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渋谷、微熱感。サブカルチャーと人
夜の渋谷に立つと、眩いネオンが過去と現在をまるで境界なく繋ぎ止めているように感じる。
ある社会学者が語る渋谷の「微熱感」。それは80年代後半から90年代にかけて、街全体が「何かが起こりそう」と感じさせる独特の雰囲気を纏っていた時代を指す言葉だという。
今、その微熱感は消滅したと言われている。
微熱感。まさに言い得て妙だと思う。私が上京する以前、その微熱感がメディアやサブカルチャーの力によって生き生きと存在していた時代があった。しかし時代は常に流れ、変化していく。
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当時の渋谷の姿は、もうどこにもない。
私はその時代の渋谷を知らない。その微熱感を体感したことがない。絵空事のように聞こえるのも無理はない。
しかし、その時代に「渋谷系」や「シティーポップ」と呼ばれる音楽が生まれた。それらは今、世界中で認知されるまでになっている。なんとも不思議なことだ。
私たちが日々享受している便利さや楽しさ。それらが無自覚に私たちの中に浸透し、時にその危うさに気づかずにいる。無自覚さの象徴としての渋谷は、テクノロジーや文化の進化の中で、その微熱感を失ってしまったのかもしれない。
人が作り出すもの、科学も歴史もカルチャーも、すべては人の手によって決められ、形作られる。
そして今、この瞬間も新たな何かが生まれている。しかし、その何かに微熱感のような熱を持つことは、もうないのかもしれない。
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渋谷のネオンは、変わりゆく時代の中でも変わらない人の営みを映し出し、その微熱感の残像は感じさせてくれる。ただ、あの時代のような特別な空気が再び戻ることは、ないだろう。
微熱感の消失と共に、私たちは何を失い、何を手にしたのだろうか。
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