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「愛の不時着」に見る韓流ドラマの男のカッコつけ方と、ホストクラブのナンバー1が教えてくれたモテテクニックの共通点から見えてくるもの。その先の新しい着地点としての「鬼滅の刃」の炭治郎くんについてなど。

(トップ画像はネットフリックスより”愛の不時着”)

これは2つ続き記事の「後編」です。さっきアップした前編のnoteでは、

ネットフリックスで大流行中の韓流ドラマ、「愛の不時着」を見ながら、

・ここ二年ぐらいで韓流コンテンツの雰囲気は大きく変わったんじゃないか

・その変化の裏には文在寅政権の成功と挫折・・・のようなものがあるのでは?

・その変化の先にある新しい日韓関係のあり方とはどういうものか?

みたいな話をしました。

文在寅政権ができるまでの2017年ごろまでの韓流コンテンツというのは、「自分たち正義の民主派」が「どうしようもない悪の敵側」と戦うという単純明快な構図が多くて、その世界観に熱狂できる一部の人以外にはかなり「プロパガンダ感」すら感じるものが多かったように思うんですよ。

でも、文在寅政権ができて、「実際に左派が政権を握って現実と格闘」しはじめるとまあ、色々と難しい面もあるよね・・・的な影響もあったと考えられ、その結果として2019年のパラサイトでは、そのあたりが物凄くオトナになったというか。

自分たちの独善性をある程度客観視できる余裕が出てきて、「プロパガンダでなく普遍性を持ったユーモア」に昇華することができるようになったことが、彼らのコンテンツ産業のいろんな飛躍に繋がったんじゃないかっていう話が「前編」ですね。

後編では、もうちょっとネタ的に「モテテクニック」的な意味での「韓流コンテンツの男の振る舞い」の背後にあるものは何なのか?みたいな話とか、それとフェミニズム的な発想との関係とか、について話します。

この「後編」の話は、軽いネタのようで「前編」の話と表裏一体だし、そこを考えることから今後の東アジアの国家間の関係改善みたいな話も必然的に繋がってくると考えています。

1●あるナンバーワンホストが語ったモテテクニックと韓流の男の共通点

前編でも少し書きましたが私は若い頃一瞬だけホストクラブで働いていたことがあるんですよ。なんでそんなことをしていたのかはこのインタビュー記事を読んでほしいんですが、単純に言うと大学卒業後マッキンゼーという「アメリカのコンサルティング」会社に入ったはいいものの、そういう「グローバリズム」的なものと「日本社会」との間のギャップがあまりに大きすぎて、それが結局今で言う「トランプvs反トランプ」的な世界的大問題になっていくだろうから、その両者の間をうまくシナジーする発想が今後20年ぐらいで絶対必要になるのでそれを考える役割になろう!みたいな大志(笑)があってですね。

で、良い大学を出て良い会社に入って・・・的な世界で生きていてはわからない社会のリアルを知ろう・・・的な、考えようによっては結構失礼な若気の至り的発想で色々とやっていたウチの一つがホストクラブで。

さっきのリンク先のインタビューを見てもらったらわかるように私は全然”ホスト”みたいな外見の人間じゃないので、もっと若い頃だったとはいえ当時ですら「その外見でwwww」ってみんなに笑われる扱いだったんですが、ともあれ短い間ではあったけど一応自分でお客さんを捕まえたり、ドンペリを入れてもらったりとか、そういう事は一通りやったりしました。

で、当時のその店のナンバーワンホスト・・・の人が、「お前のこと気に入ったから色々と秘伝を教えてやる」みたいな話をしてくれて、今でも時々思い出すいろんな「ホストの奥義」的な話をしてくれたんですけど。

その中で、結構即物的だけど即効性のあるモテテクニックがあるって教えてもらった方法が、今思うと韓流ドラマに出てくる男っぽくて、「愛の不時着」を見ていたら思い出したんですよね。

2●「自分のことを気にかけてくれる”壁”」

そのナンバーワンホストが言っていたことっていうのは、

相手の女の子がなにか話してるとするやろ?

それを聞きすぎない程度の態度でちゃんと聞きながら、話が盛り上がったところで相手の目を見ながら何気なくグラスを拭いてあげるねん。

女の子が求めてるのはそういう態度。わかる?

・・・なんですよね。

ちょっと解説が必要だと思うんですが。

グラスを拭くっていうのは、ホストクラブ(その店だけかもですが)では冷たい飲み物を作ったときに相手のグラスが結露で濡れた状態になるのを、定期的にお手拭きで拭いてあげるっていうのがホスト側のマナーなんですけど、それをあえて話が盛り上がってきたタイミングでサラッとやる、みたいな話ですね。

で、「聞きすぎない態度でちゃんと聞く」っていうのは、よく女子会とかで女性同士だと、全力で身を乗り出して同意!!!ギャハハハ!!!ってなる感じがあると思うんですが、女性が男性にもとめている「傾聴」はそういうものではない・・・って言うんですね。

ある程度超然として「壁」みたいになっていてほしいニーズがあって。でもおざなりでなくちゃんと聞いてくれている感じがいいらしい。

で、女性側が夢中になって話している間にグラスを拭いてくれたり、料理を取り分けたり、お酒のお代わりを注いでくれたり・・・を”できる限りサラッと”すると、人によっては話に夢中で気づかなかったりするんだけど、終わってから「あれ?ひょっとして注いでくれてた?」ってなったりするのが良い接客・・・だそうです。

要するに、女性から見て「自分のことを気にかけてくれる”壁”」みたいな矛盾した感じのニーズがあるっていうんですね。

女子会でギャハハハ!ってなるように同じレベルでキャーキャーとキャッチボールをしてほしいわけでもないし、かといって聴いてるのか聴いてないのかわからんというように無視された扱いでも困る。

自分の思いつきを全部吐き出しても揺るがない感じの「壁」っぽさ

と、

自分のことを気にかけてくれているという実感

をお客さんの女性は求めているから、そういうのを提供するんだ、って話でした。

3●韓流ドラマの中の男も村上春樹の主人公も「壁」である。

村上春樹の小説に出てくる「モテ主人公のモテ会話」みたいなのも、よく考えるとこういう「壁」みたいな感じではありますよね。

普通に「対話」しているという感じではないというか。どっか超然としていて「春の熊ぐらい好きだよ」とかなんとかわけわからない返しをしてくる。でもその女性の言うことを聴いてないわけではない。

「愛の不時着」を見ていても、強気の主人公の女の子が北朝鮮の前線の村で心細くなって泣いてしまったときに、「知らない人の前で泣くなんて」とかショックを受けいてるところで、ジョンヒョク氏は無言でロウソクの火を消して、「これで顔は見えないよ」とか言うんですよ。

ちゃんとその女性のことを気にかけてるけど、あんまり踏み込んでくる感じではなくて、ササッと行動で示す感じというか。

これはこういう「寡黙キャラ」のジョンヒョク氏だけじゃなくて、あのベラベラ喋る詐欺師の男の振る舞いも、あれはあれで「気にしてくれるけどあくまで壁」みたいな感じなんですよね。

4●これは女性を対等に扱っていると言えるのか?

で、ここまでは単に「テクニック」的に男性の振る舞いのあり方について書いて来たわけですけど、そろそろフェミニズム的な視点を持った女性から見ると結構バカにされてるような感じがしてきてるとこあると思うんですよね。

要するに女の言ってることの内容なんてどうでもよくて、フンフンって適当に聞き流して聞き上手ぶっていればいいんだっていう女性のことを心の中でバカにしたハウツーなんでしょ?

と思ってもおかしくないし、まあそういう要素がなくもないと思うんですよね。

ただ、男性側から見て、女性と普通に「対話」するほうが随分簡単で、こういう「壁」になるのは結構頑張って「サービス」する必要がある問題でもあるんですよ。

さっき言った女子会的な楽しさの延長で、「同じ目線」になって一緒にギャハハハってなる方が男としても心理的には結構ラクというか、「壁」的な存在感を維持することは、結構男性的にシンドい部分でもあるんですよね。

一方で、実際問題として女性は日常的にそういう男の態度を求めているというか、そういう態度を「素敵」と理解する回路は文化的にも本能的にも?結構明確にあって、そういう要素を求めている生身の女性が何十億人というレベルでこの星に生きている現状を人工的な基準で裁いていって、そういう文化全体がそもそもミソジニー(女性嫌悪)なのだ!と強弁するだけでいいのか?という問題がある。

5●韓流ドラマの素敵さの背後には物凄く古い社会構造があり、日本社会のグダグダさの背後には自由主義の歴史100年がある。

要するに、韓流ドラマの男の素敵さって、男から見ても「かっこええやん」って思うんですけど、でも「このかっこよさ」って、よく考えるとフェミニズムとかそういう思想が一番敵視してきたものによって支えられてるみたいなところがあるわけですよ。

北朝鮮側の主人公のリ・ジョンヒョク氏の振る舞いはかっこいいねえ!ってなるんだけど、そのかっこよさを支えているのは「党政治部長(めっちゃエライらしい)の息子」的な存在感であり、党と方針が合わなければ簡単に銃殺されたりする社会構造があり、親の威光で社会のあちこちで優遇されまくる構造があったりする。

韓国側の主人公のユン・セリさんの自由奔放さも素敵だな、って思うけど、その背後にあるのは「財閥令嬢」という構造であって・・・みたいなね。

同じ北朝鮮との国境モノとして2000年代初頭にヒットした映画「JSA」では、かっこいいのは南の男で、北の兵士はそういうカッコよさ(男目線では超かっこいいけど)とは別枠のオッサンだったりしたんですけど。

20年たって今度の「愛の不時着」では、かっこいいのは「北」のガチガチの政治制度に守られた男であり、南の男はとにかく徹底的に全然ダメなヤツばっかりだったりして(笑)

南の男で唯一かっこいいのは詐欺師のアルベルトさんなんですが(このキャラ凄い好きだった)、要するに自由主義の波で20年洗われて来ると、ちゃんと「毅然として壁になってくれる男」を設定しようと思ったらどうしようもないアウトローの詐欺師になってしまうという構造がある。

北にいるときはあれだけカッコよかったリ・ジョンヒョク氏も、話の後半南にやってきたら、ネットゲームで課金しまくってセリさんに怒られたりしていて(笑)自由主義社会と男のカッコよさの両立は難しいねえ、という感じになってくる。

この記事の前編で、文在寅大統領が最近突然国粋主義的な発言をするようになって「純粋な民主派」からするとそれが凄い嫌がられてる・・・みたいな話書きましたけど、それと表裏一体の問題がここにはあるんですよね。

女性が男に「壁」的な決然性を求めるところがあって、そこが揺るぎなくあってほしい・・・けど自分のためにはその「壁」を融通無碍に動かして優しさを示してほしい。

それを「両方」全力で求めていくと、南の自由主義社会ではそれだけの安定的な「壁」を提示できるだけの基盤がどんどん掘り崩されていくので、「優しい壁」をキャラクターとして作り出そうとしたらどうしようもない詐欺師のアルベルト氏になってしまったりする。

そこで、「果てしなく男側に不可能なことを要求し続ける」結果として「ほんの一部の男だけがそのバーをクリアできる」構造にしていく無理が出てきているんじゃないかと思うわけです。

要するにそういうところで「できないことはできない」とちゃんと認めた上で解決策を考えなくちゃいけない時代になっているんですよね。

6●それぞれの社会の古風な男を持ち上げては飽きる焼畑農業のゆくすえ

韓流コンテンツは、前編で書いたような理由で、今は「古い社会の拘束力」と「自由さ」がうまいバランスで配合していて一番美味しい時期なんじゃないかと思うんですよね。

でも一方で今の状況を続けていくと、今までは「古い社会の延長の安定感」ゆえに崩壊せずに済んでいた部分が崩壊してきて、「今までこんなことはこの社会では考えられなかったのに」というようなことが起きてきて、なかなか無邪気にカッコつけたりできなくなってくるはずで。

最近、韓流ファンの女性がタイのBLドラマを新しく「最新」っぽい感じでハマりはじめてるのを見るんですが、どんな文化もマジョリティが受け入れる頃になると「ヒップ度」が減衰してきて「もっと次の最先端」を求める気持ちが湧いてきたりするものなので。

そうやって当分はちょっと「焼き畑農業」的な感じで、「古い社会の安定感」がまだ残っている場所を基盤にして、「かっこいい男」の幻想を作り出しては、それをやっているうちにそこの社会の安定性がほころびてきてなんか最近右翼っぽいコワモテなことを言う人が増えてなんか素敵さが減ってきたなあ・・・となったらまた別の地域に・・・っていうのが続いていきそうな気配があるんですけど。

その「先」に来るものは何なのかな?っていうことを最近凄く考えています。アジア中の「古い文化基盤」をベースに次々と焼畑農業をしていって、焼き尽くした先に見えてくる「次」はなんなのか?

それはこのnoteの前編記事で書いた内容を表裏一体なものとして、東アジアの友好や米中冷戦時代の新しい国際的共有軸の設定・・・につながってくるはず。

7●「断罪を必要としない男のカッコよさ」を発明していかねば

なんで「古風な男」をあっちこっちで焼畑農業しているとその社会の安定性が落ち込んできて、無理やりなマッチョイズムとかで埋め合わせる必要が出てきて昔のように「素敵」な存在でいられなくなるかっていうと、要するに「かっこいい男とそれ以外」をやたら分別的に扱いすぎるからなんですよね。

これは古今東西どんなドラマでも、特にアジア圏のドラマでよくあるんですが、「ヒーローの男一人をかっこいい存在に押し上げるためにダメ男を10人ぐらい生贄に捧げてる」ところがあるじゃないですか。

「愛の不時着」でも、ジョンヒョク氏の部下4人がいて、ジョンヒョク氏の政敵の奴らがいて、セリさんの財閥のどうしようもない兄貴どもがいて、部下のよく泣く男たちがいて・・・ってなって、それぐらい「当て馬のダメ男」を大量に用意してやっとジョンヒョク氏一人が「文句なくかっこいい男」に押し上げられる・・・みたいな構造になっていて。

古い社会でなぜそういう話が成立するかというと、「そうはいっても男だし」的な文化規範がまだ残っているのでその「ダメ男扱い」されてる人たちがグレたり捻くれたりせずに話に参加してくれるからなんですよね。

その「ダメ男扱い」されてる人たちが、「まあそうはいっても男だし」的に腐らずに参加し続けている間においてのみ、その「押し上げられた男は無条件にカッコつけた振る舞い」ができる。

でもそうやって「当て馬扱い」を10年20年と続けてくると、「押し上げられてかっこいい役をやる男」が単に素敵でかっこいいだけの男を続けられなくなってくるんですよ。

で、いろんな「ダメ男役」を押し付けられた男の怨念と引きずり下ろしが暴走して、「毅然として壁役になる」ようなカッコよさによってたかってツッコミを入れ始めて成立しなくなってくる。

それでも「壁役」を純然としてできる存在を作り出そうとすると、詐欺師のアルベルトさんみたいになってきちゃうんですよね。(いやほんとあのキャラ好きでした。ブツブツ文句言いながらジョンヒョク氏の最大のピンチに助けに来てくれるツンデレなところとか 笑)

8●女のワガママを不自然に許容するマッチョイズムは女性を尊重していると言えるのか?

この「一人の男をかっこいい扱い」にするために「10人に男をダメ扱いする」生贄問題と表裏一体として、もうひとつ

「女のワガママをどれだけ許容できるかレース」

みたいなのがあるんですよね。

女性のワガママを許容できる男が「いい男」扱いされる競争ゲームがあったりするんだけど、でもそれ見ててそれって「女性を本当に尊重していると言えるのかな?」っていうのは疑問だったりして。

ハリウッド映画とかでも、「プラダを着た悪魔(2006年)」のときとかは女性上司となったら滅茶苦茶ワガママでパワハラ上等で・・・みたいな扱いの話が多かったんですが、アメリカのフェミニストグループがそういうのは偏見から来てるんだ・・・って主張して最近はそういうのがなくなってきたって話を聞いたことがあるんですが。

女性上司はワガママで気まぐれでパワハラ気味で・・・って、愛の不時着のユン・セリさんも最初の方はそんな感じだったんですが、そういうのって

「そういうのを我慢できる俺らって、そういうのを抑え込んでいる古い社会とは違う素敵な社会だろ?」

みたいな構造になってるんだと思うんですが、それが「女性を尊重」しているかっていうと・・・

「ウチの飼い犬は手がかかってねえ(自虐風自慢)」みたいなものだと考えられなくもないじゃないですか。

クシャナさんやナウシカさんぐらい「圧倒的な理想の上司」でなくてもいいけど、まあ男キャラの中で理想の上司が出てくるのと同じぐらいは女性キャラでも「理想の上司」がいてくれるのが自然だよね、って話ではありますよね。

そこでやたら気まぐれにキレまくってパワハラする女性上司がドラマに出てくるのは、「女のワガママを許容できる俺たちってイケてるよね的なマッチョイズム」的な感じで、ある種余計に「女性を尊重してない」という構造があるわけですよね。

だから、今後見えてくる新しい着地点というのは、

1・主人公以外のダメ男を当て馬として無駄に断罪しない

2・女のワガママを不必要に称賛しない

3・でも男女平等にいたわりあって、一緒になって良い社会にしていこうぜ的なビジョンを描ける

というような三条件を備えた形になってくるはずだ・・・と思っています。


9●「鬼滅の刃」は「その次」の萌芽ぐらいはあるかも?

日本のネットフリックスで常に上位に来てるコンテンツは最近韓流ドラマか日本アニメで、「鬼滅の刃」もかなりずっと上位にいるんですけど、鬼滅の刃って実は作者が女性で、子供の間でも女性人気が凄い高いらしいんですよね。

で、「古風な男のカッコよさの幻想」をあっちこっちで盛り上げてはだんだんその社会の安定感が減衰するに従ってまた次の・・・と焼畑農業的に続けている流れの先で、新しい着地点が出てくるとしたらこういう「鬼滅の刃」的なものかなあ?ってちょっと思うところがあります。

主人公の炭治郎くんって凄い素敵なキャラクターというか、誰もあまり断罪しないあまり押し付けがましくないヤツだけど、時々「恐怖で支配するようなのは家族の絆とは呼ばないんだ!」とかそういう正論はちゃんと言う感じだったりして。

で、女性キャラクターも男と同じぐらい普通に戦いに参加してるし、結構同じぐらいダメージ受けて死にそうになってたりするんですよね。

作者が、「男社会に抑圧されてきた女でもできるってことを示してやる!」的に「恨みを晴らす」感じじゃなくて、「女もゴクウやゴンみたいに戦いたい!」っていう感じでストレートに表現している感じがいいのかなと思っています。

そういう風に女性が「何かの報復としての不自然なワガママ(というか”古い男社会への復讐的な嫌がらせ”的なもの)」でなく、「普通に女も活躍したいよね」って感じでいてくれると、男も「まともな男とダメな男」を無理やり峻別したりしなくて良くなるんですよね。

そこで「男内部の分断」を必要としなくなると、男同士のピア・プレッシャー的な圧力で、女性に対してセクハラとか酷いこととかをしちゃいけないよね、というような規範を社会の隅々まで行き渡らせることもできるようになる。

フェミニストの一部の人はそういうところで「男同士の分断」を煽りまくろうとする人がいるんですが、そういう風にやると社会の中で学歴に守られた恵まれた部分以外での「規範意識」が崩壊してくるので、余計に不幸な状況に追い込まれる女性が増えるんですよね。

だからこそ、男女ともに納得感のある「そりゃそうだよね」的なものをいかに積んでいけるかが大事なんですよ。

10●お互い正直に、自分のニーズを話し合えるといいですね

「男性差別」的なものもある・・・という運動は昨今激しくなってきてますし、その中には「まあそれぐらいええやん」っていうのと「確かに本当そうだよな」っていうのと両方ある感じがするんですが。

一方で単に「女性は今までずっと虐げられてきたのだから、決して相手の事情など理解することなく主張し続けるべきだ」的なタイプのフェミニズムは、ネットでどんどん先鋭化していきつつ、どんどん「普通の人」との距離が開いていきつつあるので。

今過激化しているフェミニストは、「この方法でないと社会は自分たちのニーズに気づいてくれない!」と思って必死になっているわけですし、結果として「女はこんなにつらいのよ!」「いやいや男だって辛いんだ!」的な罵り合いになってるわけですけど。

ま、フツーに考えてこういうのは時代遅れだからやめましょうとか、男側の女性から見て理解しづらいこういう行動にはこういう理由があるから、女性側でこういう配慮をしてくれると女性のニーズをうまく社会の中で合致させていけるようになると思います・・・みたいな?

そういう「平熱の問題解決」が、ファインダーズの連載で使った以下の図のように起きてくれば・・・

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古い社会が持っている潜在的合理性を根こそぎに否定したりせずに、ちゃんと深い配慮とともに変わっていく動きが起きてくれば、いちいち青筋たてて四六時中キレてる必要もないよね・・・という感じになってくるはずだと思っています。

前回記事でも引用したけど、オバマ元大統領ですら、そういう「糾弾中毒」的なカルチャーには批判的だったりして、そういうのが未来に繋がることはないって欧米でも良識派は実はみんなわかってると思うんですが、欧米だとなかなか同調圧力的に言いづらい部分があったりするので。

人種差別も女性差別も、経済格差問題も、別にそのまま放置したいわけじゃないが、その社会が持っている自然な免疫力みたいなものまで否定するような原理主義的な方法で改革を迫ると、アレルギー反応が起きて余計に酷い抑圧になってしまうのだ・・・みたいな理解は、米中冷戦の進展とともに徐々に見えてくるはず。

それが、グダグダにグダグダになった日本社会がその先で新しいコンテンツの流れとして生み出していく世界になるのか、それとも二年見ないうちに刮目してみよ!的にどんどん変わっていく韓国社会がそういうコンテンツを生み出していくのか、それはわかりませんが。

何度もこのnoteでは引用している以下の図のように、

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概念の純粋性を頼りにありとあらゆる生身の存在をぶっ叩きまくるモラルハザードに対する、「開かれた社会とその敵」的な戦いは今後明らかに全世界を舞台に起きていくと思いますし、その中で私たち日本人が果たす役割は大きいはずだから頑張っていきましょう。

今回の記事の無料部分はここまでです。

以下の有料部分では、これを書いていて思い出したいろんな「ホストクラブで働いていた頃の思い出話」とか、日本においてホストという職業がここまで「どの街にもある」的な流行り方をしている理由はなんなのか?みたいなことを考える記事を書こうと思っています。

特にコレ書いていて思い出したエピソードとして、ホストの先輩のヘルプ役で、風俗業で子供を育てているシングルマザーさんとマンツーマンで話していたら、突然僕みたいなお育ちの良い呑気モノと話すことになって心の鎧が外れちゃった感じでその女性がわんわん泣き出してしまったことがあったんですが、でもそうやって「”壁”役の先輩ホストと”気遣い”役の自分」で協力しあってその女性をケアしていく、そういう「隠れた協力関係」みたいなものが社会の中でうまく働くようになれば、「一人の女性の寂しい気持ち」を「パートナーの一人の男」だけが全部背負い込まないと破綻するような社会とは違う優しさが生まれるんじゃないかと思った・・・というような話を書きました。

2022年7月から、記事単位の有料部分の「バラ売り」はできなくなりましたが、一方で入会していただくと、既に百個近くある過去記事の有料部分をすべて読めるようになりました。結構人気がある「幻の原稿」一冊分もマガジン購読者は読めるようになりました。これを機会に購読を考えていただければと思います。

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