見出し画像

さすがに石丸さん叩かれすぎじゃない?という話。(石丸氏は嫌いでも良いが”彼を支持する民意”とは向き合うべき)

都知事選が終わってからここ最近のSNSにおける石丸氏に対する「攻撃」はなかなか凄くて、なんか「こいつ絶対学生時代モテなかったんだよ俺もそうだったからわかるけどこうなっちゃイカンよね」みたいな何の話やねんww?みたいなのまで猛烈にバズっていて、ちょっと異様な様相だと思います。

こういう時に重要なのは「彼個人」は嫌いでもいいけど「彼を求めている民意」とか「彼の存在意義」とかにはキチンと向き合わないといけないということですよね。

まあ確かにね、テレビとかでの振る舞いはパワハラ的だし、そもそも議会相手でも結構無茶な振る舞いをするし、ポスター代の裁判がどうこうとかその他色々あるとは思います。「彼個人」に警戒感があるのはわからなくもない。

ただ一方で、若年層を中心に強烈な支持を集めているのも確かで、そうやって「全否定」型に切り捨ててるだけだとさらに分断が進むだけじゃないですか。

「石丸氏個人」は嫌いでもいいけど、「石丸氏が必要とされている情勢」に対しては真摯に立ち向かっていかないと、「ただバカでアホで社会経験のない若年層が騙されてるだけなんだろう」みたいな事しか言わないのは不健全だと思います。

では、この「石丸現象」にどう対処していけばいいのか?あるいは、その他色々な「新しいタイプの候補(安野たかひろ氏、内海聡氏、暇空茜氏…)」が躍進している現象に対してどう対処していくべきなのか?について考える記事を書きます。

1●まず基本的な彼の「安芸高田市政」のおさらいから

選挙前に、彼の安芸高田市での業績について公文書から冷静に見るという記事で書きました。(これむしろ選挙後になってめっちゃ読まれてます)

上記記事をまとめると、以下の三点になるかと思います。

A・まず基本的に田舎で本当に「改革をやり遂げる」には「恥を知れ!」的な”公開処刑”のような形で敵を作るべきでない、というのは私の中小企業コンサル的経験からの明確なルールではある。

B・一方で、石丸氏は「ただの炎上芸の人」というだけでなく、今行政に必要なことを一貫した視点で語れる能力がある人で意外だった。(ただ”ショート動画の論破!芸”が上手い人という印象によって逆にその本質的能力が隠されてしまってる印象すらある)

C・石丸氏の安芸高田市政は、その「一貫したビジョンを出す能力」ゆえに懸案に着手できた美点も一部にあるが、実態としてはそこまで「凄い改革」ができたわけでもない。何よりせっかく作った将来プランが今後後任が選挙に負けてしまった事で結局実現しない可能性も大きい。

で、上記の記事ではあまり詳細まで踏み込んで書くことはしなかったので、「結局石丸氏は何もできてない無能だ」っていう話だと読む人も多かったんですが、それはそれでちょっと違うんだよな、と思うんですよね。

一応その点は動画で追加で説明したんですが↓。(最近YouTube始めたんでよろしければチャンネル登録よろしくお願いしますw)

この動画も、むしろ選挙が終わってから延々掘り返されて見られています。

選挙後の「反石丸派」の人はとにかくメディアでの印象から全否定しまくる事が多いんですが、その中で「石丸支持派」の特に若い人がこの動画↑(Twitterに貼ってある短尺版も含めて)をかなりシェアしてくれてる感じですね(笑)。

確かに「そんな奇跡的に凄いこと」ができてるわけでもないけど、「全く何もできてない無能」って感じでもないんだ、っていう話をまず聞いてほしいんですよね。

2●「優秀なフィナンシャルプランナーと無計画な夫婦」のたとえ話で理解する

石丸氏の業績の一番良い部分は、「将来計画皆無の夫婦」と「優秀なフィナンシャルプランナーの対話」みたいなものだと思うといいんですよ。

「なんとなくの将来不安」が放置されてると、

・無理して食費を削ろうとするような短絡的な節約

…をやろうとして、それでストレスためてまた今度は逆に

・ドカーンと無駄遣いしちゃったり

…ってことよくありますよね?

で、石丸氏は役所と、例えるなら以下のような話をしてたんですよね。

「お子さんはお二人ですね、上のお子さんは公立高校にいかれてると。下のお子さんはお受験されるご予定はありますか?なるほど、そういう事でしたら、40代、50代、60代においてこのような資金需要が生じますから、このタイミングまでにこれだけの貯蓄があるといいですね。次に家計簿を見せていただいて、なるほどなるほど。食費を無理して削ったりするのは良くないですしリバウンドしますから、まずは車の買い替え頻度を下げるなどして固定費を減らすことから始めませんか。中古車なら最近はこれぐらいの値段で良いものがありますし…」

…で、その「固定費を減らすプラン」を詳細に将来にわたって決めて、その計画に則っていけばうまく財政がソフトランディングするように持っていったわけです。

で、この方向性で、「固定費を減らすこと」も「借金を減らす」ことも、国からいわれて自治体側がもともとやろうとしていた路線でもあるんで、「彼の業績ではない」という視点もありえるとは思うんですよ。だからアイツは何もしてない無能って言ってる人も結構いる。

でも僕が色々と細部を見た印象では、逆にその「既定路線を突然ひっくり返す」ようなことはしないで、徐々に角度を変えながら痛みの少ない着地点に誘導していった手つきが感じられて、そこのかなりソフトタッチなやり方が凄い意外だったんですよね。

なにより、さっきのフィナンシャルプランナーの話でもわかるように、こういうのって「網羅的で全体感のある話」をした上で細部を見ていかないと、過剰に緊縮しちゃったり全然無策のままになったりするじゃないですか。

石丸氏はそのあたりですごく「トータルな全体感から細かい話へ」の順番で話をする能力が高くて、それゆえに前任者が作ったけどウヤムヤになっていたプランを詳細化する事ができたのだと思います。

「石丸構文」とか言って茶化されてますし、いわゆる「はい論破!型ショート動画」とかの印象もあってなんかものすごいパワハラ的でムチャクチャな強権的な政治をする人なのかな?…って思ってる人多いと思うんですが。

むしろなんか、大阪維新の財政について調べた時よりもよほど常識的というか、かといって「無策」という感じでもなく、少なくとも役所のメンバーとはうまく協業しながら施策を行っていたところがあるんだろうなと思いました。

3●後任は選挙で負けちゃって、これからどうなるか?

とはいえ!

安芸高田市の後任選挙は「石丸後継者」は負けちゃって、上記のハコモノ削減プランはある程度見直しになる見込みらしいんですよね。

さっき貼った石丸氏についての動画の後半でも述べたようにように、やっぱり「はい論破」的に敵を作りまくると、プランをとりあえず作るところまではいいとして、その後「恨みを溜め込んだ敵」がそのプランを「絶対認めてやるかぁ!」的に襲いかかってくるので、本当に実現まで行きづらいという問題はあると思います。

一方で、石丸氏についての最初の記事では書いておいたように、石丸氏のような「革命家」が大枠のプランを作っておいて、あとはもっとソフトタッチにやりとりができる「実務家」よりの人が後を引き継ぐのは悪いことではないと思います。

選挙で当選した後任の人の発言を見ていると、「石丸氏のプラン」の一番目立つ部分(保育園の統廃合など)は見直しをする、という話が出ていましたが、それ以外は特に言ってなかったようなので…

ひょっとすると、「石丸氏のプランのうちの象徴的な部分」の見直しをしてガス抜きをした上で、トータルな削減プランは大枠で生き残ることになれば、安芸高田市政としては「非常に有益なバトンタッチ」になりえたりするのかも、と思います。

4●石丸氏人気の根幹には「論破芸」だけでない「オープンな議論」ニーズがあるはず

石丸氏の行政手腕について「もっとうまく出来ている例は沢山ある」というように行政について詳しい人が言ってるのは本当にそうなんだと思います。

一方で、そういう風に「よくわかってるプロ」の間でよろしくやって「実は良い市政」が行われています・・・みたいなのはどうしても密室政治になっちゃうわけじゃないですか。

動画配信されてる石丸氏の安芸高田市財政説明会とかは逆に大学の講義とかでもなかなかないぐらいのわかりやすさで、しかも「単なる論破芸」みたいな感じじゃなく本質的に必要なことが述べられていて、そういう風に「オープンな議論」ができるようにしていくニーズ自体は凄いあるわけですよね。

要するに、以下の動画の後半で述べたように…

「”合意を取り付けて実行する”という点において小池百合子が案外有能なことを直視すべきで、そのうえでこういう密室政治にかつには国民とメディアの側がもっと良質な議論ができる環境が必要」

…ってことなんですよ。

そして、石丸氏についての若い人の期待は、もちろん「はい論破型ショート動画」の影響もあると思いますが、長尺で語ってる時の結構理性的でオープンに「問題自体」を話せる雰囲気も重要なのは間違いないと思います。

そのあたりについて書いた私のxポストに来たリプライで結構「いいね」も集まってるものがコレですが↓

「党派的な先入観」とは別に「問題自体をフラットに話せる」という環境作りを石丸支持者は求めていて、石丸氏は実際に「そういう要素」もかなり持ってるんだってことですね。

「個人としての石丸氏」を評価するかしないか、敵だと思うか味方だと思うか、嫌いか好きか・・・は別問題として、石丸氏人気が定期しているこういうニーズ↑には既成政党も向き合っていかねばならないのだと思います。

5●オープンな議論のための中立的で詳細な報道の必要性(とその分野での最近の前進について)

で、動画や記事やSNSでしょっちゅう言ってるように、「密室でなくオープンな議論で政治が動く」ようにするためには、今みたいな「お互いレッテル貼りで全否定」「実は好きか嫌いかしか言ってない」みたいなメディアのレベルごと変えていく必要があるんですよね。

そういう意味でめっちゃ良い本を見つけたんで紹介したいんですが。

検証 大阪維新の会 ――「財政ポピュリズム」の正体 (ちくま新書)

この本めっちゃ良かったです。

何が良いって、この作者の学者さん自身は大阪維新について批判的な人(学問の師匠は左派系SNSインフルエンサーとして有名な慶応大の金子勝氏らしいので)なんですが、だからって

維新はバカ!本当の知性ってもんがわかってないアホ!反知性主義!

…みたいなことしか言ってないような維新批判派の本と違って、大阪府の財政について詳細に分析して客観的な評価を下してるところなんですよね。

これ、僕は個人的な興味から(メディアで溢れる情報があまりに現実と違ってそうだったので)大阪都構想が否決された時期(2020年だったかな?)にざっくり似たような分析をやったんですが、その時「だいたいこういう感じなんじゃないかな」と思っていた印象がちゃんと裏付けされてて凄い勉強になりました。

こういうのってやっぱり「本職で時間使うプロ」がやらないと細部の細部まではわからないんですよね。

行政の財務データって企業のものと用語や発想が全然違っていて、あと色々な外部条件の変化(この年度から公立小学校のクラス人数が変わって人件費が突然増えてるとか、府と市の間の行政機能統合で急に公務員の人数が変わったりとか)が全部何の説明もなく数字の羅列の中に閉じ込められちゃってて、ある程度「業界の肌感」がわかってる人にしか本当の細部の分析は出来ない。

そういう意味で、「ちゃんと時間使って中立的に検証してくれたプロ」がまとまった本を出してくれたのが凄いエポックなことだったなと思いました。

なんせ、「大学教授」の名前ついてる色んな人が、大阪維新についてはメチャクチャ切り取り的にアンフェアな情報を乱発してお互い全否定合戦しまくってるのが「平成の言論状況」って感じだったので(笑)

小池都政について、あのプロジェクションマッピングなんてものすごい些末な事例で、あれで都政の全体感を語るとかアンフェア過ぎる、という話をしましたが、大阪維新の業績についても「同じレベル」で「ばーかばーか」「バカっていう方がバカなんだぞ!」みたいな事を言い合ってるレベルのメディア報道ばっかりでしたからね。

「維新への批判派」の人でも、この本ぐらいちゃんと冷静に分析した実態を捉えて開示してくれる人が出てきたのは、本当に新しい事だと思いました。

ざっくり言うと、財政面では

・公務員数や外郭団体の削減と民間移管により明らかに借金は減らしていってる(維新最大の成果?)
・特定の困窮者支援的要素は少しずつ減らし、一方で所得制限ナシの頭割りの教育費補助のような政策への転換が緩やかに行われている(”財政ポピュリズム”と批判されている観点)
・都市中心部の再開発による投資的経費は増大傾向

大阪経済全体の傾向としては

・地方税額や一人当たり県民所得などの指標で、維新時代に「大阪経済がものすごく伸びた」とは言えない。
・一方で、外国人観光者数や中央部の商業地域の活況、地価上昇などの効果は明らかにある。

ただ個人的には、この経済指標↑の部分について、大阪っていうのは2000年代初頭ぐらいまでは「東京に負けない要素」も強く持っていた街だったので、単に「それほど落ち込んでないし伸びてもいない」という要素が、「維新の効果がまったくない」とも言えないのではないか、という印象を持ちました。

「大企業のヘッドクオーター」要素はすべて東京に吸い上げられていく傾向の中では(これは維新のせいじゃない日本全体の東京一極集中的傾向ですよね)、大阪経済が「落ち込む」のは当然な環境の中で横ばい程度で済んでいるのはある程度維新の功績をある程度は見てもいいんじゃないかと。

なんにせよ、「維新がやりすぎ」と感じてる人は結構いると思うしそこは僕も同意なんですよね。

ただ、「平成時代の維新批判言論」みたいに、「あいつらは自分たちみたいな”本当の知性”ってものがないバカでクズの反知性主義だから全部ダメ」みたいなことしか言ってないと、その意見を取り入れようがないじゃないですか。

「ちゃんと借金減らせてる」部分だけ取ってみても維新の存在意義自体は揺るぎなくあるわけだから、そこは認めた上で、「そうは言ってもこの財政ポピュリズム要素は良くないのでは」「万博などの大型投資はそろそろ時代に合わないのでは」という「一歩高精細な議論」ができるようになっていけば、維新議員だってバカじゃないのでそれを取り入れて変わっていくことも可能になるでしょう。

維新に反対してる勢力も、「借金減らせてる」部分はある程度ちゃんと認めた上で、「自分ならここの部分をもっとこうする」という上乗せの議論ができていくといいと思うんですが・・・

それが、平成時代からつづく「反維新」の人たちって、たまたま災害とかの突発的な事情で一時的に調整基金の取り崩しが必要になったみたいな一個の部分だけを切り取って、「やはり維新はバカだから財政再建できてるってのも嘘だったんだ!」みたいに大騒ぎしたりするんで、全然話が噛み合ってないんですよね。

「借金減らした要素」は当然大事だと認めた上で、「とはいえここの部分はやりすぎでは」「むしろ広く薄く配るより特定の困窮者支援こそが必要なのでは」みたいな議論をもっとできるようになれば、

「密室でなくオープンな議論で政治が動く」

…が実現できるようになっていくでしょう。

6●「票数」から見える「民意」を勝った方が取り入れるという民主主義の形

話を都知事選に戻して、今度は10万票程度以上取った色々な候補についてどう考えるべきか、っていう話をしたいんですが。

「党派的でも密室でもない政治」をやるには「議論の高精細化」が必要っていう話が、ここでも大事になってくると思うんですよね。

要するに、「ワンイシュー」的なマニフェストでまあまあ得票を受けてる候補の事は、ある程度勝者が「自分たちなりの形で取り入れていく」傾向があるのが望ましいのではないかという。

東京都知事選確定得票数


石丸氏の得票については、「できる限りオープンな議論でちゃんと政治を進められるような形を模索していく」っていう形でもっと取り入れられていくべきですし、蓮舫さんの支持者が求めるような困窮者支援要素は、インフレで格差が開く今のタイミングの日本ではどうしても重要になってくるはず。

田母神さんについては良く知らないのでここでは扱いませんが、安野さんにここまで票が集まったのも、彼のマニフェストの中にあるような政策自体への期待感があると思うので、どこかでまわりがどんどん取り入れていく流れになる事が望ましいと思います。

その下にいる内海氏と暇空氏については、どっちも「お前はこの話題を避けてるのは逃げてるんだろう。それだけでもお前の言論に価値がないってわかるね!」とか言ってくる人がいるんですが(笑)

でもどっちも、「今の政治」が取りこぼしている「人々の思い」がそこには詰まってると思うので、彼らと同じことをする意味は全然ないが、そこにある「お気持ち」を受け止めていくこと自体は大事なことではないかと思います。

内海氏は「アンチワクチン」の人ですが、確かに、ワクチンって「社会全体として合理性がある」から受けてもらってるけど、「個人の自由」という概念からするとちょっと難しい問題を抱えてますよね。そして完全に個人から見てリスクゼロってわけでもない場合もある。

社会全体として大きなメリットがあるエビデンスがあるものについて、粛々と実施していくことは大事だけど、最近思うのは「反ワクチン」的な人に対してかなり侮蔑的なことをいう医療クラスタの人がいるのは良くないな、と思っています。

科学的に認証された情報を丁寧に伝えていくことは大事だけど、「バーカバーカ」みたいなことをいうのは良くないなと最近ある知り合いから強く言われて反省するところがありました。

そういうレベルでの「科学的に認証された知識を粛々と」と「人としての敬意を持った振る舞い」を両立させていくことが大事だと思います。

また、「暇空茜」氏に関してなんですが、これもただただ彼と彼の支持者をバカにするのは良くないと思うんですね。

要するに、「女性支援NPOだったら何をしても良い」「自分たちは正しいことをしているのだから会計処理が杜撰でも問題ない」みたいな傾向が一時のNPO界隈にはあった事は事実だと思われ、それに対するカウンターを行う政治的権利は当然この社会には誰しもあるわけですよね。

「公金が数億円とか入る状態になれば、それ以前のようなある意味杜撰な経理では良くないですよ」というだけの話だと思います。(かといってcolaboが数億円を横領してたみたいな話になってるのも全然デマだと思いますが)

僕もなぜかブロックされてるので彼の普段の言動は追ってませんが、このデイリー新潮が暇空氏に直接インタビューした記事によると、

――女性団体に狙いを定めて女性いじめをしているという批判もある。
それも大きな誤解です。その証拠に僕は東京都がColaboに事業を委託しなくなって以降、Colaboの活動を批判していません。今のColaboは自分たちが集めた寄付金、つまり自腹でバスカフェ活動をやっているわけですから、結構なことだと思います。
 僕は最初から言っていますが彼女たちの活動自体は何も批判していません。公金で活動しているのに、デタラメな領収書を出すなどの行為について問題視してきたのです。きちんとどういう目的で何をしたか、都民にわかりやすく活動報告をしていないこと、そして、それをザルのように通してきた東京都を問題視してきたつもりです。

…ということなので、公金を入れる限りは明朗会計で、私費でやるなら頑張ってね!という趣旨だそうです。

ただ、暇空氏本人がどうあれ、「周りの人」が普段の鬱屈を彼に投影してあることないこと話をふくらませる結果、余計に混乱に拍車がかかってる面もあるように思うんですよね。

僕の「小池都政はまあ上手くやってる面もある」っていう記事について、暇空氏が「国賠訴訟」で勝利した一件がある事を持って「だから小池はダメです。あなたの意見は受け入れられません!」って言ってくる意見とかあったんですが・・・

その「国賠訴訟」って何かと言えば、暇空氏のアクションに対して都がNPO関連の情報公開を渋った事に関して一件違法だという判決が出たというだけの話で、「小池都政全体の評価」とはほとんど関係ないような話ですよね。(何ならプロジェクションマッピングの事例の方がまだ関係ある)

それ以外にも、colaboが会計報告とかが多少杜撰だった事実はあるでしょうが、かなりインテリっぽい有名人(本人の名誉のために誰かは言いませんが)と雑談してた時に、

colaboが数億円を横領してたってことなんでしょう?

って言ってて、それはさすがに明確にデマですよ!てめっちゃ焦りました。

もうなんか暇空氏本人もコントロールできないほど「尾ヒレ背ヒレ」がついてってる現状がありそうなんですよね。

でも、ここまで「暇空氏を崇拝」するようなムーブメントが起きてしまうことは、さっきの内海氏に関する問題と同じような現象があるように思うんですよ。

なんか今でも暇空氏とその界隈は「モテない男たちの怨念でしかない」みたいにディスりまくってる意見が結構あるんですが、いやいや、モテるモテナイとその人の政治的権利は関係ないからね!

そもそも、日本の女権拡張運動が、時々無駄に「モテナイ男ディス」みたいな要素を持ってる傾向があるのは良くないはずなんですよ。

「女性の政治的権利の平等性の主張」は大事ですけど、それと同時にその主張者個人の「モテナイ男に対する侮蔑心」がセットになってないかよく検証した方がいいです。

一昔前の女性の権利拡張運動っていうのは、ある意味で「男というものへの憎悪」がセットになりがちだったんですよね。

「男と違って女性なら責任ある地位になったからって性加害なんて絶対しない!」→「嘘でした」
「女性が国のトップになったら戦争なんてするはずない!」→「歴史の教科書を読み直しましょう」

っていう要素が沢山あったでしょう?

そういう「女性の政治的権利の平等」は、そういう「モテナイ男に対する単なる侮蔑心」みたいなのからいかに分離できるかによって、「次の段階」に日本社会全体として進んでいけるかが決まると言えるでしょう。

これ、蓮舫さんの今回の敗北に関して、立民は自分たちの党のあり方をもっと「中道寄り」に戻すよう考えるべきだ、という結構読まれたツイートをした時にも書きましたが…

「欧米のように社会全体の分断にならず、日本社会の末端までの安定性という特徴をある程度残しながら、どうすれば男女平等的な制度を社会全体で普及していけるのか」

…という課題に対して、単に「日本の男への恨み言」みたいなのじゃなく主体的に考える運動がメインになってたら、ここまで「暇空信者」みたいな人が10万票集まるほど席巻する事もなかっただろうと思います。

「医学部の女子入試の話をするときに、ちゃんと日本の医療制度改革の話までする」っていう当たり前の「ちゃんと社会を運営する側の責任を持って考える」姿勢が持てるかどうか。

その点において今の日本のあらゆる左派運動(およびフェミニズム)には欠けてる面が明らかにあると私は考えていて、そういう意味では当然暇空氏みたいな人からのバックラッシュは受けるよね、っていう「因果応報感」は当然感じてる部分はありますね。

さっきの「立民は中道派にもどれ」ツイートで紹介した、私の本でよく使ってる以下の図のように…

既に社会のあちこちで「飛行段階」まで入ってる課題が沢山あるのに、まだ「滑走路段階」のモードで、「少数の目覚めた我らと悪辣な日本社会全体」というファンタジーに引きこもっているから、暇空氏みたいなのに攻撃されちゃうんですよ。

要するに、「左翼的良識」は実は全然人々に受け入れられてるはずなんですよね。

今どき、女だからこうしろとか女は能力が劣ってるとか、同性愛がキモいとか、表立って言う人はほぼいない(残念ながら実際にはいるが当然問題視はされるはず)だし、できるだけパワハラ的なコミュニケーションがない形で仕事が回るようにするべきだとか低賃金重労働な存在に対してなんとかお金が回るようにするべき、という意見に反対する人などほとんどいない。

そして、そういう問題における、自民党の一部高齢議員の問題発言には「ありゃないよね」と思っている人々の合意も実は広くあるはずです。

つまりよく言われているように「世間一般」は大枠としてかなりリベラルになってきているわけなので、その「世間一般」の気持ちとシンクロしながらそれが実態的に社会の中で安定的に着地できるように細部の課題の解決について四方八方に配慮しながら進めていく事が必要な段階に来ているはず。

そこでちゃんと「日本社会側の事情も深堀りして現実の細部を丁寧に詰めていきましょう」っていう話をするべきタイミングで、「クソミソジニー社会で生きるなんて地獄だわ!」とかいう話ばっかりしてるのは、本当に「有効な戦略」なのか考え直すべき時ですよ。

要するに、今の「色々な左派運動」と「暇空氏のムーブメント」は鏡の中の像であり、いかにこういう構造が生まれてしまう現状ごと克服していけるかを皆で考えなくてはいけないってことなんですね。

これはもっと本質的に言うと、「人類社会の中の欧米諸国が占める割合」がどんどん低下していく中で、それでも「欧米的な良識」が非欧米においてちゃんと維持されるように持っていきたいなら、単に「植民地支配者目線」で「遅れてるねえ」とか言ってるだけじゃダメだ・・・という時代背景に繋がります。

本当に「欧米とは別個の独自な経緯を持つ文明」としてちゃんと尊重した上で、そのローカル社会の課題を上から目線でなく共通の視点で解決していこうとする姿勢が、「改革を求める側」にあるかどうか?

それが今後は今までの20世紀型の社会よりも何百倍と厳しく求められていくのだし、そしてそこにキチンと向き合うことによってのみ、日本が「果てしなく分断される人類社会」をつなぐ新しい希望となる道も生まれるのだ、ということです。

そのあたり、以下の私の本などをお読みいただければと思います。

日本人のための議論と対話の教科書

長い記事をここまで読んでいただいてありがとうございました。

ここまでは、「色んな人にやれやれと言われていた動画を始めてみて思ったこと」をツラツラ述べます。

なんか実はYouTubeだけじゃなくてTiktokにも(ほぼ)同じ動画を出してみたんですが、コメント欄の感じ、再生数の感じ、アルゴリズムの違い(全然違う!)など、全然違うカルチャーがあってなかなか学びがありました。

まあまだ「駆け出しも駆け出し」の動画配信者ですが、ただ「動画ネイティブ」ではない、普段動画より文字情報が好きな人間が体験した動画世界・・・という意味でその「違い」がどういう部分にあるのかを考察する意味はあるかと思うので、そういう意味でお読みいただければと思います。

その結論として、やはりいかにtiktokだけを頑張っても、参政党みたいな泡沫政党にはなれても、石丸さんが今回取った票数みたいなところには届かないのではないか、という話や、「古いタイプの文系の議論」で「基礎」を作った上で、そこから「浮遊票」へのアクセスをしていくことの重要性みたいな話もします。

2022年7月から、記事単位の有料部分の「バラ売り」はできなくなりましたが、一方で入会していただくと、既に百個以上ある過去記事の有料部分をすべて読めるようになりました。これを機会に購読を考えていただければと思います。

普段なかなか掘り起こす機会はありませんが、数年前のものも含めて今でも面白い記事は多いので、ぜひ遡って読んでいってみていただければと。
ここまでの無料部分だけでも、感想などいただければと思います。私のツイッターに話しかけるか、こちらのメールフォームからどうぞ。不定期に色んな媒体に書いている私の文章の更新情報はツイッターをフォローいただければと思います。

「色んな個人と文通しながら人生について考える」サービスもやってます。あんまり数が増えても困るサービスなんで宣伝してなかったんですが、最近やっぱり今の時代を共有して生きている老若男女色んな人との「あたらしい出会い」が凄い楽しいなと思うようになったので、もうちょっと増やせればと思っています。私の文章にピンと来たあなた、友達になりましょう(笑)こちらからどうぞ。

また、この連載の趣旨に興味を持たれた方は、コロナ以前に書いた本ではありますが、単なる極論同士の罵り合いに陥らず、「みんなで豊かになる」という大目標に向かって適切な社会運営・経済運営を行っていくにはどういうことを考える必要があるのか?という視点から書いた、「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」をお読みいただければと思います(Kindleアンリミテッド登録者は無料で読めます)。「経営コンサルタント」的な視点と、「思想家」的な大きな捉え返しを往復することで、無内容な「日本ダメ」VS「日本スゴイ」論的な罵り合いを超えるあたらしい視点を提示する本となっています。

また、上記著書に加えて「幻の新刊」も公開されました。こっちは結構「ハウツー」的にリアルな話が多い構成になっています。まずは概要的説明のページだけでも読んでいってください。

ここから先は

3,507字
最低でも月3回は更新します(できればもっと多く)。同時期開始のメルマガと内容は同じになる予定なのでお好みの配信方法を選んでください。 連載バナーデザイン(大嶋二郎氏)

ウェブ連載や著作になる前の段階で、私(倉本圭造)は日々の生活や仕事の中で色んなことを考えて生きているわけですが、一握りの”文通”の中で形に…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?