見出し画像

サッカー禁止、ボール遊び禁止…子どもの遊び場がなくなった理由。日本という国を蝕んでいる病。

多くの公園で、サッカー禁止、野球禁止、ボール遊び禁止…

こんな看板を目にします。

理由は、近隣の皆様にご迷惑となるからだそうです。

近隣の人が、公園で遊ぶ子どもの声がうるさい、ボールが飛んできたら危ないと、区役所にクレームを入れたのかもしれません。一件だけでなく何件も入ったから、このような対応になったのかもしれません。

あまりにも不寛容な大人たちが子どもの自由を奪っている

大人が子どもの声がうるさいからという理由で、このように子どもが遊ぶ場所を奪ってしまうというのは、あまりにも不寛容だと思います。

更に、こんな声も聞こえてきます。

「最近の子どもは体力が低下してる。運動能力が低い。我々の若い頃はもっと体力があった。気合いが足りない。根性が足りない。」

このような態度を取る大人を私は許すことができません。 

ましてや少子高齢化社会で、子どもの数が減っている中で、まさに子育てしやすく、子どもが育まれやすい環境を設計していかなければならない状況で、子どもの居場所が奪われているのに、なにを言っているのだろう…と思うんです。

街を歩いていると、驚くほど多くの公園でボール遊びが迷惑行為とされて禁止されているんです。

なぜこのようなことになってしまったのか、もう少し深く考えていきたいと思います。

迷惑をかけてはいけないという呪い

23歳で日本に来てすぐのころ。子どもが生まれたばかりの人が、「どんな子に育ってほしいですか」と聞かれて、「好きなことを自由にやったらいいけど、ひとさまに迷惑だけはかけないような子になってほしい」と答えているのを聞いて、びっくりしたんです。「迷惑をかけない子」って一体どんな子だろう……。バンドとか大きな音を立てるようなことをしない子? それとも地球を汚さないように地球環境に気を配る子? うーん。そもそも、それって親が抱く子どもへの夢なのかな? と、まじめに考え込んでしまいました。
ほかに不思議だなあと思ったのは、ワイドショーなどで見る有名人の謝罪会見でした。女性への暴力など大変深刻な事件を起こした人が、謝罪会見で「みなさまにご迷惑をおかけしました」と言うのが不思議でした。謝罪するべき相手は被害者やその家族であって、視聴者にもマスコミにも、まったく迷惑はかかっていないどころか、むしろ興味津々でここにやって来ているのに。迷惑をかけた相手になっている「みなさま」って一体誰だろう、と。 
自分が「正しい側」にいたいから、または「正しくない」と指摘されるのが怖いから、先手を打って「迷惑だ」と言っている面もあるかもしれません。どんなにがんばっていても、だれにでも年に1回くらいは「迷惑」な存在になることがあると思います。大きな荷物を持ってバスに乗るはめになったり、子どもを満員電車で病院に連れて行ったり。ひとに厳しすぎると、息苦しくなるだけだと思います。 

私は海外で生活をして初めて、日本の常識が世界の非常識であることを知りました。そして、日本という国がどれだけ恵まれているかを知ると同時に、日本という国の貧しさも知りました。

物質的にはとても豊かなこの国で、生きにくさを感じることが度々ありました。そして同じように感じる人がたくさんいることも知りました。

先日放送された、プロフェッショナル仕事の流儀で、ひきこもり支援の石川さんがこんなことを仰ってました。

石川さんは貧しい国で、貧困層の人たちと生活していたそうです。でも、物質的に貧しい国の人たちよりも、日本でひきこもっている人たちの方が何倍も苦しいんだと言っていました。

なるほどと思いました。日本という物質的に恵まれた国が、大量のうつ病患者と自殺者を抱える理由がわかる気がしました。

「〜であるべき」「〜でないといけない」という空気感

日本は、ちゃんとしてないと生きてちゃいけない空気感があると思います。世間一般とずれているとダメ、みんなと同じようにしなきゃいけないという同調圧力があります。

どうしても他人の目を意識せざるをえない環境なんだと思います。これこそが生きにくさ、息苦しさを感じる大きな理由だと思います。

迷惑をかけてはいけないという意識が過剰に出てしまう要因は、この同調圧力を生み出している教育文化だと思います。それが公園のサッカー禁止、野球禁止、遊び禁止に繋がっているのではないでしょうか。

日本はあまりにも過剰管理

数年前、公園の遊具が次々と撤去されていきました。遊具で怪我をしたら、遊具は危険だから撤去、大人が見てないところで子どもに怪我をさせてはいけない、大人が管理しているところじゃなきゃ遊ばせてはいけない。

そうやって何でもかんでも過剰に管理しているわけです。

子どもが伸び伸び遊べる環境が、ほとんどなくなってしまいました。サッカースクールやクラブでサッカーはできるけれど、そこでも大人は自由に遊ばせてなんてくれないんです。手取り足取り教えないと親から怒られてしまうから、子どもが自由に表現できる機会はありません。

暗くなるまで、公園でボール遊びしたり、鬼ごっこしたり、それらを自分たちで自由にルールも遊び方もアレンジして進化させて、そうやって遊びの中から大事なことを主体的に学んでいく環境を作らないといけないと思います。

教育をアップデートすること

この現状を変えるには、子どもたちに携わる教育機関の先生、親を含めた大人の在り方がとても大切なのだと思います。

古き良き時代に設計された教育をアップデートしていかなければなりません。みんな一緒が最適解だった時代は終わり、みんな違って当たり前、その上で協調していこうという教育にシフトしていかなければいけないのだと思います。

少なくとも、大人がもう少し寛容になれば、子どもの遊び場を増やすことはできるはずなんです。

私たち大人ができることはなんなのか、ぜひ一緒に考えていきましょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?