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なぜ絵を描くのか

若い画家に出会った。これは新しいオフィスで展覧会などをやることを想定していることが生むメリットだ。展覧会でいい作家がいると「一度見にきてくださいよ」とか言えて、実際遊びに来てくれる。今回もまさにその流れだ。

芸術作品、美術作品というものは、鑑賞にあたってはどのような解釈があってもいい、と思う。むしろ、というか、だから芸術は面白い。作家がまったく意図していなかった解釈もある。でもそれをコントロールすることはできない。不特定多数の他者の思考に介入するなど、できないとかいうことではなくて、しようと思うこと自体が気持ち悪いではないか。

その若い作家は、実に過激なモチーフを扱っている。うーん、過激にもいろいろあるな。あれだ、実に卑猥なモチーフを扱っている。そうなるとやっぱり(笑)みたいな反応が多いし、私も例に漏れずだった。好意的ではあっても「なんだよこれー」(笑)みたいな。展覧会会場でも、そんな位置付けだったように思う。

改めて作家の背景とその作品と作家の関係性を聞くと、その印象は180度変わった。あの卑猥なモチーフは、作家の苦悩の発露として「それを描くしかない」ものだった。そして作家にとって絵を描くことは「生きていくための行為」であった。あれは作品としてのインパクトが必要なのではなく、自分と向き合う中で必然的に選択せざるを得なかったモチーフなのだった。作家はもう絵を描くことなしでは生きていけないんだろう、と言うと大袈裟かもしれないけど、そう思った。

姪っ子から、新元号発表のテレビ中継を描いた絵が送られてきた。一生懸命描いてるし、ちゃんと似せてるのも可笑しい。こんなん見ると楽しくなる。しかしこの姪っ子、なんでこれを描いたんだろう。この会見を描きたかったんだろう。

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