行をした」の定義は発症前7日間(一部14日間)に県境を越える移動をした者となっています.ここで,感染日を

・症状が出た者については「発症日の5日前」
・全員について「感染確定日の10日前」

と推定したうえで,Go Toキャンペーン開始前後で旅行関連感染の動向を調べるという分析になっています.データは論文の公表サイトでも提供されています(→こちら).昨日(25日)の段階では誤植があったのですが,現在は修正されています.

比較する期間とIRR

 比較にあたっては,期間を4つに分割しています.

【1a】Go Toキャンペーン前の6/22-7/21(30日間)
【1b】Go Toキャンペーン直前の7/15-19(5日間)
【2】Go Toキャンペーン開始直後の7/22-26(5日間)
【3】Go Toキャンペーン開始後の8/8-31(24日間)

です.この4つの期間中の感染を「旅行経験ありor旅行経験者との接触の有無別」に整理したものが下図です.以下簡単のため,「旅行経験ありor旅行経験者との接触あり」を「旅行あり」と表記します.数字は人数です.

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1日あたりに直すと下記のようになります.下図がこの論文のキーなのですが,直接的な記載がないため論文がかなりわかりづらくなっていると思います.

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 これで論文で出てくる数字を算出するデータはすべてそろいました.ここから当該論文では,発生率比(IRR: the incidence rate ratio)という数値を計算します.基準時点(1aまたは1b期)の一日あたり感染者数と比較時点(論文中では2期との比較を重視しています)の感染者数の比率がIRRです.まずは1a期との比較から.

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 表の強調部分を見てください.発症基準では,「2期旅行経験・接触有」のIRRは表2の「1日あたり2期旅行あり(25.4人)」を「1日あたり1a期旅行あり(7.7人)」で割った3.31となります.ここから一部報道では「旅行由来の感染が3-3.3倍になった」と解釈されているようです.

 なお,1b期を基準にしたIRRも計算したので参考まで.

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増えたのは旅行由来感染なのか

 さて,ここからが本論文への批判的検討です.ここでは旅行なし感染についてもIRRを出しています.表3・4をみてみてください.

発症基準では旅行あり感染の増加(IRR)よりも,旅行なし感染の増加(IRR)の方が高い

ことがわかると思います.つまりは数字を素直に読むと,GoTo前後で

旅行あり感染よりも,旅行なし感染が増加している

という解釈になるでしょう.確定基準では1bを基準とすると旅行由来のIPRがわずかに非旅行由来よりも高くなっていますが……大きな差はありません.ここからデータの解釈としては,

2期に感染者総数が増大していたため,そのうちの旅行経験・接触経験がある人の絶対数も増えた

とするのが常識的でしょう.

Go Toの影響を考えるにあたっては

 さらに2期との比較に重点を置く理由も説明不足です.Go Toキャンペーンの開始は7/22ですが,キャンペーンの利用が増加するのは8月に入ってからです.観光庁によると,7月中にGoToを利用した延べ宿泊数は200万人泊.8月は1300万人泊です.GoToは突然の前倒し実施になったため,実施直後に利用できた人はそれほど多くはない.
 では8月(3期:8/8-31)のIRRは……1a期と比べても,1b期と比べても旅行あり感染のIRRは1を大幅に下回っています.そして,その低下幅も旅行なしの感染に比べて大きい.

なぜGoToが本格的に利用され始めた8月ではなく,まだ浸透していなかった7月下旬と比較するのか……私には理解できません.

論文内の図をみても

 実はこれ,細かく計算しなくても論文内の図をみればすぐにわかる話です.論文中のFigure2では発症基準(n=1707)と確定基準(n=2750)について,旅行あり感染者(青)と旅行なし感染者(赤)の割合を示しています.すると,1a期に比べて2期・3期とすすむにつれて旅行あり感染者の総数に占める割合が低下していることがわかります.

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これを数字で確かめると,下図のようになります.

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旅行ありの感染者の割合は7月下旬で横ばい,8月には激減していることが読み取れるでしょう.

いちおうのまとめ

 ここまで見てきたように,当該論文には「GoToキャンペーンによって旅行由来の感染が増加した」ことを示す機能はないと考えられます.Go Toキャンペーンによって旅行由来の感染が減ったという証拠にもならないと思いますが・・・正直なんらかの結論を引き出すことができるほど意味のある情報ではないという解釈が正当と思われます.
 なお,一部報道で大きく取り上げられた観光由来の感染が6.8倍という数字は旅行あり感染者のうちの「観光目的の旅行をした」人数を一日あたりになおすした数字が基準時点(1a)の6.8倍になった‥‥という計算から来ています.しかしですね……連休が一回もない6/22-7/21の30日間と4連休とその前日にあたる7/22-26では一日平均の観光旅行人数自体が大幅に異なります.比較する意味のある数字なのか疑問.
 なお,ビジネス旅行経験・帰省経験・観光経験それぞれのある感染者数を一日あたりに直したものが下図.

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強調部分の比率(=6.8÷1.0)が「観光由来の感染が6.8倍」報道の元ネタです.この数字8月になると大幅に低下するのですがGo Toの普及が感染を減らした……なんてことは当然ないのでご注意を.

※注記

 なお,私はGoToキャンペーンによって行った旅行で感染した人が「いる」ことは確かだと考えています.そりゃ家に引きこもっているより,何か活動をしたほうが感染の可能性は高まるでしょう.しかし,それが普通に仕事・日常生活しているよりもどの程度感染リスクを高めたかについては議論が分かれるとことだと思われます.

 なお,今回紹介した安齋・西浦論文よりも有益な情報と分析を行っていると私が考えるいくつかの論文においては,旅行の経験が有意に感染確率を高めたことが示されています.中田大悟(2021)「旅行と新型コロナ感染リスク:第三波前の個票データによる分析」などはその一例です.しかし,筆者自身がみとめるようにやや上方バイアス(旅行の影響が有意に出やすい)あるデータをつかっても,そのインパクトは感染の可能性を1%上昇させる程度です.(この論文の意義は,旅行によるリスク上昇が旅行形態や年齢層によって異なることを示したことの方がメインの結論です.先行文献も紹介されているのでご興味の方はぜひ参照ください)

 感染拡大を防ぐためにはより強力な経済活動の制限が必要だ……というステートメントは間違いではありません.しかし,感染拡大を防ぐためにより強力な経済活動の制限を行う「べきだ」は無条件には賛成できない.我々にとっての脅威は新型コロナウィルスだけではないからです.経済活動の収縮,企業の倒産・廃業とそれによる失業,巣ごもり生活のメンタルヘルスへの影響...などを勘案すると,程度問題こそあれ時に経済振興を優先すべき局面もあるのではないでしょうか.

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経済理論とデータで中心に経済・社会,ときに文化について考えてみませんか? /経済学っぽい思考の技術で考えるとビジネスも生活もちょっと違った視点が得られるかもしれません /官庁統計はもちろん,普段は触れることの少ない業界統計,時にはヒアリングや歴史といった質的データも交えながら問題解決のヒントを探していきましょう♪

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飯田泰之

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明治大学政治経済学部准教授 専門は経済政策.マクロ経済学の実証分析が元々の専攻のはず.最近は地域経済の問題に関心があります.