ギフテッド=天才の苦悩①親との関係
ギフテッド=天才の苦悩は以下の通りだと思う。
1.親はギフテッド=天才にあまり興味がない
今でこそ、ギフテッド教育という言葉が当たり前のようにネットで流行りだしてるが、ひと昔前の団塊バブル世代くらいまでの親は「ギフテッドって何?」という時代だったので子供がギフテッドであってもあまり興味がない。親はとにかく子供は普通に育って欲しいし、幸せに健康的に暮らしてさえしてくれればそれでいいのであって「天才になったり成功してほしい」と思うのはイチローの父親のように「自分の子供に夢を託す系」の一握りの少数派の親だと思う。大半の親は子供に成功してほしいなんて思ってないので、苦労してどん底の地獄の中でそこから頑張って必死に努力して夢を追い続けるなんて人生を子供に送ってほしいとはあまり思わない。もちろん夢を追う事自体は否定しないが、まず親にも生活とかそういった自分らの保身があるから「大学まではいかせてやりたいが、その先はさっさと自立してほしい」と思うのが常である。ただでさえ自分たちの生活だけで大変なのにかなうかどうかも分からない夢を追い続けてまで子供に天才になってほしいなど思う親の方が少数派だろう。もちろん自分の親もそうだからそう思うのである。
2.父親が凡人または秀才だと自分の子供が天才であることを理解できない
父親が凡人または秀才だと、自分が普通なので子供がまさか天才に育つなんてことは思いもよらないので理解できない。だから、最初からその選択肢を排除する。ゴッホやニーチェも親からはほとんど勘当されていたか理解されていなかったような話を聞くし、案外そういう家庭が多いのではないかと思う。また、親が凡人の場合は単に自分の子供が天才であるということを理解できないといった場合などもあるだろう。まさににトンビが鷹を生む系の話なのだが、例えば仏教の開祖であるブッダは、俗物そのものであった父親とは似てもにつかないほどの人格者でまさに聖人だったと言える。国王である父親は貧しい生活をしている国民のことなど何も考えないで、城では贅沢三昧している家臣たちとともに豪遊生活を送っていた。まさに独裁者的でどうしようもない人間だった。しかし、ブッダはそんな親を見て呆れ果て「弱きものや貧しきものを救うための修行の旅」に出るのであった。まさに、親が凡人中の凡人の俗物だったからこそ、息子である天才ブッダをまったく理解できなかったと言える。そして、親が秀才の場合だと、子供のことを理解できる場合がある。秀才の場合は子供が天才であることを知識的には理解が及ぶのだが、嫉妬心からわざと理解しない振りをする場合がある。つまり、親は子供の方が優れていることを認めたくないケースである。これは、特に父親に多いと思う。父親はオスの本能として自分の息子のオスの本能に負けるのが許せないということなのだろう。よく父親は息子を自分の後継ぎにさせたがるが、これは多分自分の優秀な遺伝子を継ぐ息子に自分の事業を引き継いで周りに自慢したいというオス的本能から来るものでありそこには明らかな本音がある。つまり「自分の息子は自分の遺伝子を引き継がせたいが、自分を超えることは決して許さない。」ということである。これは、よくある世襲政治の形態の歴史などを見れば分かると思う。大半は二世になると親よりも子供の方が優秀でない場合が多い。これは、二世になると息子が親に甘えてだらけてしまうというのもあるが、それだけでなく上記のように親が自分より優秀な息子には仕事は継がせたくないというオスの本能からそうなるのだと思う。今の現政権の岸田も息子がドラ息子?なのか分からないが、首相官邸で贅沢三昧をして動画が問題になった。これもよくある世襲政治の失敗の典型のような気がしてならない。
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