文字の向こうを考える

月並みにSNSなどを利用している。

Twitter・・・あれはなかなか難しいものだなと、開始当初も今もなお感じている。

日本では俳句や短歌のように短い文章で状況を伝える文化があるが、それを思えば140文字も書けるのは便利なものかもしれない。
しかし、俳句や短歌は単に単語をそのまま受け止めるのではなく、人の心を読んでいくところがある。

Twitterはその名のとおり「つぶやき」をする道具だが、何故だか日本ではそれが「議論の場」のようになることがある。
別に議論することが悪いわけではないが、少々勘違いが過ぎるケースも見受けられる。
1つには個々の思想などもあるのだろうが、語彙力というか基本的な国語力の弱さみたいなものも関係しているのかもしれない。

簡単に言うと、最近の特に若い世代に足りないとされている「反語」の受け止め方。
正に、文面の通りではなく何を伝えたいか?というところをくみ取るものだが、どうもそのあたりが言っていることとやっていることに開きがあるなと感じる。

「空気を読む」という表現がある。
反語というのは、その「空気を読む」ことが必要になるかと思うが、それができていないから、文字通りにしか受け止めない。
困ったことに、文字通りにしか受け止めない人間が、空気を読めというのだから話が噛み合わなくなってくる。

更には、見ず知らずの人間に対しての言葉遣いも然り。
スラングを使うことが悪いとは思わないが、状況に応じてそれは使うか否かを考えなければならないし、ましてや限られた文字数ともなるとよく考えた方が良い。
親しい間柄であったとしても、自分の思いを伝えるのは簡単ではない。でも、そうでない場合はもっと配慮や工夫が必要になる。
私は別に「堅苦しく息が詰まるように生きろ」と言っているのではなく、「状況に応じた最適解を選ぶ努力はしろ」と思っているだけ。

物質的に満たされてつい忘れがちなのかもしれないが、「人の心を大事にする」というのは、人間にしかできないのだから、それを失ったら人間の尊厳まで失うことになる。

文字が使え言葉が使えるのであれば、もっとそれらを大事にしていきたい。

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