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サッカーしているのに、目の輝きが失われてしまった子どもたち

笑顔でボールを追いかける小さい子どもたちが好きだ。
これは、万国共通であると思う。

しかし、年齢が上がるにつれて、小さい子どものような笑顔でプレーする姿を見ることは少なくなる。

監督やコーチ、時に親にドヤされて、うつむく子どもたちの姿が目に焼き付いている。

一方で、監督やコーチ、親に温かく見守られ、子どもたちが自らを解放してプレーする姿も焼き付いている。

海外を旅して、異国のいろんな地域で子どもたちのフットボールを見てきたけれど、前者のような構図を目にしたことはない。
後者のような構図は、日本では稀だ。

サッカーしているのに、目が死んでいる

以前、ゲストコーチを頼まれて、とある中学サッカー部に行った時の子どもたちの表情が印象に残っている。

その表情からは覇気が感じられない。
顧問も、この子たち覇気がないんですよ、と言う。

「ほら、せっかくコーチが来てくれてるんだからもっと自分からコミュニケーションとって」と。

一緒にプレーしていても、仲間を鼓舞する声、励ます声、よりも指示、咎める声が多かった。

なぜ、覇気がないのだろう?
なぜ、指示ばかりになるのだろう?
サッカーが上手くなる以前に、そこがとても気になった。
なぜ、君たちはサッカーしているの?
なぜ、君たちは部活へ、学校へ行くの?
それを問うことからはじめないといけないと思った。
これは、子どもよりもむしろ顧問を含めた先生、そして親自身もこの「問い」について考える必要があるのではないだろうか、と。

また、ジュニア年代の指導をしていた時、監督やコーチ、親が長々と説教をし、うつむく子どもたちの姿を嫌というほど観てきた。その光景は、今なお現場に行けばあまり変わっていない。これはサッカーだけでなく、あらゆるスポーツの育成年代で同様だ。
野球も、バスケも、バレーボールも子どもたちがプレーする現場に行けば同様の光景を目にする。

そんな子どもたちの目は輝きを失っている。

サッカーをする若者が楽しそうにプレーする

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