味わうということ

味わうとはどういうことだろうか。

人は味は舌で感じるものだと思っている。しかし、それはあまりにも浅はかではないだろうか。                         

想像していただきたい。
まずあなたは今日夕ご飯を誰と食べようと考える。一人でじっくり味わうのかまたは友達や家族とたわい無い会話を交わしながら食べるかもしれない。
そして、食事をするテーブルや椅子、部屋の温度など、様々な空間を感じながら食事をする。
そしてどのような食器に盛り付けられ、どのような道具を使って口に運ぶのだろうか。

意識してみると私たちは様々な環境に影響を受け料理を味わっていることに気づく。

手のひら

手のひらを同士を上手く合わせて掬う。
なぜかこの行動をすると川で水遊びをしていた懐かしい記憶が蘇ってくる。
いつから器用にできるようになったのだろう。
どう頑張っても数秒で手の隙間から水が抜けて行く。なので僕らは掬うと急いで口の中まで持っていき一気に飲み干す。
こうして飲んだ水は格段にうまい。
なぜだろう。おそらく水は普段飲んだ水と変わらない。変わったのは口に触れた手のひらの口当たりだろう。

原研哉の進化論

 人間は二足歩行を始めた時、両手が自由になった。一般には、そのとき手に持った「石」から道具の進化が始まっていると言われている。      しかし、日本を代表するデザイナー・原研哉は人間の進化論を面白い視点で解釈している。

彼は著書の中で進化論は大きく二つに別れていると論じる。石を持ったときの道具としての進化だけでなく、人間が二足歩行になったとき、自由となった両手で水を掬ったのではないだろうかと。それが、器の始まりだと語る。石から進化していく「武器系」と手のひらから進化していく「器系」に別れると論じている。

器は食を包む。衣服は身体を包み、建築は生活を包む。
器について考えることは日本の文化について考えることに等しい。世界中の食文化を見ても日本ほど器に触れる文化は少ないように感じる。西洋は食器を持って食事をするのはマナー違反である。お隣の韓国でさえ食器は待たない。日本は器が手に触れる時間が他の国に比べて長いことがわかる。
食器に触れる時間が長い文化だからこそできるデザインがあるのではないだろうか。食器をただ食事を入れるものではなく、ただ美しい色や柄、形という考えからではなく、身体感覚の延長線上にあるものとして触感からもデザインできるのではないだろうか。

そのようなことを考えながら、色々と作品を制作しているので、よかったらポートフォリオも覗いてみてください。

ありがとうございました。


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