見出し画像

第0話『憂鬱』#日本

言葉とは不思議なもので、類似した意味を重ねた熟語である「憂鬱」の方が一文字の「鬱」よりいささかマイルドな印象を抱かせる。

ともかく、出国より4.5日程前から僕は恐ろしく憂鬱だった。昔から好んでいる表現を使えば「得体の知れない不吉な塊」に始終圧さえつけられていたと言ってもいい。

旅程はおろか、宿泊先の確保やパッキングすら手につかない。当初の出国予定がインフルエンザに罹って延期となり、出鼻を挫かれたせいもあるが、どうもそれだけではこの心持ちは説明がつかない。

あれ程心待にしていた流浪の旅に出たくない。何かアクシデントがあって出国出来なくなっても良いとさえ思った。そして、そんなことが頭を過る自分にはそもそも旅に出る素養も資格も無いのだと更に心が沈むループ。

一日、また一日と出発が近づくにつれ、この憂鬱は益々色濃くなっていき、いよいよ再延期すらも考えた始めた折、ふと「旅行前・憂鬱」と検索してみる。すると、容易く、大量に同様の症状を記したものが出てきた。どうやらこの心境は俗に「トラベルブルー」という、所謂マリッジブルーと同じ、人間が持つ現状維持を望む本能に拠るものらしい。なるほど僕のように保守的な性質の人間は陥ること必至だ。

しかし、自身の抱くものが「得体の知れない不吉な塊」から「解明されている不吉な塊」に変容したからといって気持ちが晴れることは無かったが、これは一過性のものであり、また、割合と一般的なものだと思うと僅ながらにも希望を持つことは出来た。

人が勉強して知見を広げたり、歌や映画に触れる意味は、不明瞭な自身の感情、立場を言語化したり、共感して安心出来るという意義があるのだろうと痛切する。

さて、その希望を拠り所にいよいよ出発の時を迎えるわけだが、羽田空港に着いても、ありがたいことに友人が見送りに来てくれてもなお気持ちは落ちたままで、更にはパッキングもなおざりに済ませた罰として大事な十徳ナイフまで没収される始末。

それでもどうにか格安航空機の狭い席に座して待つまで何とかたどり着いたのだ。

そして、いよいよ迎えた出発の24時。機長からアナウンスで「take off 」と発せられる。その瞬間、まさしくその瞬間に僕の心を圧さえつけていた不吉な塊は嘘のように霧散したのだ。維持すべき現状も消え、しがらみからも解放されたのだろうか。僕の世界に色彩が戻る。わくわくが湧き出てくる。

1年か、2年か、或いは半年か。見通しのきかない旅であるが、軽くなった心持ちと、単純で凡庸な自身の性質を改めて自認することになった一抹のやるせなさは、出発の心としては悪くないだろう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?