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経済学について知ろう!(第1回・経済学アウトリーチ企画2020)

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本記事は、『経済セミナー』2021年4・5月号に掲載された「経済学について知ろう! 日本経済学会サテライトイベント2020年秋」のウェブ公開・拡大版です。経済学にすでに関心のある方はもちろん、全然親しみのない方にも、「経済学ってこんなことをする学問なのか~」と感じていただける内容です。この当校では、本誌では盛り込んでいないパネリストの皆さんのやりとりなども含まれています。未読の方はもちろん、本誌をすでにご覧いただいた皆さまにもぜひご覧いただければ幸いです。

第1回イベントのホームページはこちら:

2021年10月8日(金)には第2回・日本経済学会サテライトイベント「経済学の学び方・活かし方」も開催されました。詳細はこちら:

1 まずは自己紹介

安田洋祐(やすだ・ようすけ) それでは、日本経済学会サテライトイベント「経済学について知ろう!」を始めます。司会を務める大阪大学の安田洋祐です。このイベントを開催するにあたり、事前に1000人以上もの登録と、数百もの質問をいただきました。本日はそれにお答えしつつ、経済学に親しんでいただけるようなディスカッションをしていきたいと思います。というわけで、最初に本日の趣旨と概要について、東京大学の渡辺安虎さんからお話いただきます。

渡辺安虎(わたなべ・やすとら) 本日は中学生から社会人まで、多くの方々にお越しいただきありがとうございます。イベントの趣旨は、名前の通り「経済学について知っていただくこと」です。経済学は、そもそも何をする学問なのか。どこがおもしろくて、どう役立つのか。興味を持ったらどう勉強すればいいのか。本日はさまざまな分野の専門家がパネリストとなり、経済学のいろいろ姿を多様な観点から紹介していきます。そして、本日の話をきっかけに経済学に関心を持たれたら、ぜひ進学先の選択肢の1つとして経済学の学部や大学院を考えてもらえたら嬉しいです。

それでは、最初にパネリストの皆さんから、お名前順に自己紹介をいただきましょう。

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井深陽子(いぶか・ようこ) 井深と申します。慶應義塾大学で医療経済学という分野を研究しています。医療経済学は、「医療」という言葉よりもやや広く、「健康」に関わる意思決定を経済学の観点から考える分野です。それにより人の生活や社会経済の向上に寄与することを目指しています。健康がテーマなので、経済学以外の専門家と共同研究を行うこともあります。私の場合は、医療現場の方や、生物学者、社会学者、心理学者などと共同研究したことがあります。

最近は介護の研究を行っています。具体的には、家族介護の提供や公的介護サービスの受容が、個人の社会経済状況とどのような関係にあるのかという介護における格差を研究テーマとしています。日本の制度では、現物給付という形で介護を受ける本人に対してサービスが提供される形になっていますが、世界の国々には別のいろいろな制度があります。たとえばドイツなど、家族介護の提供者に現金給付を行う制度を持つ国もあります。そこで、ドイツを含む4カ国の研究者と共同プロジェクトを行って、介護保険制度の設計と介護サービスの利用や健康などのアウトカムにおける格差にどんな関係があるかを明らかにしようとしています。本日はよろしくお願いします。

臼井恵美子(うすい・えみこ) 一橋大学経済の臼井です。専門は労働経済学です。特に女性の働き方の実証分析を行っています。最近の研究の1つに、母乳育児と親の働き方があります。母乳育児は、子どもや母親には健康面からさまざまなメリットがあると言われています。私たちの研究によると、母親が出産後に仕事に戻ると、母乳育児の期間が短くなることが明らかになりました。その一方で、子どもが生まれて父親がフレックスタイム制などの柔軟な働き方を選択した場合には、母乳育児の期間が長くなることも確認しました。つまり、父親の育児協力が母乳育児を促進する可能性があるとの結論になりました。このように、人々の働き方や、少子化に対して有効な政策は何かについて研究しています。どうぞよろしくお願いします。

奥平寛子(おくだいら・ひろこ) 同志社大学の奥平です。私も臼井さんと同じく労働経済学が専門です。最近、労働経済学ではデータ分析をする人がすごく多いのですが、私もその一人で、政府統計などを使って研究しています。たとえば、最低賃金が上がると何が起こるかを、事業所レベルのデータを使って分析したり、就職活動のタイミングが後ろ倒しになると学生はよく勉強するようになるのかどうか、といった問題意識で文部科学省に情報公開請求をしてデータを得て、それを別のデータと組み合わせたりして研究しています。また、医学部の先生方と一緒に経済実験をして、女性が競争に参加するようになるにはどうすればいいかといったテーマでも研究しています。

普段はビジネススクールで海外の留学生を対象に教えていて、日本の大学ではあるのですが同僚も外国人の先生で日本語を話せない方が多く、半分は海外の大学に就職して、もう半分は日本の大学にいるような、少し不思議な状況で仕事をしています。今日はよろしくお願いします。

小枝淳子(こえだ・じゅんこ) 財務省財務総合政策研究所の小枝です。もとは大学教員で、専門はマクロ経済学、金融、国際金融です。最近、経済学者ではないある方に「金利に興味があります」と話したところ、「金利なんか世の中にない方がいいんですよ」と言われてしまいました(笑)。おそらく、その方は「貸したお金を高く取り立てる=金利」というイメージをお持ちだったのかと思います。このようにお考えの方は、日本に少なくないかもしれません。でも私は、低金利がずっと続いているいまの状況がマクロ経済的に望ましいことなのか、疑問に思っています。世界的にも低金利で、新型コロナの影響もあり、国債増発を伴う財政出動を容認する雰囲気がありますが、特に日本ではまるで打ち出の小槌のように国債を発行し続けていて大丈夫なのか、とも思います。こうした問題意識から、国債市場を分析したり、低金利・低インフレがもたらすマクロ経済的なインプリケーションについて考えたりしています。今日はよろしくお願いします。

安田 金利と言えば、イスラム教では、もちろん金利的な手数料はありますが、今でも明示的には金利をとらないといったことがありますよね。といった豆知識を挟んだところで、小島さんお願いします。

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小島武仁(こじま・ふひと) 東京大学の小島です。マーケットデザインという分野を専門にしていますが、皆さん聞きなれない言葉かもしれませんね。特に、大学入試で大学と学生をいかに引き合わせるか、就活で企業と学生をいかに引き合わせるか、その他にも結婚や保育所探しなど、「マッチング」と呼ばれる問題に興味を持っています。昔からマッチング理論と呼ばれる分野があり、以前は数学者などが研究してきたのですが、最近になって社会の仕組みに実装するところまで持っていこうというムーブメントが起きていて、それをわれわれ経済学者は「マーケットデザイン」と呼んでいます。

私は大学卒業までは日本にいて、その後アメリカの大学院に進学してそのままスタンフォード大学で10年くらい教え、2020年に日本に帰ってきました。今日はアカデミックなことに興味のある方と、経済学を実務に使うことに興味のある方の両方が聞いてくださっていると思うのですが、僕も研究以外の仕事などにも取り組んできたので、関心のある方はぜひご質問いただければと思います(関連インタビュー)。

菅谷拓生(すがや・たくお) スタンフォード大学の菅谷と申します。専門はゲーム理論ですが、その中でも特に「繰り返しゲーム」という分野で、今日1回だけの関係ではなく、明日も明後日も同じ人と長期的な関係を視野に入れて行動する際に、1回だけの関係と比べて人の行動がどう変化するか、という問題を理論的に研究しています。また、その理論を応用して、どんな市場環境のもとで企業の談合が発生しやすいかといったことを、過去に摘発されたが談合の資料などを使って実証的に調べたりもしています。

また、最近アメリカでは大統領選挙が話題です。選挙では、候補者が選挙資金を大量に集めて広告などを打ち、自分の得票率を上げようとします。その際、どういうタイミングでどれだけの資金を投下すると、投票率にどんな影響があるかについて調べています。たとえば、理論的にどういうタイミングでどういう広告を打つのが望ましいのかを調べた後で、実際の候補者の資金の使い方と、理論が予測する資金の使い方がどれぐらいマッチしているか、といったことも研究しています。これは「政治経済学」と呼ばれる分野です。

ビジネススクールに所属してMBAの学生さんに教えてはいるのですが、研究対象は普通に経済学部に所属されている先生方と変わりません。

田中万理(たなか・まり) 一橋大学の田中です。私は、労働経済学開発経済学などの分野でデータを使って何かを検証するというような実証研究を行っています。最近は、香港科技大学の川口康平さん、日本大学の児玉直美さんと共同で、政府が新型コロナウイルス感染症対策として行った政策が、中小企業にどんな影響を与えたかという研究に取り組んでいます(研究概要紹介記事)。

経済学者に何ができるかというと、1つは過去のデータから正確に教訓を引き出すということころにあると思います。感染症対策は経済にどのように影響を与えたのか、家計や企業の救済にはどんな対策が有効だったのか、などが重要になると思います。こういう問いに対して、データを取って正確に検証していかないと、今後の新型コロナ対策を無教訓のまま進められていってしまうという恐れがあります。それに対して、私たちは小規模企業に対して独自の調査を行って、今後の政策の教訓を得るために研究を行っています。

手島健介(てしま・けんすけ) 一橋大学の手島と申します。専門は国際貿易開発経済学で、グローバリゼーションが発展途上国にどんな影響を与えるか、といったテーマで研究しています。具体的には、グローバリゼーションが、企業の生産性や技術にどういう影響を与えるか、またはグローバリゼーションが治安、環境、食生活など都市におけるアメニティや暮らし向きに対してどんな影響を与えるかについて分析しています。

一橋大学で働き始めたのは2019年からで、その前の約9年間はメキシコの大学で働いていました。その関係もあってメキシコの文脈で行った研究が多いのですが、最近は日本などその他の国を対象とした研究にも取り組んでいます。

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室岡健志(むろおか・たけし) 大阪大学の室岡です。専門は行動経済学と、主に応用寄りのミクロ経済理論で、特に行動経済学の要素を組み入れた市場分析や消費者保護政策の理論になります。身近な研究例としては、2019年9月まで携帯電話契約において主流だった「2年縛り」に関するものがあります。2年縛りとは、違約金を避けるためにはちょうど2年後にキャンセルする必要があるという仕組みです。また、この契約は自動更新されるため契約から2年後を過ぎてしまうと、次の2年の間にキャンセルしても同じ額の違約金がかかってしまうのが特徴です。

この2年縛りを正しく理解できる消費者だけならよいのですが、期限に不注意な消費者や、キャンセルが面倒で先延ばししてしまう消費者がいる場合にはどんな政策が望ましいか、たとえば2年経った時点でお知らせメールを送るように規制するかといったことについて、行動経済学の要素を組み入れた理論面から研究しています。

森口千晶(もりぐち・ちあき) 一橋大学の森口です。私は京都大学を出て、大阪大学で修士号をとってから、スタンフォード大学でPh.D.をとりました。その時点でほぼ30歳。最初にハーバード・ビジネススクールに就職しましたが、自分にはまったくMBA教育に対する適性がないことに気がついて、ノースウェスタン大学に転職し、それからまた転職して一橋大学に来ました。転職するたびに給料が下がっているのですが(笑)、私は生涯所得を最大化しているわけではなくて、生涯の幸せを最大化しているので、その点においてはいい感じです。

研究分野は経済史で、歴史の中で起きたことを経済分析で理解しようという分野です。周りの経済学者から、「そんなことして何の役に立つのか?」と言われてつらい思いをする分野なのですが、それに対して私が言いたいのは「すぐに役に立つことはすぐに役に立たなくなる」です。

いまは応用ミクロ経済学みたいに、政策設計の役に立っている分野があって、皆さんも関心を持っていると思います。でも、もしかしたらすぐに役に立たなくなるかもしれません。だから、私はこの言葉を言い訳に、なるべく役に立たないことを一生懸命研究しています。具体的には、日本とアメリカの人事制度や所得格差、家族制度の違いに注目して、その歴史的起源を解明する研究をしています。

最近は、歴史データを使って、現代のデータではできない因果関係の識別をするという研究が流行っていて、ここ20年くらいで教育や労働、医療経済学の研究者がたくさん経済史の分野に参入しています。今日のメンバーの中にも開発経済学から歴史に参入してくれている人がいて、もしかしたら歴史が役に立つこともあるのかも、と思っています。今日はよろしくお願いします。

安田 巷でも最近は歴史書ブームみたいなものを感じますが、研究の世界でも経済史のデータを使うブームが起きているということで、「役に立つことも、役に立たないことも学べる経済学部」と、今日聞いてくださっている皆さんは思ってほしいです。では最後に、改めて渡辺さんお願いします。

渡辺 渡辺安虎と申します。東京大学の経済学部と公共政策大学院で教えています。博士号をとった後、ノースウェスタン大学で9年ほど教えて、森口さんとは子どもの保育園が一緒でしたね。次に香港の大学で3年ほど教えて、その後アマゾンジャパンに2年ほどいて、2019年の夏に東大にきました。専門は「実証ミクロ経済学」と呼ばれる分野です。すぐに役に立たなくなるかどうかはわからないですが(笑)、今はとても役に立っていると思います。もちろん役に立つからよいというわけではないですが、役にも立つし研究上もいろんなことがわかっておもしろい分野です。

実証ミクロ経済学のアプローチで、幅広くいろんなテーマの研究をしています。たとえば企業の行動を分析です。価格付けや、新しい市場に参入するか否か、合併するか否か、またどういうふうに合併するのがいいか、あるいはどんな商品を研究開発すべきか。こうした企業の行動を分析する産業組織論という分野で研究しています。また、先ほど菅谷さんも挙げていた政治経済学の分野でも研究しています。政治経済学は人間が集まって皆に影響が及ぶようなことを決める際に、どのような仕組みで行えばよい意思決定ができるかを考える分野です。政治家や投票者についての話もあれば、会議の運営などといった話も研究対象になります。たとえば、会議で意思決定する際に、誰から話せばより多くの人から情報が引き出せてよりよい会議にできるのか、というのも政治経済学が扱う問題の1つです。

もう一つ、「法と経済学」という分野でも研究しています。これは、法律がどのように個人や企業の行動にどんな影響を与えるかを考える分野です。そのなかでも、私は医療過誤訴訟について研究してきました。医療過誤訴訟の制度を変えると医者の行動がどう変わるか、どんなケースが裁判にのぼってくるようになって医療過誤の訴訟手続がどう変わるか、といった内容です。また最近は、AIが働き方などに及ぼす影響について考えていて、たとえばタクシーの運転手さんが需要予測AIを使うとどのように売上が変わるのかについて研究しています。

研究とは別にもう1つ仕事をしています。2019年8月に、東大が新しく「東京大学エコノミックコンサルティング」という会社を設立して、そこで取締役をしています。まあ、すぐに役に立たなくなるかもしれないですが(笑)、とりあえずは経済学が役に立っているということで、実際に企業や政府、自治体に対して、価格付けや政策評価などの面で経済学の便利なところを使ってもらおうという意気込みで、コンサルティング会社でも仕事をしています。今日はよろしくお願いします。

2 経済学を学ぶには?

安田 皆さんありがとうございました。本日このように、多彩な個性をお持ちの研究者が集まっているのですが、このパネリスト全員で事前にいただいたさまざまなご質問にお答えしていきたいと思います。もちろん質疑応答を聞いて、関連するような新しい質問を思いつく方もいらっしゃると思うので、その際は随時お寄せください。

最初に取り上げたいテーマは、「経済学をどう学ぶか?」です。また、大学院進学についても質問をいただいています。たとえば、「勉強するよりも研究したいという気持ちが大学院進学には重要ではないか?」「お金にそれほど執着もなく、社会をよくしたいとも思わないような人間は研究職に就けませんか?」などなど。まあ森口さんのお話を聞いていると、お金に執着がなくてもうまくいきそうな気がしますが(笑)、この点について、井深さんからお伺いしていいですか。

井深 皆さんいろいろな考えをお持ちだと思うのですが、私はやはり、自分が学びたいと思うことを学ぶというのは素敵なことだなと思います。私自身も、経済学を勉強しようと思ったきっかけは、最初に学部の授業で習ったときに、その考え方がすごく自分にしっくりきたから、というものでした。

同時に進学や、その後のキャリアパスを考える場合にも、経済学を学ぶととても魅力的なキャリアプランがいろいろ描けるようになります。今日もこれからそうしたお話がたくさん出ると思うのですが、そうした展望をいくつか自分の中で持っておくと、前向きな気持ちで学んでいけるかなと思います。そのためには、自分で幅広くアンテナを張って情報収集しておくことが重要ですね。

安田 ありがとうございます。次に、大学や国際機関、そして今は財務省にいらっしゃる小枝さんも、多様なキャリアを歩みながらどんなモチベーションで経済学を勉強・研究してきたのか気になります。いかがでしょう。

小枝 私の場合は、「大学院に行く=研究者になる」ではないと思っています。大学院を出てから公務員として、あるいはシンクタンクや金融機関などに就職して活躍している人たちも大勢います。ただ、大学院レベルの経済学を学習しているうちに研究者になりたいという気持ちが次第に湧いてくるかもしれません。私はどちらかというとそういう感じでした。なので、進学前は研究者になろうと思っていなくても、実際にはやってみないと解らないという面もあります。

安田 ありがとうございます。では次に、海外から参加している菅谷さんにもお聞きしましょう。

菅谷 お二人に少し補足すると、研究者みんなが常に社会をよくしようと燃えていて、常に研究のアイデアに溢れているわけではありません。同僚とコーヒーでも飲みながら雑談しているようなときに研究のアイデアが浮かんでくる、などというのが普通だと思います。自分一人で考えていると研究者になれるかどうか不安に思うのは当然なのですが、実際の研究者の日常を見てみると、研究者コミュニティ全体として経済学の進歩を担っていくみたいな感じで、皆で協力してやっていくという面もあります。また、特に経済学の場合は、大学院に進んだ段階でキャリアパスが狭まるということはないので、あまり一人で心配しなくてもいいと思います。

安田 お三方からすばらしい意見を頂戴しつつも、今日ここに集まっているパネリストは、基本的に研究で成功している人たちだと思うので、皆さんは「セレクション・バイアス」に気を付けつつ参考にしていただけたらなと思います。

3 実際にはどう勉強すればいいの?

安田 さて次は、「具体的に、経済学はどのように学べばよいか?」という質問に答えていきましょう。具体的に、高校生から経済学部に入学する場合に何が必要か、実際にはどんな勉強をすることになるのか、大学院で経済学を学ぶ場合に何が大事になるのか。また、以前は大学の先生方や大学院生の話を直接聞いて学べる機会があったけれども、最近はコロナで状況が変わってしまったということも質問で触れられています。この点もふまえて、オススメの教材なども紹介いただきつつアドバイスをお願いしたいと思います。まずは臼井さんから、いかがでしょうか。

臼井 私がオススメしたいのは、経済学者が一般向け、あるいは学部生や大学院生向けに書いている記事や論文がインターネットで無料でダウンロードできるので、それを読んでみることです。たとえば、アメリカ経済学会が発行する「Journal of Economic Perspectives」 という雑誌や、イギリスのシンクタンクIFS(Institute for Fiscal Studies)が運営する「Microeconomic Insights」 というウェブサイトなどです。この辺りから自分が興味深いと思う記事を選んで読んでみるとよいのではと思います。これらの記事の最後には参考文献がまとめられているので、その分野についてさらに勉強したいと思ったら、そこで紹介されている文献を読んでさらに知識を深めていくことにより、どういう勉強がしたいかを探っていくのがよいと思います。

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最近は、コロナのため先生方へのアクセスが難しいかもしれませんが、ゼミの先生などに自分の関心を伝えて、オススメの論文や本を紹介してもらえるように尋ねてみるのもいいと思います。

もう1つ、経済学の基本科目であるミクロ経済学、マクロ経済学、計量経済学の勉強をきちんとすることも非常に重要だと思います。もちろん、この3つすべてで好成績を収めるのはよいことですが、必ずしもそうでなくても、大切なのはこのどれかの中で、自分が好きだと思えるものをみつけて、もっと深く勉強したいと思えることです。そう思えたら、その気持ちを大切にして勉強していくのがよいと思います。

安田 いま紹介された英語の記事は無料で公開されていて、誰でもいつでも読むことができます。最近は「DeepL翻訳」や「Google翻訳」など機械翻訳の精度もかなり高いので、英語が苦手でもそういうツールを通せばざっと内容を把握することもできますよね。次は小島さん、お願いします。

小島 臼井さんの話に少しだけ補足したいのですが、特に高校生や大学生くらいの若い人には、基礎的な英語や数学をしっかりやって損はないと思います。研究者を目指すか否かは別にしても、大学院レベルの経済学を学ぶにはどうしても基礎的な英語や数学の力が必要になるので、そこをおろそかにしないのが大事です。ただ、あまり完璧主義になりすぎるのもよくないので、あくまでバランスが大切です。

もう1つ、臼井さんが紹介されたものも含めてよい教材がたくさんあるので、それらに対してアンテナを張っておくことも大事です。さらに、なるべく早い段階で研究するということを意識しながら何か読むとか、何でもいいから自由に書いてみるとか、そういうことにチャレンジするのもよいと思います。僕の場合、いま考えると恥ずかしくなるような理論を書いて遊んだりしていたのですが、それをやってみると、研究が好きか、自分に合っているかどうか、だんだんとわかってくると思うので、キャリアを考える際にも役に立つかなと思います。

安田 確かに、論文のアイデアに限らず何らかのアウトプット作業をやってみると、研究をイメージしやすくなるなという実感はありますね。勉強する中で、インプットだけではなくアウトプットを少しずつ混ぜるのは、経済学に限らず研究者を目指すには重要だと思います。次に、手島さんはいかがですか。

手島 ハーバード大学のラジ・チェティという研究者たちが運営する「Opportunity Insights」 というウェブサイトがあるのですが、そこで彼の大学での講義が視聴できたり、練習問題に取り組んだりすることができます。これは非常によくできた教材で、独学にも向いているのではないかと思います。

また、「非経済学部ですが、独学で経済学大学院進学を考えています。オススメの教材はあるでしょうか?」という質問を事前にいただいたので、自分の研究室にいる法学部出身の大学院生に聞いてみました。ミクロ経済学は、神取道宏先生の教科書『ミクロ経済の力』と問題集『ミクロ経済学の技』が役に立ったと言っていました。特に『技』は、解答がしっかりしているのでオススメとのことです 。計量経済学は、ストック = ワトソンの教科書原著第2版の邦訳書) が、演習問題もついていて独学に向いているのではないかと言っていました。

あとは先ほどの話題で研究を意識するということに関連して、応用系の研究を目指す場合には、たとえば農業なら農学分野、労働なら経済学に限らず労働分野で現実に起きている問題などが書かれた本をたくさん読んでおくと、大学院に進んで手法を習ったときに、それを使って分析するネタを探しやすくなると思うので、経済学を勉強しつつ自分が興味のある分野についても学んでおくのがいいと思います。

安田 ありがとうございます。室岡さんはいかがですか。

室岡 ここまで、どちらかというと学部中上級や大学院進学を意識したお話でしたが、今日集まってくださった方々の中には高校生や大学1年生で、とにかく経済学のイロハから知りたいという方もおられると思います。

そういう方々には、司会の安田さんがゼロから経済学について学ぶ方法について話したインタビュー記事 があるので、それをオススメしたいです。そこで紹介されている中でも、たとえばスティグリッツの『入門経済学』 や、中室牧子さんと津川友介さんが書いた『「原因と結果」の経済学』 などは、意欲のある高校生や学部1年生でも十分に読めると思います。

安田 『「原因と結果」の経済学』は森口さんもいい本だよって言っていますね。僕自身はあまりにインタビューとかを受けすぎていて、どれのことか一瞬わからなかったのですが(笑)、多分よい本を紹介しているはずなので、皆さん見てみてください。

4 研究テーマはどうやってみつける?

安田 次は、「研究テーマのみつけ方、コツ」についてです。より大学や大学院での研究の話に近くなっていくのですが、このテーマについてもたくさんのご質問をいただいています。まずは奥平さん、いかがでしょうか。

奥平 私の場合は、もしかしたら今日聴いてくださっている皆さんにはやや敷居が高いかもしれないのですが、論文を読んで、それに関連するテーマやさらに広がりのあるテーマで研究ができないかと思って始めることが多いです。

先ほど皆さんが紹介してくださったものに加えて、RIETI(経済産業研究所)という日本の経産省の附属の研究機関が公表している「ノンテクニカルサマリー」 は、日本語で読みやすく書かれているので、まずはそこで興味のあるものを探してみるといいかなと思います。個人的には、タイトルや概要を読むだけでも惹かれる論文は、自分の研究につながることが多いので、そういったところから探し始めて、徐々に掘り下げていくのもよい方法だと思います。

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安田 経産省の研究所であるRIETIの他にも、日本銀行の金融研究所や、小枝さんのいる財務省の財務総合政策研究所なども定期的に日本語でレポートを出しているので、そういったところでチェックしてみるのもいいかもしれないですね 。では次に田中さん、お願いします。

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田中 研究テーマのみつけ方については、私もいくつかあるのですが、特に経済学者が一般向けに書いた本を読んで問題の手がかりを得たりしています。その後で論文などを調べて、どうやらまだその問題は研究されていなそうだということになれば、それが研究テーマにつながったりします。新聞などもいいのですが、経済分析に落とし込みやすいテーマをみつけるには、海外でも日本人でも、経済学者が一般向けに書いた本が特にオススメです。

安田 マクロ経済学をどう勉強すればいいか、小枝さん宛に質問が来ていますがいかがですか。

小枝 マクロ経済学の場合は、学部と大学院でやっていることがかなり違うというのが正直なところです。学部ではIS-LMなどを学びますが、大学院ではミクロ的基礎の話になり、ダイナミクスが重要で、期待なども入ってきて……、という感じです。学部レベルのマクロはいらないというご意見をお持ちの方もいらっしゃるくらいです。しかし個人的には、国際通貨基金(IMF)で働いていたときに学部レベルのマクロで学んだことが直観を磨くのにとても役立ったので、私はたとえばマンキューなどの学部レベルのテキスト を読むことをオススメしたいです(原著邦訳。日本語の学部レベルの教科書はたくさんあり、日本の事例も紹介している:たとえば福田慎一・照山博司(2016)『マクロ経済学・入門〔第5版〕』有斐閣)。

安田 そうですね。いま小枝さんが紹介してくれたマンキューの本は、おそらく世界で最も売れているマクロ経済学のテキストの1つだと思います。他にも、長くマサチューセッツ工科大学(MIT)にいてIMFでも仕事をしているブランシャールという一流のマクロ経済学者が書いた学部向けのテキストもありますね 。

小枝 ブランシャールのテキストも学部レベルで読みやすくて、インプリケーションなどがすごくよく書けていてよいと思います(原著邦訳)。

安田 ありがとうございます。学部レベルでは室岡さんや小枝さんのオススメも参考にしていただきたいなと思います。では、森口さんにもこのテーマでぜひ伺いたいんですが、よろしいでしょうか。

森口 私の場合は皆さんと少し違って、むしろ論文を読むと「もうこんなすごいことがやられている、私にはできない」と思って、書けなくなります。論文を読み過ぎると自分が読者というか消費する側になってしまって、クリエイティブな方向に思考が行かなくなることが多いです。

皆さんに伝えたいのは、経済学の研究対象はすごく多様だということです。たとえば私は今、家族に興味があって養子縁組のことを研究しているのですが、「こんなの経済学?」というようなことも、たいていは経済学です。私にとっては、常に疑問を感じながら物事を見ることと、関連する経済学以外の分野の本を読んでみることが大事です。社会学の中の比較家族学とか、法学の中の家族法では、同じ家族を対象にしていても、制度に対する見方やデータの解釈の仕方が経済学者とは全然違うことがよくあります。そこに違和感を持って、違う角度から考えてみると、新しい発想が生まれることがよくあります。

有名な経済学者の中にも、社会学のケーススタディや文化人類学のフィールドワークの本を読んでいる人がいて、そこから研究のアイデアをひらめいたという話も聞くので、経済学とは違う分野の研究は、アイデアの源の1つだと思います。あ、でも滅多によいアイデアなんて来ないですよね(笑)。ごく稀にひらめくという感じです。

安田 パネリストの皆さんの間でも、研究テーマの探し方は大きく異なっていておもしろいですね。ここで、「思いついたアイデアが、まだ研究されていないかどうかはどう判断するのでしょうか?」という質問をいただきました。僕が答えちゃうと、ある分野で、ある程度の専門家になっていくと、だいたいの動きがつかめるようになってきます。また、同じ分野で自分よりも詳しい人、僕の場合なら小島さんとか、そういう人に聞いてみて知らなければ、まだやられていないなと当たりをつけることもできます。実際、そういう知り合いを増やしていくことが大事で、そういうコネクションをうまく築けている人は、結果的によい業績を上げているケースも多いと思います。

渡辺 僕も一言いいですか。僕が最近書いた論文で、これはすごいアイデアだと思ってググッたら、40年くらい前に似たようなことがやられていたという経験をしました。でもそれはGoogle Scholar で調べると引用数が20件ぐらいで、1970年代くらいの研究でした。たまにこういうこともありますよね。

5 経済学って役に立つの?

安田 では、次のテーマに移りましょう。最初からこの話が出ていましたが、「経済学はどう役に立つのか?」ということで、まずは「社会に出てから役に立つかどうか?」という視点で伺います。まずは渡辺さんいかがですか。この中では最も実践的というか、何しろGAFAで働いていましたからね(笑)。

渡辺 そうですね、大きく2つの方向があると思います。1つは、経済学の道具そのものが役に立つという話。もう1つは、経済学の考え方が役に立つという話。前者は大学院の博士課程まで行った人たちがもうガッツリ経済学の道具を使って仕事をするというタイプで、後者はそうではなくても経済学の考え方が役に立つというタイプです。

自分で使わないにしても、経済学がどんな道具立てを提供してくれるのかを知っているだけで役に立つことはあると思うんです。普通に民間企業に就職してどう役に立つのかを考えてみましょう。たとえば自分が価格付けの担当者だとすると、価格を変えたときに消費者がどんな反応をするかはすごく気になるはずです。ここで、実際に計量経済学を駆使して最適な価格を考えるのは博士号をとるくらいまで学んでいないと難しいかもしれません。しかし、そうでなくても経済学の道具でこの問題をどう考えることができるのか、どういう道具があって何ができそうかを知っているだけで、よくわからないけど「えいや」で価格を決めるよりはずっと適切な対応がとれると思うんですね。加えて、もう少し調べる必要があれば何を調べればよいか、誰に聞けばよいか、そういうことを知っているだけでもかなり違うと思いますね。

安田 確かに、道具が存在することや、その概要を知っているだけでも役に立ちますね。

渡辺 これは価格付けに限らず、新規出店をした場合に競争相手がどう反応してくるだろうか、といった問題でも同様です。ここではゲーム理論の考え方がそのまま役に立ちますよね。なので、いろいろなレベル感があると思うのですが、経済学が何を提供してくれるのかを知っているだけでもかなり役に立つのではないかと思っています。

安田 関連して、高校生の方から「将来は就職よりもベンチャーに魅力を感じます。その場合、経済学の中で特に何を勉強すべきでしょうか?」なんていう質問もいただいていますが、ビジネススクールで教えている菅谷さん、お願いします。

菅谷 そうですね。僕も森口さんと同様、あまりMBAティーチングには適性がないというか、まだ習熟していないので割り引いて聞いていただきたいところもありますが、「なぜビジネススクールで経済学が教えられているか」という視点でお話します。

実はアメリカのビジネススクールでは多くの場合、ミクロ経済学が必修になっています。なぜかというと、先ほど渡辺さんも言ったように、教える側が経済学の考え方が役に立つと考えているからです。

経済学の考え方の一番の根本は、「何か変だな」と思ったときに、なぜそうなっているかということを、どのようにさかのぼって考えるかということだと思うんです。たとえば、売れると思っていた商品が売れないとか、自分がよいと思う提案に誰も賛成してくれなかったとか。そういうときに、経済学では「他の皆の考えが足りないからだ」とは考えずに、論理的に突き詰めて自分の思う通りにいかなかった理由がどこにあるかを考えます。経済学を学ぶと、この論理を突き詰めていく方法、さかのぼって考える方法が身に付きます。これが役に立つのだと思うんですね。

あとは、シリコンバレーのベンチャーなどの場合、最近は経済学やファイナンスの知識がないと議論するのが難しいというか、大量にあるデータをどのように扱い、どう解釈して今後のビジネス戦略に役立てていくかになどついて、考えることができません。データがどんなに大量にあっても、その見方がわからなければ何もできないというわけです。そういう面でも、データ分析や経済学の考え方は非常に重要になっていると思います。

安田 奥平さんもビジネススクールにご所属ですね。いかがですか。

奥平 私は、人事の経済学や人事のデータ分析を教えているのですが、企業の中の人事戦略でも経済学の考え方が実際に応用されています。モデルを使って考えられた結果をデータで検証するケースも増えてきているという印象があります。最近の人事経済学の話題として健康経営があります。たとえば企業が、社員に継続してジムに通ってもらって健康を維持するために何らかのプログラムを用意したいと考えているとします。このときに、どんなプログラムを設計するのがより効果的なのか。人事部にも資金制約があるので、いくつか代替案のある中で、より効果的な方法を選ぶ必要があります。そんなときに経済学、とくに行動経済学的な考え方が有効です。

社員の中には、ジムに行くのをつい先延ばしにしてしまう人、通い続けることで得られる遠い将来のベネフィットをうまく評価できない人がいます。そういった人たちの考え方を理論的に明確化したうえで、企業の中で無作為にフィールド実験を行い、どんな方法がうまくいくかを検証するといったことが実際に行われるようになってきました(たとえば以下の研究) 。企業の問題解決に役立てるために、実際に経済理論やデータ分析が使われるようになっているのかなと感じますね。

安田 ありがとうございます。行動経済学の話が出ましたが、ご専門の室岡さんはいかがですか。

室岡 ここまで実証のお話がメインだったかと思います。実際、データ分析は直接役に立つことが非常に多いですが、理論も社会で役に立つという点について少しだけお話しします。私は行動経済学の理論が専門ですが、最初に紹介した自分の携帯電話契約の研究に関連して、複数の官庁で話をしたり、(クーリングオフなどを扱う)消費者契約法の改正に向けた研究会に参加したりもしています。

ですので、理論研究でも政策形成に関わることは可能だと思います。たとえば、前職のドイツの大学で博士課程の副査をした学生は理論を専攻しましたが、競争政策関連で企業にアドバイスするコンサルティング会社に就職しましたし、大阪大学で博士課程の副査をした学生はどちらかというとデータ分析寄りでしたが理論も専攻し、民間のデータ分析会社に就職しました。

博士課程に進んだからといって必ずしも研究者になる必要はないですし、理論を学んでいても、それを実際の政策に役立てられる仕事に就くことも可能だということをお伝えしたいと思います。

安田 ありがとうございます。このテーマについて、最後に井深さんはいかがでしょうか。

井深 経済学の考え方を社会に出て役立てる方法にもいろいろあるかなと思っていて、ここまでの「職業に直結して役に立つ」という方向とは少し違った視点でお話したいと思います。それは、経済学を学ぶと社会全体を見る視点が自分の中で生まれてくる、ということです。社会全体、公益のような発想になると思います。社会は、さまざまな利害関係者(ステークホルダー)で成り立っています。経済学ではその全体を見て、社会厚生を最大化するという視点でも、物事を考えることになります。この社会全体を見ようとするという姿勢は、経済学を学ぶことで身に付けられる、役に立つ考え方の1つではないかと思います。

安田 ありがとうございます。僕からも少し補足をすると、経済学と他の社会科学が大きく違うのは、経済学では当事者目線で考えるという意識が強いという点にあるかなと思います。1人ひとりの立場でモチベーション、僕らは「インセンティブ」と呼んでいますけど、それを考えるというのが大きな特徴だと思います。細かく、ミクロレベルで、当事者目線で問題を分析するということですね。昨今ではデータがたくさんとれて、実際に細かく観察できるようになっています。そうしたデータを使って、何かが起きたときに当事者にとってどんな良いことや悪いことがあったかを細かく見ていこうとする視点は、経済学では特に重視されるように感じています。

6 研究生活とプライベートの関係は?

安田 さて、大学院や研究者としての生活に関する質問もたくさんいただいていますので、次はこのテーマに行きましょう。ぜひこの機会に聞いておきたいのが、「研究生活とプライベートの関係」ですね。「博士課程で留学とかしたら結婚はどうなるのか?」という、割と切実な質問も来ています。まず臼井さん、いかがでしょうか。

臼井 経済学者という仕事にはメリットもあると感じていて、それは経済学がいつでも・どこでもできる仕事・学問だという点ですね。いつでも・どこでもできるということは、没頭していつまでもやめられなくなってしまうという問題にもつながるのですが、結婚や育児が仕事をするうえで、それほど大きな支障にはならないという面もあると思います。たとえば育児の面で考えると、子どもが起きている間は一緒に遊んで、子どもが寝てから、あるいは起きる前に勉強や研究をすることができます。実験室でなければ研究できないような学問に比べれば、両立しやすい学問だと思います。働き方を見ても、午前9時から午後5時の決まった時間でなくて、ある程度自由に、夜中だって仕事ができるので、その点でのメリットは大きいと思います。

安田 子育てと言えば、いま小さいお子さんを2人育てている小島さん、どうですか。

小島 臼井さんの話にはまったく賛成です。実は、先週と今週は保育園が閉鎖されているのですが、そういうときは休暇をとって子どもと遊びに行くこともできます。いま僕がいるカリフォルニアは朝5時くらいです。こういう子どもが寝ている時間なら、イベントに参加するのも大丈夫。ただ、さっきから子どもがすごく泣いている声が聞こえるので、ちょっと抜けないといけないかもしれないですが(笑)。とはいえ、これはこれですごく大変な面もあります。時間やスケジュールを全部自分で決めなければいけないので、ずるずるまったく研究ができなければ仕事も進まない、なんていうリスクは常にあります。実際にこういう点をうまくやっていくのは難しいとも感じています。

安田 次に、小枝さんもぜひお願いします。子育てに限らず、どんなお話でも。

小枝 私の方からは、ここまであまり話題になっていない「行政での経済学の活用」についてお話したいと思います。私がいま勤務している財務省財務総合政策研究所には、若手キャリア官僚全員向けの研修で、経済論文を書くということを行っています。1人ひとりに指導教員がついて、短期間のうちに全力で修士レベルぐらいの論文を書き上げるという研修です。

この研修は10年以上続いていて、それには理由があるからだと思っています。自分なりに考えてみるといくつかあって、まず第1に、公的機関では任務としてレポートを出す部署があり、それには調査・研究の蓄積が必要になります。

第2に統計を作成する部署もあり、そこでは社会で、あるいは研究者にデータがどのように使われているかを勉強して知っておかなければなりません。

第3に、それらの部署に配属されなくても、政策当局者として政策Aと政策Bのどちらが望ましいか、エビデンスに基づく判断をすることが重視されるようになってきています。そうした議論において経済学は1つの軸になっているので、専門家の意見を聞くときにも、専門家が出してくれるエビデンスの質を判断するために、行政の側もある程度勉強しておく必要があります。

また、先ほど話題にのぼった国際機関でも、経済学は必要だと思います。たとえば私が以前に働いていたIMFという国際機関では、マクロで言うと学部レベル以上の経済理論が議論の前提になっていましたし、G20などの国際的な議論の場ではしっかりした理論の武装が大事になってきます。

安田 どうもありがとうございます。先ほど、財務総研で官僚の方々が論文を書いていると聞いて驚いてしまったのですが、そういえば僕も結構前にこの研修の講師をしていましたね 。すっかり忘れていました(笑)。

せっかくなので、プライベートと研究生活の関係について、田中さんにも伺っていいですか。

田中 私はまだ子どもはいないのですが、先ほどの皆さんのお話は大変参考になりました。私はいま34歳で、30歳のときにアメリカでPh.D.をとって日本に帰国しました。その年にいまの結婚相手に出会って1年以内に結婚して、いまは夫婦円満な3年目です(笑)。もちろん人によると思うのですが、私の場合は結婚よりも先に自分をエスタブリッシュしたいなという思いがあったので、この流れでパーフェクトです。

安田 画面上ですごく頷いている、同じ一橋大学の森口さんもぜひ。

森口 私もアメリカでPh.D.をとったのですが、私の場合は留学するときにステキな彼がいて留学するかどうかをすごく迷って、それで留学したら思いっきり振られました。その経緯は、以前の経セミでのインタビュー記事【こちら(PDF)】を読んでいただけたらと思うのでここでは話しませんが 、言いたいことは次のことです。

結婚なんて運ですよね。誰とめぐり合って、その人とうまくいく、いかないなんてほとんど運なわけです。だから、自分がコントロールできるところで頑張ること、まず自分のキャリアをちゃんと確立するというのは正しい選択だと思うんです。いま好きな人がいて留学するかどうか迷っている人がいれば伝えたいのですけど、それで留学を諦めて結婚がうまくいくかどうか、あるいは留学してもその人と結婚するかもしれない、もしうまくいかなかったら次にもっといい人が現れるかもしれない、そんなことは誰にもわからないわけです。もっと言えば、何も結婚や子どもだけが人生の幸せでもないし、人生にはいろんな幸せがある。だから、まずは自分がコントロールできるところでベストを尽くすというのがすごく重要だと思います。

7 研究者になると決めたきっかけは?

安田 いや、なんか今日ね、森口さんに来ていただいてよかったですね。他のパネリストからは出ないような発言がたくさん出てきて僕自身も参考になります。

さて、もう時間がかなり限られてきましたが、最後にぜひ「いつ研究者の道に進むと決めたか? そのきっかけや、決める際に迷いがあったか?」という質問にお答えいただきたいと思います。これが最後の話題になりそうですが、手島さんからお願いします。

手島 私の場合は、研究者か国際機関で働くかどちらかに進みたいなと思っていて、それでいろいろ話を聞いたら国際機関で働くには修士号や博士号が必須だと言われて、研究者か国際機関かを考えながらずっと大学院で勉強していました。ところが、Ph.D.の後半で研究に結構追われてしまって、就職活動する年の9月ぐらいになって世界銀行のヤング・プロフェッショナル・プログラムに応募しようと思ったら7月に締め切られていたり、経済協力開発機構(OECD)は筆記試験で落とされたり、IMFは最終面接で落とされたりという形で(笑)、自動的に片方の道が閉ざされてしまいました。あとは、Ph.D.での自分のアドバイザーが基本的にボコボコに叩いてくる感じで結構大変だったのですが、研究の道も示してくれましたし、就職活動で自分の研究について話してみると意外にみんなにおもしろいと言ってもらえたことが、研究者になろうと決めたきっかけになったかなと思います。

安田 これについては、皆さんそれぞれにおもしろいエピソードがありそうなので本当は全員にお話を伺いたいのですが、残り時間が少なくなってきて残念です。次は菅谷さん、いかがですか。

菅谷 私も手島さんとだいたい同じですね。私は実は学部は国際関係論という分野の出身で、ずっと経済学をやっていたわけではなくて、開発などに興味があって東大の国際関係論の学部(教養学部総合社会科学科国際関係論分科)に行きました。そこでは経済学、法学、政治学などいろいろな分野を学ぶという感じになっていて、実際にやってみて経済学が一番自分に合っていたので大学院では経済学を選んで、そこで実際にいろいろな人と議論しながら研究して、手を動かしてみたら、自分には研究が向いているなと感じて研究者の道を選びました。なので、あまり早い段階から研究者になるんだと決め打ちしていたわけではないですね。

また、経済学のよいところは、いろいろな成功の形があるというところかなと思うんですね。今日のパネリストは研究者として成功している方ばかりだと思うんですけど、たとえば僕の妻は経済学Ph.D.をとって民間企業で働いていて、2020年7月にモーリシャス沖で日本のタンカーが座礁してオイルをまき散らしたという事件がありましたが、そういうときにビーチが閉鎖された際のコストを計算して賠償額を査定するとか、そういう仕事をしています。

だから、あまり早い段階から研究者になると決めなくても、経済学を学ぶといろんな道が開けていろんな成功の可能性があるので、あまり心配しなくていいと思うんです。この点が、個人的には経済学のよいところだと感じています。

8 おわりに:キャリアを決める際のヒント

安田 ありがとうございます。いただいた質問の中に、「研究者、民間企業、公共部門のいずれにも魅力があって、希望進路がなかなか定まらない」というものがありました。今日はパネリストの皆さんに経済学に絡めていろいろなお話をしてもらいましたが、どのキャリアパスも魅力的で決めきれないということは当然ありますし、大学院に進学するにしても、修士課程で終えるか博士課程まで進むか迷ってしまう場合もあると思います。これについて、司会特権で最後に僕の話をしたいと思います。

僕は経済学部出身ですが、いつ研究者になるか決めたかというと、学部生のときに周りの学生と一緒に就職活動したときでした。民間企業の説明会やグループ面接、あるいは役所の先輩たちからの説明を聴いたりして、どのキャリアも魅力的に見えましたね。そのとき、僕自身がどうやってキャリアを決めたかというと、それぞれの進路を選んで自分が最も成功した状況をイメージするんです。民間企業に入ってすぐ年収1億円になるとか、役所に行って20代で事務次官になるとか。ありえない状況かもしれないけど、各業界で最も成功した場合のストーリーを考えてみる。そうして成功した姿を想像すればするほど、20歳そこそこのとき、勉強が好きだったのに大学院に行かなかったら後悔するのではないかと強烈に感じたんですね。自分の性格なので、別のキャリアで成功した自分は絶対に大学院に行かなかったことを後悔するだろうと。そう考えた瞬間に、もう就職活動はやめて大学院に行こうと決めて、それ以降は一切迷わずに大学院で勉強して研究者になった、という感じでしたね。

まあ、いい話なのかどうかはわからないですけど、選択肢に対する考え方が重要だと思うんですね。「どれを選ぶか」と考えると、どれも魅力的に思えてしまって選べないかもしれないけど、「どれを切り捨てるか」「後から選び直せないのはどれか」を考えてみると、皆さんの意思決定もちょっと変わってくるかもしれませんので、試してみてください。

というわけで、答えきれなかった質問もあり恐縮なのですが、本日はこれでおしまいです。長時間にわたってお付き合いいただきありがとうございました。

[2020年10月9日収録]

付記:本稿は『経済セミナー』2021年4・5月号に掲載された記事:「経済学について知ろう 日本経済学会サテライトイベント2020年秋」を増補改訂したものです。

本イベントにも登壇された小島先生に行った関連インタビューはこちら:

マーケットデザインはこんな問題でも実践的に活躍!

本イベントに登壇された渡辺安虎先生たちの経セミ新連載「実証ビジネス・エコノミクス」はこちら(第1回の試し読みができます):



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