日本人が、見知らぬ人を助けない理由
私は中南米で一年ほど生活し、帰国後も南米のコミュニティで生活し、日本で生活しながらも複数の文化を体験して、日本の良さがとても良くわかりました。
電車やバスは時間通りにくるし、仕事も遅刻もしないのが当たり前。
治安もとても良く、暴動も起きなければ、殺人事件も少ない。
食事は最高に美味しい。
街はきれいで整っていて、人々は言われたことをしっかりやる素晴らしい国だと思います。
ただ、日本という国のおかしな部分にもたくさん気が付きました。
今日はそのことについて書いてみたいと思います。
日本人は本当に親切なのか
私は中南米の旅を終え、日本に帰国してから、外国人が多く所属するサッカーチームでプレーしていました。試合の帰り道、友人のペルー人と帰宅していたときのことです。
駅の長い階段を大きな荷物を持って必死に上がるおばあさんがいました。
それを見てペルー人の友人が階段を駆け上り、「荷物持ちますよ」と言って、遠慮するおばあさんを「大丈夫大丈夫!上まで上げますね」と言って大きな荷物を持って階段の上までサポートしました。
私はこんなことをする日本人をあまり見たことがありませんでした。
また、東京江戸川の某所に住んでいた時、バイクで転倒しているおじさんがいました。私は急いで駆けつけて、おじさんの安否を確認し、道路脇の安全な場所まで運ぼうとしました。すると近くを歩いていた人たちの中から一人サポートに来てくれた若者がいました。片言の日本語で「私も手伝います」と手をかしてくれました。インド、パキスタン系の素敵な若者で、拙い日本語で一生懸命コミュニケーションを取ってくれたのが印象的でした。
数年前、東京の中野駅で、視覚障害の白杖を持つおじさんが道の真ん中でオロオロと困っていました。「どうされましたか?」と声をかけてみると、中野セントラルパークへ行きたいけれど、どう行けばいいかわからないとのことで案内しました。
「ありがとうございます。結構な時間迷ってしまってどうしたものかと思っていたところでした」
と、結構な時間誰にも助けてもらえずに困っていたことを知りとても寂しい気持ちになりました。
明らかに困っている人がいるのに、沢山の人がその脇を通り過ぎていく光景がとても残念でした。
もちろん日本人でも見知らぬ他人を助ける人います。でもその母数が圧倒的に少ないということです。
日本人より外国人のほうが人を助けるというファクト
これらの経験から、私は日本人が親切だなんて嘘じゃん!外国人の方が全然人を助けるし、日本人は困っている人を全然助けない!と思ってました。
海外を旅していた時も、現地の人達にとても親切してもらったし日本人が特別親切と言われる理由ってなんだろう?とも思ってました。
また、「世界寄付指数ランキング」では、世界140ヵ国中、日本はなんと114位というデータまである。※参考記事:おもてなし大国・日本の「思いやり指数」は世界最低レベル
なぜ日本人は困っている他人を助けられないのか
この疑問が割とずーーっと頭の中にあって、無条件に日本人を称賛する日本人に違和感を覚えていました。
2021年、そんな疑問を解消してくれる本と出会いました。
その本にはこんなことが書いてありました。
まさに自分が感じていたことが書かれていました。
そして、なぜこうなってしまうのかという本書の解説が、私の疑問をクリアにしてくれました。
なるほどと思いました。確かに日本人は身内にはとても親切だけれど、関係のない他人にはそうではありません。
”世間という枠の中に生きる”という日本人が持つ特性によるものだと解釈すれば納得がいきました。
日本人は親切じゃないと思ってましたが、実はそうではなく社会ではなく世間に生きてきた歴史が長く、社会で生きることに慣れていないということなのだと思いました。
多様性の理解が遅いのも、異文化との共生が上手くいかないのも、世間的価値観と社会的価値観が混同しているからなのではないだろうかと。
日本人がより社会的になることができれば、困っている人を躊躇することなく助けることができるようになると思います。
だって、困ってる人がいたら本当は助けたいと多くの人が思っているはずだから。
困っている他人を助けたくても体が反応しないのは、”世間”に生きてきた僕らの歴史が自分たちに刻み込まれているからだし、”世間”と全体主義教育がもたらした同調圧力が強烈に働くから。
まずはこれに気がつくことからだと思います。
世間から社会に生きられるようになれば、きっと多様性の理解も進むし、より寛容な社会になるのではないかと思いました。
上述した日本人の特性が、実はサッカーにとても大きな影響があるという話は、いずれ書いていきたいと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?