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なぜ僕たちは「助けて」と言えないのか。孤立、分断を助長するものはなにか。


「自分の直面している問題に関して、誰かに打ち明けるということができない。悩みが深刻であればあるほど、人に言えなくなってしまうし、どうにかして自分の中で解決しようとしてしまう。誰にも迷惑をかけず、一人で全部解決するために努力している。ほんとはその努力を、誰かに相談するために使うべきなんだろう。でも、じゃあ、その誰かって誰なんだろう」

助けてと言えない 孤立する三十代 (文春文庫)


この本には、誰にも「助けて」と言えず孤立する30代の人たちの声が記されている。

どんなに苦しくても、「助けて」と言えない。
人を頼れない。

これを読んで、決して人ごとではないなと思いました。
私自身、かつて苦しい状況に陥った時、誰にも「助けて」と言えずに自分で解決しようと泥沼にハマったことがある。
誰かの助けを借りれば、あんなにしんどい思いをせずにすんだのに、死ぬ気でやればなんとかなる、我慢すればなんとかなると思って、人間らしい生活ができずに数ヶ月を過ごしたことがある。

運良く、本当に運良く、乗り越えることができたのだけれど、一歩間違えば心身を壊して、路頭に迷って最悪の結果になった可能性だってあったかもしれない。その可能性は否定できない。だからこそ、人ごとだとは思えない。頑張ればなんとかなるなんて言えない。運が良かっただけ、本当にそう思う。
この本は、10年ほど前に書かれており、当時の30代の孤独死をきっかけに孤立する30代にフォーカスされた本なのですが、私は世代を問わずこの「助けて」と言えない問題を抱えているのではないかと感じています。

なぜ、私たちは誰にも「助けて」が言えないのか

私は助けてと言えない理由がなんとなくわかるんです。
自分自身もそうだからです。
なぜなら、恥ずかしいからです。
いい歳して、誰かの助けが必要な状況を「恥」と感じてしまう感覚がどこかにあります。
自分でなんとかしようと思ってしまうし、自分がこんな状況になっているなんてあり得ないという現実を受け入れ難い感覚もあります。
なぜ、そんな感覚になってしまうのだろうか。
「「助けて」が言えない---SOSを出さない人に支援者は何ができるか」という本にこんなことが書かれていました。

誰かに助けを求めるという行為は無防備かつ危険であり、時に屈辱的だ。冒頭に述べた、死にたいくらいつらい 現在 を生き延びるために、自傷や過量服薬を行っている子どものことを考えてみるとよい。一見、彼らはカッターナイフや処方薬・市販薬に単に依存しているように思えるかもしれないが、実はそうではない。問題の本質は、カッターナイフや化学物質という「物」にのみ依存し、「人」に依存できないこと、より正確にいえば、安心して「人」に依存できないことにある…

「助けて」が言えない---SOSを出さない人に支援者は何ができるか

安心して「人」に依存できない、「人」を頼れないという感覚…。
家族にも、友達にも頼りにくい。僕たちはなぜそう考えてしまうのだろうか。

物質的に恵まれているのに、精神的に貧しい

海外を一人旅していた時に驚いた光景があります。それは物乞いをする人たちの姿でした。街の至る所に物乞いの人たちがいました。大人から子供まで。
私は、日本では物乞いを見たことがありません。
もちろん世界トップレベルの治安、貧富の差も私が訪れた国ほどはないでしょう。でも、物乞いすらできずに誰にも頼れなくて絶望して孤独死をする若者がいるという事実に対して、なぜそうなってしまうのかという部分がどうしてもひっかかる。
日本で孤独死するほど苦しんでいる人が、もし物乞いが日常にいる国に行けば死を選ぶことはないのではないかと思うんです。
そこには日本特有の人を苦しませるなにかがあるような気がしてなりません。

プロフェッショナル仕事の流儀で、ひきこもり支援の石川さんがこんなことを仰ってました。

石川さんは貧しい国で、貧困層の人たちと生活していたそうです。でも、物質的に貧しい国の人たちよりも、日本でひきこもっている人たちの方が何倍も苦しいんだと言っていました。

世間と同調圧力

以前、「日本人が、見知らぬ人を助けない理由」という記事を書きました。
その中で、道で困っている人を素通りするたくさんの人たち、困っている人を助ける外国人の話、日本人と世間の関係の話を書きました。
世間と同調圧力の強い日本という国だからこそ、「助けて」と言えないのかもしれないなと思いました。

※鴻上尚史さんの著書「同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか (講談社現代新書)」にも世間と同調圧力による影響が記されております。

でも、世間に生きているなら身内である家族や親友に助けてと言えるかもしれない、頼れるかもしれないのに、それができないということは精神的により深刻な問題があるような気がします。
なぜ身内にすら「助けて」と言えないのか。

「社会はその人の責任だと言い続けてきた。苦しい状況に陥っても、それは自分の責任だと。そういうことを、社会が若い人たちに思わせているのではないか」

助けてと言えない 孤立する三十代 (文春文庫)

社会がすり込んだ自己責任論

以前、人材事業を営む会社の管理職の方に、「若い人もキャリア形成が難しいけれど、割と30代以上でも失業して苦労されてる人多いですよね」という話をした時に返された言葉が印象に残っています。

「30歳にもなって、仕事が見つからない、自分でどうにかできないって、ただ努力してこなかっただけ、怠けてきたツケが回っているだけなので、自業自得ですよね。怠けてきた人を救える術は思いつかないですね。世の中そんなに甘くないですよね。」

もちろん努力が足りない人、怠けている人もいるとは思いますが、そんな人ばかりではないですし、努力すらできない環境の人もいるのに、その人たちが視界に入らない人なのだなと思いました。そしてきっと弱者あるいはマイノリティが視界に入らない人がこの社会にはとても多いのではないかと、同時に思いました。同じような話を聞いたのはこの時だけではなかったからです。

他人に迷惑をかけてはいけないという呪い

私たちは、小さい頃からずっと競争に晒されてきました。勉強もスポーツも常に誰かと比べられ、頭の良し悪し、運動能力の良し悪し、家庭の良し悪し、良い大学に行けたかどうか、良い会社に入れたかどうか、結婚して良い家庭を持てたかどうか、そんな価値観を植え付けられてきました。

同調圧力も相まって、過剰に周りの目を意識しなければならない。そして、他人に迷惑をかけてはいけないと過剰に考えてしまう為に、「助けて」と言えないのではないかと思うんです。

子供にすら、「みんなできてるのに、なぜ君はできないの?」と個人が全体に溶かされるような教育を受けてきている人が多いし、今もそのような教育なのではないかと思います。

自分よりも周りを大切にすること、社会はそのようなスタンスじゃないと生きていけないよと大人に教わってきたように思います。

やればできる!頑張ればできる!みんな頑張ってるからあなたも頑張れる!と、刷り込まれてきたように思います。
でも、やれる、頑張れる為に必要なサポートが、必要なところに足りていないないのではないかと思うんです。
頑張れる条件、頑張れる環境、頑張り方はそれぞれ異なるんです。

やり方が分からない、どう頑張れば良いか分からない人、たくさんいると思います。でも、サポートや後押しもないまま、自己責任論というプレッシャーにさらされ続けてしまう。
いま、なんとか仕事にありついているけれど、いつどうなるかなんて分からない不安を持っている人は少なくないはずです。
他人事だと思えないんです。
自分がいつそうなってもおかしくないと思うし、自分の友人が私を頼ることができずに、同じように苦しんでいる可能性だってあると思います。
自分の子どもがこの社会で生きていく以上、同じような問題に直面する可能性だってゼロじゃない。

やればできるはず、努力を怠ったお前が悪い…
そんな強迫観念に取り憑かれた人は少なくないと思います。
でも、努力しなかったからこんなに苦しんでいるのではないと思います。
自分だけの努力で頑張らないといけない、誰かを頼ってはいけない、迷惑をかけてはいけないという思い込みが、いや、そう思わされてきたからこその苦しみなのではないかと思うんです。

繋がりを取り戻すこと

NPO法人あなたのいばしょを運営する大空さんの著書にこう書かれていました。

孤独とはすなわち、本人の意思に関係なく、社会的つながりの質と量が不足している時に生じる、不快な経験なのだ。平たく言えば、頼りたいと思っていても頼れない、話したいと思っていても話せない、「望まない」ものと言える。しかし、前述したように、さまざまな孤独の定義を試みる者がいる中で、孤独について自らひとりで耐えるものだとの「誤解」が広がらないよう、あえて「望まない孤独」という言葉をつくった。

望まない孤独

つながりの量と質が足りていない状態なのだとすれば、量と質を高めれば改善される可能性があります。
もっと人を頼っていいんだとみんなが思えるような空気を醸成することができれば「助けて」と言いやすくなるかもしれません。

もう一つ、長くなるので別の機会に書こうと思うのですが、コミュニケーションの課題があると思っています。
人と人が繋がるために、社会と人が繋がるためにどのようにコミュニケーションをとればいいのか、家族間のコミュニケーション、友人とのコミュニケーション、この質が上がれば繋がりは強く、太くなるような気がしています。

最後に

今回、書籍を通じて知った3つの支援機関をご紹介させてください。
もし今、苦しんでいる方、頼る人がいなくて苦しんでいる方がいらっしゃれば下記を頼ってみてください。苦しむ知人がもしいれば、教えてあげてください。

書籍を通じて、抱撲(ほうぼく)の奥田さんの活動に深く共感するとともに、その懐の深さ、強さに感銘を受けました。

大空幸星さんご自身の壮絶な原体験をもとに立ち上げられた「あなたのいばしょ」。ぜひたくさんの人に知ってほしいと思います。

認定NPO法人D×P代表の今井紀明さんは以前からTwitterで存じ上げていましたが、改めてこの活動の重要さが理解できました。

このような社会課題は、決して人ごとではありません。社会を良くしていくことは、私たち自身の生きやすさにも繋がり、これからバトンを渡していく子供たちの未来をつくることに貢献します。

私たちにできることを少しづつ。

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