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「原稿」 と 「ゲラ」 【新入編集部員の日記 #13】

こんにちは! 日本評論社・経済セミナー編集部のSです。

今回は「原稿」「ゲラ(校正刷り)」の違いについて、業務を通じて得た経験を元に考えてみたいと思います。

「『ゲラ』って言葉をたまに聞くけど、あんまりよくわかっていない」「原稿と何が違うの?」という方は多いと思います。

書籍・雑誌編集という仕事をするようになって以来、私は両者を明確に区別するようになりました。仕事をしていて、ゲラを「原稿」と呼ぶことは絶対にありません。両者は似て非なるものです。

今回は、業務時に感じている「原稿」と「ゲラ」への向き合い方の違いを、うまく言葉にして描き出せればいいなと考えています。

なお、こちらの記事はあくまで私が業務にあたる中で得た学び・気づきなどをアウトプットしているに過ぎませんので、すでに知っている方にとっては退屈かもしれません。あくまで日々の業務記録を覗くような気持ちでご覧ください。

これまでの日記はこちらのマガジンからご覧いただけます↓


◼︎ 原稿/ゲラとは──形式上の違い

以下では、本(書籍)を作ることを想定して記述します。

原稿とは、本の内容の元となる文字情報(テキスト)や図表などのことです。原稿の文書としての形式は極論なんでも構いません。現代ではWordファイルが多いですし、テキストファイルでも、TeXで書いたものでも、手書きの原稿用紙でも構いません。[注]また、本としてのページも与えられていません。原稿の正体はつまるところ、(Wordファイルやテキストファイルという仮の姿はあるものの)無形の情報だと考えています。

一方、ゲラとは本のレイアウト通りに原稿の文字や図表を組んだものです。「本のレイアウト通り」とは、皆さんが実際に手に取る本と全く同じようなデザインになって出力されているということです。図表の位置やフォントの種類などもゲラを作る段階で決められます。

[注]TeXは一般に「組版ソフト」と呼ばれることもあるので少しややこしいですが、Overleafなどで書きTeXのレイアウトで組まれても、結局書籍のレイアウトで組みなおすのでTeX環境で書いたものも原稿には変わりありません。


◼︎ 向き合い方の違い

ここでは、私が原稿・ゲラに向き合う際の心理をできる限り素直に言語化していきたいと思います。原稿とゲラで、心構えや読み方がどのように異なるのかを振り返ることで、両者の違いを考察してみます。

ここでは自分が業務を通じて感じた違いをできる限りそのまま伝えるため、多少砕けた表現になっている点ご了承ください。

◼︎ゲラ=「fixされたもの」

私個人は、ゲラは「fix(固定)されたもの」というイメージを持っています。つまり、内容や構成についてこれ以上大きな変更はない段階にまで原稿を仕上げたうえで、実際の本の紙面通りに文字を配置していくのがゲラを出す工程です。

言い換えれば、原稿をゲラにしてしまったあとは、もはや内容や構成を自由に修正できるフェーズにはありません。ある程度仕上がった文章に対して細かな誤字脱字、体裁、図表、色合いの修正などを行い、最終的な売り物のとしての本に仕上げていくのがゲラ校正のフェーズであると捉えています。

実際の業務では、ゲラに赤字を入れて、赤字を反映したものを印刷会社さんに出し直してもらう工程を何回か繰り返します。1回目を初校、2回目を再校、3回目以降を三校四校...とし、校正が全て終了すると校了となります。校了=「この内容で確定して本にする」ですので、校了に近づくにつれて変更の余地はなくなっていきます。

◼︎原稿は最大限「整理」する

裏を返せば、文章の内容を吟味したり構成を大幅に組み換えたりするのは、ゲラにfixする前の「原稿」の段階でしておくべきだということです。編集業務では、原稿を修正し練り上げていく作業を「原稿整理(原稿を整理する)」と呼びます。原稿整理を怠り、内容の検討が不十分・誤字脱字がひどいままゲラにすべきではありません。

最初は「原稿もらってすぐ入稿して、ゲラに赤字入れて直せばいいじゃん」と思っていました。しかしこのような態度でいると、校正段階で次のような不都合が起こります。

  • やっぱりこの内容は第◯章に移したい→ページ・章タイトルの変更が生じる

  • ここの記述は不十分だと気づいたので、1000字ほど加筆が必要になった→ページが変動する

  • ここはやっぱりいらないので節ごと削除したい→ページが変動する

  • 原稿が粗いままなので校正における字句修正(赤字)が多い→誤植等が残る確率が高まる、印刷会社さんの負担が増えゲラ組みにミスも起こりやすくなる

1〜3つ目の点は、最終的な本としてコンテンツを確定させていく段階なのに、大幅な変更を生じさせることが問題です。大幅な加筆・削除による修正、構成の変更はしばしばページ数の変動を伴います。本を作る上では、目次や索引も作らなくてはなりません。校正であまりに変更が多い(赤字が多い)と、ページが動き、目次や索引も修正せねばならなくなる、といった不都合が生じます。また、ページが動くかどうかは印刷会社さんで組んでみないとわかりません。再校で終わるはずだったのが、急遽三校も出して確認...といった変更もありえます。

第4の点は非常にわかりやすい問題だと思います。誤植は極力出さないように細心の注意を払いますが、修正箇所が多ければ見逃すリスクも高まります。誤植が多いと、本としてのクオリティが低いという評価にもつながりかねません。

また、1〜3つ目の点が実はここにも少し関連します。たとえば、校正での加筆部分に誤字脱字が含まれていると新たに修正箇所を生み出してしまいます。大幅な加筆修正が繰り返されれば、際限なくミスが生みだされかねません。

原稿の段階で納得いくまで内容を詰めたり誤字脱字や表記の不統一などを修正したりしておくことで、校正段階の手戻りやミスを減らすことにつながります。ゲラにするということは、原稿を本にする「ゴーサイン」を出すことだと私は捉えています。

◼︎ ゲラは「絵」でもある

ゲラの校正は、誤字脱字を直すことだけではありません。

  • 図表の線の濃さはOKか(薄すぎて見えない等はないか)?

  • 文字はこちらが指定した字体・大きさになっているか?

  • 長い見出しは適切に改行して認知しやすくなっているか?

  • 数式は数式専用の字体になっているか?


こうした事項も校正時のチェックポイントになります。なので、ゲラを読まずに眺める必要があります。

また、良くも悪くも脳は文章を勝手に補完してくれるので、無造作に読んでしまうと正しいと勘違いして誤字をスルーしてしまうことがあります。なので、漢字を脳が補完しないように読まずに眺めることも必要です。

このような意味合いで、ゲラはもはや絵や画像のように扱うものでもあるのです。


◼︎ とはいえ、完璧な原稿はない

原稿を納得いくまで整理することが大切だと述べましたが、校正で赤字が入らない原稿はまずありません。

原稿の質を高める作業にはキリがありません。ですが、出版スケジュールの制約があるので、ずっと原稿を整理しているわけにもいきません。

なので、実際は本ごとの時間的な制約に合わせて、適切に原稿整理を終えることが必要です。最終的な本の仕上がりを担保するため、工程・スケジュールを管理し、原稿整理や校正がうまく回るよういかにマネジメントするかが編集者の腕の見せどころなのかも、と思っています。


◼︎ まとめ

冗長になってしまった感がありますが、私が原稿やゲラをどのように捉えているかが伝わったでしょうか?

繰り返しますが、原稿が印刷会社さんからゲラとなって紙の束で出てきたら、もうそれは「原稿」と呼びません。

原稿とゲラの違いを考察していく中で、編集者という仕事がどんな仕事なのかについても一部ではありますがご理解いただけたのではないかと思っています。


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