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子どもも他人も変えられない(2)

子どもは認めて欲しい

不登校の子どもが模試の結果が悪くて、凹んでしまい、ご家族が「またか」と思うことが子どもの心に負担になるとをお伝えしています。

そのとき、子どもの心の中に、何があったのかを考えています。

テストや入試になれば、どうしても子どももご家族も「結果」を求め、その「結果」に左右されてしまいます。

そのことがダメなのではありません。

結果に左右されないなんてことは、あり得ないからです。

それはそれでいいのです。

しかし、子どもは、結果が良ければ、ダメだと思われない、認めてもらえる、自己評価も高まる、となるのですが、結果が悪ければ、認めてもらえない、努力していないと思われる、と感じているのです。

言い換えると、認めてもらえないことが怖くて、ずっと心の奥深くにしまいこんでいたと、言うことになります。

見かけは、元気になり、周りの人とも普通にコミュニケーションもできる、通信制高校にもスクーリングに行ける、中学時代の友達とも遊ぶことができる、勉強もして大学受験も目指せるところまで元気になりました。

こうして、次の段階に進もうとしたときに、心の蓋が開いて、自分の心にしまい込んでいた自分が恐れていることと、自分で向き合わなくてはならず、凹んでしまうのです。

この子どもが、なぜ、学校生活がしんどかったかは、本人ですら、言語化もできず、わかっていません。

本人も、いろいろな気持ちが出てきたようですが、一番は「認めてもらえない」という気持ちが、今回は強く出たようです。

「認めてもらえない」のは、誰に?ということですが、当然、ご家族に、ということなのは、誰が考えてもわかることです。

一番、自分のことを認めて欲しい相手は、ご家族なのです。

前回、

しかし、「またか」と思い、「そんなことで凹んでいたらダメだ」と本人に言ったり、励まそうとしたりする行動に出るご家族が本当に多いのです

と書かせていただいたのですが、案の定、この子どものお父様が、お迎えに来た帰りの車の中で、そのままのことを、この子どもにおっしゃっています。

追い打ちをかけるように、家に帰ったときに、お母様が「泣いても仕方がないでしょう」とおっしゃっているのです。

この無意識に発せられた言葉が、この子どもの心にどれだけ重くのしかかるかを考えただけで、私でも苦しくなってしまいます。

不登校することなく、元気に楽しく学校に通っている子どもでも、すごく嫌な気持ちになります。

まして、感受性も強く、優しいこの子にとって、これほど傷つくことはありません。

だからと言って、『お口チャック』と言って何も言わないようにするのも違います。

黙っていて、言うことを我慢しても、子ども達にはご家族が思っていることが、ご家族が出す空気で、十分、言いたいことが伝わってしまうということも、わかっておいていただきたいです。

子どもを無理にほめて欲しいとか、ポジティブに考えてあげて欲しいとかではありません。

テストの「結果」に左右されることも仕方がないのですが、その過程の努力、そして、悔しいと思っている子どもの気持ちに素直に寄り添ってあげて欲しいのです。

それで十分です。

叱咤激励など必要ありません。

そのことをご理解いただきたいと思うのです。

特にお母様にお願いしたいことは、お母様にしかできないことがあります。

それは、子どもにあたたかい母性的な愛情を与えることができるのは、お母様なのです。

叱咤激励も愛情だとおっしゃるかもしれませんが、子どもが叱咤激励で傷つくとしたら、それは、愛情ではありません。

子どもが辛いときほど、あたたかく笑顔で接してあげて欲しいと、心から願わずにはいられません。

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