難病患者のコミュニティに参加して
こんばんは!けいしょーです。
今回は、「コミュニティ」についてお話します。
仲の良い友達が突然難病に
大学時代の話です。
同じ学部で毎日顔を合わせていた友達が突然難病にかかりました。
(患者数が少なく特定できるような病気なので病名は伏せておきます)
難病にかかった直後、その友達は病気の辛さや今後の不安に押しつぶされていました。
そんな彼が難病にかかってから3ヶ月後、明らかに気持ちが上向いていました。
その理由について聞いてみると彼はこう答えました。
「Twitterで難病アカウントを作ったら同じような人がいっぱいいて情報交換をするだけでなく友達もできたから楽しい!」
Twitterで難病アカウント!?と思いましたが、デジタル社会に置いてそのようなコミュニティがデジタル内のどこに存在していてもおかしく無いので自然な話です。
とはいえ難病アカウント・・どんなコミュニティなのだろうか。
疑問を持ちました。
難病コミュニティに参加して
そんなある時、友達が難病患者でフットサルクラブを立ち上げると言いました。
クラブといってもゆるくやる程度で、定期的に初心者向けのフットサル大会に出場するというものでした。
といってもサッカー経験者が多くなく、経験者といってもどこまでできるかが不透明だったため、友人枠としてサッカー経験者の私が呼ばれました。
そこで初めてTwitter上で繋がった難病コミュニティに出会いました。
最初は淡々と当たり障りの無い話をしてフットサルを楽しむというものでした。
フットサルの後に交流会があり、お酒を交えながら他愛の無い話をする、というものでした。
もちろん病気に関する話はちょくちょく行われていましたが、全体の1割程度くらいでした。
難病コミュニティだからといって病気の話をするって訳じゃないのです。
なんなら難病患者どうしでなくてもできることをしている、といった印象です。
同じ立場だからこその見えない安心感
何が言いたいかと言いますと、別に彼らは病気の情報交換だけが目的では無いのです。
難病といいますと、何千人に一人の病気とか何万人に一人の病気といったように身の回りに同じ境遇の人が少ない状態とも同じです。
そもそもの生活で不安や孤独を抱えているのです。
コミュニティに良いところはその点を周囲が理解していることが前提になることです。思いを共有できる、もしくはできていると感じることでその不安や孤独を各々で和らげている、だから居心地が良く感じているのだと思います。
これは難病コミュニティに限った話ではないです。
趣味・変わった経験・ビジネス・・・コミュニティは多岐に渡ります。
そのコミュニティはいたるところに存在しますが、身近さでいえばTwitterがおすすめです。理由としてはそのコミュニティのユーザーのツイート内容からどんな人物かを推し量れます。
それで不安になれば手を出さなければ良いだけの話なので保守的にコミュニティへの理解を深めることができます。
ふとした時、見てみてはいかがでしょうか?
今回はこんな感じで終わります。
次の記事も読んでください!
それでは、引き続きよろしくお願いします。
けいしょー
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